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エルビナ・エブセエバ:脊髄空洞症、脊髄牽引症候群

Published by at 2011年2月17日


elvina_evseeva

手術日:2010年1月

rusia

私の健康問題は今から7年前の2003年11月に始まりました。帝王切開で息子を出産したあと、1日で17キロも痩せました。体重が減ったことを喜んでいましたが、歩こうとすると右によろめくようになり、麻酔の一時的な副作用だから、少しずつ改善されるだろうと思ってあまり気にしていませんでした。それに出産後、私にはそんな“些細なこと”を気にかけている時間はありませんでした。以前より疲れやすくなりましたが、小さい子どもを持つママなら普通のことだろうと思っていました(今思うと、あの時の疲労感は異常でした)。横になってもベッドの上にいるというよりは、ベッドが体の上にあるようで、押しつぶされている感覚がありました。時間が経つにつれ、目には色のついた振動が見え始めて、それは絶えず動いていました。これはほぼ毎日、日によっては1日に何回も起こるようになりました。だいたい15分から17分ほど続きました(実際に計ったので確かです)。それが起こっている時は何も見えなくなるので、いすに座ってじっと終わるのを待っていました。しかし眼科医には、目には特に異常は見られないと言われました。

1年経って、足の薬指にしびれを感じました。こすったりマッサージをしたりしましたが、一向にその感覚はなくなりませんでした。時間とともに、足から膝、そして足全体へと感覚は広がっていきました。触覚はありましたが、それはまるで分厚い布地の上から触られているようでした。足の指の皮膚は乾燥しむけていき、クリームを塗っても良くなりませんでした。脚も徐々に痩せていき、常に冷たく、皮膚の色も灰色に変わっていきました。痙攣も起こり、耐え難いものでした。それから少しして、骨の中が焼け付くような感覚が加わりました。また、普通のめまいではなく奇妙な電気ショックを伴うめまいもありました。歩こうとしてもうまく右足を動かすことができず、もう普通には歩けませんでした。足はまるで支柱のように重たく、家の中では壁にしがみつきながら歩いていました。

神経内科の先生の診察を受けましたが、何も変わりませんでした。今でもあの時のことを思い出すと嫌な気持ちになります。先生は私の話を聞き、指で鼻を触ったりする検査や、細いもので体をひっかく検査も受けました。私と息子が今何歳か聞かれ、最後に「大したことではないからあまり心配しすぎないように」と大変“ためになるアドバイス”をくれました。廊下に出たとたん、ショックで涙があふれました。その後、他の神経内科の先生の診察を受けました。その先生は病気について前の先生よりも知っているような印象を受けました。先生は私の話に耳を傾けてくれましたが、診療録には「EM」の文字が書かれただけで、ミルガンマ(Milgamma)を処方されて終わりました。

時間が経つごとに無気力感が増し、ほぼ毎朝吐き気がしていました。日に日にひどくなっていき、自分の健康は自分でなんとかしなければと、地元のサマラの治療センターへと足を運びました。私の持っているすべての検査結果を持って診察を受けましたが、「検査結果はすべて正常」との回答でした。MRIを受けさせてもらえないかと頼んだところ、「あなたは私達医者より賢いと思っているんですか。言われなくてもあなたにどんな検査が必要かわかっています」と言われました。その時受けた検査は全額患者負担だったのでとても高かったです。

その後、右目の視力が徐々に落ちていきました。両目を使えばしっかり見えていたので、すぐには気づきませんでした。また、右わき腹を下にして横になった時の右耳の耳鳴りがひどく、耳にトランスボックスをつけられたようでした。耳鳴りが原因でよく眠れず、横になるのも苦痛でした。背中と首、腕と足にかけて痛みがあり、時々呼吸ができないことがありました。台所では食器を2、3個洗っただけで力尽きていました。腕と肩を持ち上げるのも難しくなり、足も思うように動かせなくて、よく転倒するようになりました。一番辛かったのは、まだ小さい息子の「どうしてママは転んだの?」という質問に答える時でした。息子は床に倒れている私のそばに座り、「ママは牛のようにまぬけだから転ぶんだね」と言って笑いました。息子には“まぬけ”や“牛”という言葉が面白かったようです。笑った後は、部屋に行っておもちゃで遊び始め、私はその後なんとか一人で立ち上がり、ソファーへと倒れ落ちて寝ました。少しずつ息子に私の健康問題を隠すのが難しくなりました。

時が経つとともに状況は悪化していき、体から奇妙な体臭がするようになって、そのにおいは腐った肉が放つにおいに似ていました。髪の毛が抜け、髪をとかすのが怖くなり、飲み込むのも、度々むせていたので家族とテーブルを囲んでの食事が難しくなりました。食べるという動作は私にとってまさに拷問でした。噛んだ後に飲み込んではみるものの、その後何が起こるのかわかりませんでした。食事が喉に近づくと一旦止まり、喉の筋肉が動いて、飲み込んでくれるまで待たなければなりませんでした。飲み込めない場合は食べ物が喉に詰まって、少しの間咳き込むことがありました。また、この時期右側の腎臓が8cm下がりました。

常に引っ張られている感覚があり、時折痙攣も起こりました。当時は常に腰や背中、肩が痛みました。体は常に硬直していました。右足に力を入れても3、4cmしか上げられず、その状態も数秒しか保つことはできませんでした。階段を上るときはズボンをつかんで足を持ち上げながら上っていました。ソファーに座っている時は、足の位置を見なければ、自分自身が足を伸ばしているのか曲げているのかわかりませんでした。6年半の間に診てもらった医師の中で私の健康問題を真剣に考えてくれた先生は、一人もいませんでした。

2009年の夏、クヴァトヴァ(Kuvatova)病院に行きました。個人的にお願いしたMRI検査を翌日には受けることができました。下半身の部分に異常があったので、腰部のMRIから撮り、その後腰より上の部分を撮影していきました。おそらく病院側の配慮で、MRI検査費用の一部を払うだけで済みました。そして、MRI検査を通して脊髄空洞症と診断されました。医者には、治療法はなく、今後生活がしにくくなるだろうけれど、「元気を出して頑張ってください」と言われました。

一方、主人は半年間インターネットで、とにかく様々な情報を探しました。バルセロナキアリ研究所の情報を見つけた時はその情報を見つけられたこと自体信じることができませんでした。すべての体験談に目を通し、終糸切断手術が唯一の病気の解決策だと私達夫婦は確信しました。

2010年1月26日、私は手術を受けました。麻酔から覚めた時幸福感を体中で感じ、手術が成功したと実感しました。完全に健康な体に生まれ変わったようでした。ほとんどの症状はすぐに消え、あの時感じた全身にみなぎる活力は言葉では言い表せないもので、嬉しさでいっぱいになりました。右目の視力は1週間かからずに回復しました。右耳の耳鳴りは手術後すぐになくなりました。手術以降、一切めまいもなく、色のついた振動もなくなりました。筋肉は衰えていましたが、足に力が入れられるようになって、健康な人と同じように足を上げることができました。肌の色もすぐに普通に戻って、髪の毛ももう抜けなくなりました(退院日に気づきました)。背中や腰などの痛みももうありません。これらの変化を自分自身の体で感じながらも、信じることができませんでした。手術前は3、4分ごとに休憩しないと歩けなかったのが、手術後主人とバルセロナを10時間半散歩したうち、2回ほど喫茶店で休憩しただけであとは歩いていました。私たち夫婦で、一回も嘔吐することなく立って食事していたのは誰だかわかりますか。

2003年から2009年までの出来事を思い出すのが辛くて、終糸切断手術から1年経ってやっとこの体験談を書くことができました。この体験談は、私と同じように恐ろしい病名を診断された人に宛てて書いています。取り返しのつかない結果を生む疑わしい治療法を絶対に受け入れてはいけません。ロヨ先生にぜひコンタクトを取ってみてください。

健康と人生を取り戻してくれた先生方に、私から感謝の気持ちと無限の愛を送ります。

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