無料医療相談はこちらから

大後頭孔減圧術後の終糸切断手術例


私どもの研究によると、アーノルド・キアリI型症候群の治療で一般的に行われる大後頭孔減圧術は、神経組織に対する大後頭孔の圧迫を軽減することはできますが、一番の原因である、異常な終糸による全神経系への牽引を取り除くことはできません。よって、過去に減圧術を受けた患者さんは終糸切断手術後に病状が改善されたのを感じることができます。


注: こちらに掲載している体験談は、患者さん個人の経験や感想であり、バルセロナキアリ研究所としての見解を示すものではございません。


デボラ・ウィルソン:アーノルド・キアリI型症候群、神経頭蓋脊柱症候群、終糸病、大後頭孔減圧術

バルセロナキアリ研究所による掲載 2024年1月12日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2023年7月4日 私は数年前に、アーノルド・キアリI型症候群と診断されました。これを読んでいる皆さんと同じように、症状、特に毎日起こる頭痛を軽減するため、あらゆることをやってみましたが、どれも効果を得られなかったため、医者からは大後頭孔減圧術を受けるように提案されました。私はそれが最後に残された唯一の選択肢だと思い、また、手術を受ければ症状が改善されると信じて手術を受けましたが、それは間違いでした。 減圧術の効果は全くなく、小脳扁桃の下垂がなくなったにもかかわらず、依然として術前と同じ痛みがありました。減圧術から4ヶ月後、バルセロナキアリ研究所に関する投稿を見つけました。気になったので研究所のウェブサイトに載っているものを全部読むと、すべてが理にかなっているようと思いました。しかし、減圧術を受けたばかりだったということもあり、バルセロナキアリ研究所での治療についてはもう少し経ってから考えることにしました。減圧術から1年が経ち、症状が悪化し、頭痛により仕事や生活するのが困難になりました。 頭の中に「話ができすぎている」「そんなに効果があるなら、なぜ他の国でも終糸切断手術が行われないのか?」といった疑問が浮かび、誰にもその治療の効果について説明してもらえなかったので、半信半疑でした。そこで、もう少しインターネットで調べてみると、バルセロナで終糸切断手術を受けた人を見つけ、手術についての意見を聞くため、連絡してみることにしました。コンタクトを取った人みんなが術後に大きな改善が見られ、手術を受けて満足していることがわかり、その言葉がとても励みになりました。終糸切断手術が見せかけの治療ではなく、本当に存在している治療法であることを確信しました。 2023年7月4日、私はバルセロナで終糸切断手術を受けました。手術時間は局所麻酔で約1時間、抜糸の必要もなく、一泊二日の入院です。大後頭孔減圧術に比べると、術後の回復は非常に早く、手術が終わって病室に戻ると、すぐに首や肩の「張った」感覚がなくなっていることに気づきました。ひどい頭痛はまだありましたが、手術の効果があったことは確かでした。先生には、完全に回復するには数ヶ月かかると言われました。手術から48時間後、頭痛が治まり、2年半ぶりに頭痛のない生活が戻ってきました。まだ頭に圧迫感はありましたが、痛みはなくなりました。その後6週間が経ち、腕と脚にあったしびれや、めまいもなくなり、全ての症状がなくなったか、あるいは明らかに痛みの度合いが軽減されました。この期間、頭痛はあったりなかったりと不安定で、痛みの継続時間も様々でしたが、痛みはずいぶん軽くなりました。 現在手術から10週間が経ち、ここ数年間でいちばん体調がいいと感じています。仕事にもゆっくり復帰し、毎週のように体調がよくなっています。今でも時々頭痛がしますが、軽度で長時間続くことはありません。もう少し時間が経てば、頭痛が完全になくなる可能性が高いと思います。バルセロナで手術を受けられたことにとても感謝しています。バルセロナキアリ研究所のスタッフと医療チームに関してはいいことしか言えません。私が研究所に着いてから国に帰るまで、私のことをサポートしてくれました。バルセロナキアリ研究所の治療に興味のある方はぜひ連絡を取ってみてください。バルセロナキアリ研究所で働くスタッフは、本当に素晴らしい方々です。 デボラ・ウィルソン





ニエベス・ワン:キアリ奇形、頚椎椎間板症、脊髄牽引症候群

バルセロナキアリ研究所による掲載 2017年9月4日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2011年6月 みなさん、こんにちは。 2010年に自分の病気を治してくれる医師に会うまでの辛い道のりについて記事を書いたのですが、今回それをここでみなさんに共有したいと思います。書いた当時は、スペインでの治療が嘘か本当かわからなかったので、実際の情報を得るためにインターネット上に私の書いた記事を公開することにしたのです。 私はバルセロナキアリ研究所で手術を受けた3人目の中国人患者です。最初に治療を受けた中国人女性の一人から電話をもらい、「ワンさんの公開した記事を読んで感銘を受けました。私はバルセロナから治療を受けて帰ってきたばかりですが、手術の効果は本当です!バルセロナの治療が都市伝説なんかではないことを私が保証します」と、バルセロナキアリ研究所にたどり着くまでの詳細をその女性から聞くことができました。 そこで私は同じ病気で苦しんでいる人が間違った道を選んでしまわないように、自分の体験談を共有することにしました。バルセロナでの治療は、確かで間違いのない選択だったと思います。20年前に終糸切断手術を受けられていたのなら、今まで味わった痛々しい経験をせずに済んだでしょう。 今でも歩行困難や咳、嘔吐などはありますが、術前に比べればだいぶ良くなったので、治療の効果に大変満足しています。一番重要なのは、終糸切断手術を受けて病気の進行が止まったことです(これが終糸切断手術を受けた目的でもあります)。 バルセロナの街は大変美しく、手術直後は傷口が少し痛みホテルで休んでいましたが、3日後には主人と一緒に観光をしたり、シーフードを食べたり、買い物をしたりして楽しむことができました。 メールアドレス: [email protected] ———— 2010年にインターネットに掲載した記事 ———– “辛い道のり” 私はニエベス・ワンで、49歳です。多くの皆さんと同じように、素晴らしい主人と娘に恵まれて素敵な人生を送っているように見えますが、現実は少し違います。私はキアリ奇形という非常に稀な病気を患っていて、毎日痛みとストレス、恐怖の中で生きています。 20年前からうまく歩けなくなっていることに気づき、よくドアの敷居でつまずいていましたが、当時は家族のことや育児、仕事が忙しすぎて特に気には留めていませんでした。しかし、いつからか自転車でバランスを崩して転倒するようになり、ハイヒールも履けなくなり、娘の世話もできなくなってしまい、1991年に主人とともに病気を治してくれる医師探しを始めました。診てもらった先生はそれぞれ言うことが違い、一人はリューマチや脳萎縮、もう一人は脳血管に問題があると言っていました。西洋医学から東洋医学にわたって多くの病院を受診しました。鍼治療、電気治療、占いなども試しましたが、病気は改善するどころか悪化していきました。 ある日、一人の先生から私は難病を患っていて、薬物治療では治らないから外科治療が必要になるけれど、手術のリスクが高い割に病気の進行は止められない治療だと言われ、経過観察を勧められました。 時は経ち、2000年になりました。当時すでに歩行時にバランス感覚を失うことがあり、立っている時の不安定、咳や嘔吐、頭痛、不眠症などがありました。同年10月19日、不本意ながら大後頭孔減圧術を受けることにしました。あの時の痛みは決して忘れません。手術は5時間にもおよび、頭部を14針も縫いました。術後1ヶ月間は熱が出て、主人と妹が交代で私の面倒を見に病院に来ていました。36日間、主人は病室のベッドの横にあるソファーで寝泊まりしていました。そんな主人の姿に感動して感謝でいっぱいになりましたが、同時に主人の疲れ切った表情や私のことを心配している姿を見て、悲しくて涙が溢れました。 術後少しは良くなりましたが、すぐに悪化していきました。私が外出するたびに、近所の人には「朝から酔っぱらっているのかい?飲んでばかりいたら脳血栓になるよ」と言われました。ひどいと思いませんか!?人をバカにした態度や発言に、私は笑って返すべきか泣くべきなのかわかりませんでした。健康な人を羨ましく思い、デパートで素敵なハイヒールを見てはいつかこれを履いて歩いてみたいと思ったりもしました。 2006年、娘が大学進学のためにうちを出たので、主人とともに再度北京の“専門家”の元を訪れました。この専門家には「大後頭孔減圧術をすでに受けたのなら、何のために診察に来たのですか?この病気は完治しない病気ですよ」と冷たく言われて診察は終了。その言葉にショックを受けて、その場で泣いてしまいました。当時の症状は歩行困難、直立時の不安定、ひどい咳や嘔吐、嚥下困難、不眠症で、私は「確かにそうだ…大後頭孔減圧術の再手術を受けるくらいなら、その前に死んだほうがマシだ」と思いました。しかし、最終的に私は諦めませんでした。毎日医学の進歩、奇跡に出会えるのを信じて自分の病気に関する情報を探し始めました。病気の進行によって便失禁や麻痺が起こることや、痛みが原因で亡くなった症例もあると知り、もしかして私も将来こうなってしまうのでは?と考えたりもしました。 2010年に行ったMRI検査の報告書には、3ミリの小脳扁桃下垂があると書かれていました。偶然にも、私の患っている病気の進行を止められる治療を行っている専門機関の情報を見つけました。手術時間はたったの45分で、体に負担のかからない治療を提案しているそうです。痛みはなく、手術の翌日には退院できるとのこと。それを聞いて私は数日間興奮していました。伝説?それとも夢?とにかく信じられませんでした。辛い道のりではなく、穏やかで幸せな人生が待っていることを切に願っています。 ニエベス・ワン 2010年5月10日



レオナルド・コルチーニョ:キアリ奇形、神経頭蓋脊柱症候群

バルセロナキアリ研究所による掲載 2017年5月26日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2015年7月 息子のレオナルドに症状が現れたのは3歳の時でした。複数の小児科と神経内科を受診し、頭部・脳部のMRI検査を受けましたが、確定診断には至りませんでした。病院では偏頭痛と喘息持ちの患者として息子は扱われましたが、私はどこかでそうではないと感じていました。 息子は遊んだり走ったりしていたものの、後頭部の痛みや呼吸困難を訴えることがよくありました。痛みを訴える日が続き、ついに5歳になったある日、いとこと鬼ごっこをして遊んでいた息子が私に近づいてきて、ほとんど呼吸ができていませんでした。パーティーの最中でしたが吸入器を取りに家に帰り、そこでレオナルドは気を失いました。もう息子の命は助からないと思いました。その時(私自身が喘息持ちなのもあり)、息子が患っているのは喘息や偏頭痛のようなものではないと確信しました。 翌日、病院でMRI検査の再検査をお願いしました。検査後すぐに神経内科の先生から脳神経外科を受診するように言われました。脳神経外科医との診察では、早急に大後頭孔減圧術の検討を促されました。当時、息子は笑うことさえできず、無理に笑おうとすると呼吸困難になり、その度に病院へ駆け込んでいました。息切れは呼吸中枢がある延髄の圧迫によって起きていました。実際、息子の延髄は小脳扁桃によってかなり圧迫されていました。 2013年6月5日に大後頭孔減圧術が行われました。術後はとても辛いものでした。レオナルドは痛みを訴え、嘔吐を繰り返し、鎮痛剤を飲まなければならない日々が続きました。息子は4日間集中治療室で治療を受け、その2日後に退院。それから約15日間は頭を上げることができず、とても痛がっていました。術後は本当に大変でした。 術後9ヶ月間のレオナルドの体調はとてもよかったですが、9ヶ月経って術前の症状が戻り、吐き気や嘔吐を伴った頭痛が日常的に起こるようになりました。脳神経外科を再受診し、そこで大後頭孔減圧術よりも体に負担のかかる外科治療を勧められました。それは頸部をプレートで固定し、頸部の可動域を40%に減少させてしまうリスクの高い手術だったので、息子には受けさせたくありませんでした。それは息子に一生頸椎カラーを装着する人生を送らせてしまうようなものです。 2015年7月、バルセロナに向かいました。 そこではキアリ奇形だけではなく、初期の脊髄空洞症も見つかりました。手術は7月16日に行われ、翌日には退院でした。術後、傷口が痛むぐらいで、他はほとんど痛みを感じなかったようです。嘔吐も頭痛もありませんでした。手術から5日後、私たち家族はバルセロナ観光をしましたが、一日中地下鉄での移動にもかかわらず、レオナルドは一度も痛みを訴えることはありませんでした。 現在、息子は遊んだり走ったり、サッカーの練習(もう呼吸困難になることはありません)をしたりと、普通の生活を送っています。頭痛はほとんどなく、足の感覚も戻ってきたようです。鼻声だったのも改善し、背中の痛みを訴えることもほとんどありません。以前は(13時から15時の短縮授業の時でさえも)学校へ行きたがらなかったのですが、今は学校へ行くのを嫌がらなくなりました。 バルセロナでの手術を受けてから痛みを訴えたのは数えるほどです。最初、息子をバルセロナに連れて行くべきか迷ったのは事実です。それはブラジルのどの医師からもバルセロナでの治療を勧められなかったからです。しかし、私が息子にバルセロナの治療を受けさせようと思えたのは、すでにブラジル人で終糸切断手術を受けた患者さんの存在、体験談があったからです。 息子にとって終糸切断手術は確かに効果があったので、キアリ奇形や脊髄空洞症を患っている人にぜひバルセロナでの治療を勧めたいと思います。 他に情報が必要な方はいつでもご連絡ください。 連絡先:[email protected]  





中年Zの娘さん:キアリ奇形I型、脊髄空洞症、脊柱側弯症、椎間板症

バルセロナキアリ研究所による掲載 2017年1月19日
患者さんの同意のもとに掲載

終糸切断手術前:2016 年4月19日 終糸切断手術後:2016年12月7日 手術日:2016年3月 同じ病気で、キアリ研究所のホームページまでたどり着いた方に是非、海外の医療機関も選択肢の一つとして考えていただきたいとの思いで、この体験談を投稿します。キアリ研究所の皆様には、感謝の言葉しかありません。 娘が11歳頃、身長が急に伸び始めてから姿勢が悪くなり、全体的に左に傾くようになりました。そして、毎日のように姿勢を伸ばしなさいと注意していました。その頃はレントゲンを撮ることも、MRIを撮ることも考えていませんでした。ただ単に姿勢が悪いだけだと思っていたのです。最初の症状が出たのは13歳2月、ある日突然の左足のしびれでした。その後左手のしびれ、めまい、頭痛、嘔吐が続き、地元の総合病院でMRIを撮るとすぐに、病名がわかりました。 画像診断報告書には画像と初めて聞く病名が載っていました。「キアリ1型奇形」と「脊髄空洞症」です。初めて聞く病名でピンとこなかったのですが、説明してくれた医師が難しい顔をしていたのを覚えています。説明を受けると、治療方法は手術しかなく、しかも頭!今まで大病はなく、健康そのものと思っていたのでとても怖くなりました。娘もまさか手術が必要になるとは思いもしなかったと思います。 家に戻るとすぐこれらの病名を検索しました。書かれてあるのは悪いことばかり。ゾッとしました。そんな中で、バルセロナキアリ研究所の内容は、全く違うもので希望の光がさすようでした!しかしこの終糸切断手術は日本では行われていないと知り、愕然としました。早速研究所の日本人スタッフ高橋さんに連絡を取らせていただきました。 娘の症状は良くならず、学校に連絡をしてしばらく休むことにしました。 そこで私たちは、①日本で手術が豊富な病院で大孔減圧術か②バルセロナキアリ研究所へ行くか迷いに迷いました。結果は①でした。娘がバルセロナに行ける体力と気力がないと思ったからです。キアリ研究所の日本人スタッフ高橋さんには、今回は残念ですが、スペイン行きを断念する連絡をしました。症状がもう少し軽ければ、バルセロナに行く選択をしていたかもしれません。 地元の総合病院から転々として、4月に東京の病院で大孔減圧術の予約が取れ、無事受けることができました。術後の経過は良好で、嬉しいことに、辛かった症状は全て無くなりました。大成功!と家族皆で喜びました。 (体の側弯については、大孔減圧術後に地元で側弯症専門がある総合病院で診察を受けるようになりました。傾斜は25度でした。装具を作り、夜のみ着けるようにしています。) その後も症状は出ず、3ヶ月後の8月に東京見物がてら軽い気持ちで診察を受けに、東京の病院へ行きました。そこで撮ったMRIを見て医師から言われたことは、小脳扁桃が少し下がってきていて空洞の減少があまり見られないので、1年以内にシャント手術が必要になるだろうと。青天の霹靂です。娘はこんなに元気なのに。もちろん先生のことは信頼していましたが、シャント手術にはかなり抵抗がありました。 私たち夫婦は、また迷いに迷いました。そしてバルセロナ行きを決めました。最終的に、今の娘には長い時間飛行機に乗る体力があるということ、そしてなによりキアリ研究所の日本人スタッフ高橋さんの誠意のこもったメールでのやり取りを通じて、研究所を信用し信頼することができたのです! {病気の原因を取り除くために終糸切断手術をする}という研究所の説明に納得し、娘と話しあいました。 「娘のこれからの長い人生、病気の原因を止めることが一番大事なことではないか。それが外国であろうと、専門の研究所があるのだから。」「なにより手術内容が、体にかかる負担がシャント手術よりはるかに少ない。」 バルセロナに行く決意を固めました。 年が明けて2016年3月、娘と私たち夫婦は長い時間飛行機に乗り、ホテルに一泊してから歩いてキアリ研究所へ。グーグルマップのストリートビューで何度か街並みを見ていたので、実際にたどり着いたときに現実味を帯びて、期待が高まりました。担当してくださるマルコ・フィアヨス先生のお話を高橋さんの通訳で聞き、診察を受け、近くのシマ病院で、簡単な検査を終えました。何の心配もありませんでした。お二人とも、私たちに優しく暖かく接してくださったので、穏やかな気持ちで次の日の手術を迎えることができました。きっと娘も同じ気持ちだったと思います。 無事に実質1時間弱の終糸切断手術を受けました。私は娘とともに一泊入院をしたのですが、病室があまりにきれいなので驚きました。ホテルみたいでした!退院をしたらなるべく歩くと良いと先生に言われていたので、次の診察までの10日間、散歩をなるべくしました。来る前は、最後に一日観光ができればいいと思っていたのですが、観光がメインだったかと思うほど楽しく過ごすことができました。 バルセロナキアリ研究所の皆様、お世話になり本当にありがとうございました。心から敬意を表するとともに、感謝いたします。





ルス・ベリアード:アーノルド・キアリ奇形、脊柱側弯症、脊髄牽引症候群

バルセロナキアリ研究所による掲載 2015年2月5日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2013年1月 こんにちは。私の名前はルス・ベリアードで、現在53歳です。ドミニカ共和国出身で、今はアメリカのボストンに住んでいます。今から4年前(2010年12月16日)、ボストンのマサチューセッツ総合病院でアーノルド・キアリ症候群の手術を受けました。その手術(大後頭孔減圧術)は脳部の危険な手術で7時間もかかりました。 手術から11ヶ月間、術前にあった症状は消えすべて順調でした。しかし2011年11月、めまいや頭痛が再発し、悪夢がまた始まりました。 2011年12月24日、教会で賛美歌を唱っていた時でした。突然気を失い、それ以降術前にあった症状が戻ってきました。頭部の圧迫感と激痛(電気が走るような痛み)、平衡感覚の消失、後頭部の硬直、めまい(頭の圧迫感が現れた時によく起こりました)、脚(特に右脚)の痛みと膝のむくみ、腕に力が入らなくて、時々しびれもありました。背中の激痛、首の違和感もあり、首を後ろに倒すことができませんでした。急に止まったり、頭を左右に動かしたりすると頭が圧迫され、体がふらふらしました。階段の昇り降りは3、4段目で頭が痛くなってめまいがするので、一人ではできませんでした。息苦しくなることもあり、いつも疲れていて、ベッドメーキングをするだけでも疲れきっていました。以前は疲れ知らずで、活動的な生活を送っていたのに…。病気のせいで私の人生は一変しました。私にとって夏も冬も関係なく常に寒さを感じ、貧血、慢性的な便秘、耳鳴りもありました。 2011年12月から今まで色々な神経内科医に診てもらいましたが、それぞれ違う病名を言われました。検査もたくさん受けたので、もうどんな検査を受けたか思い出せません。現在までに、私の手術を担当した外科医をはじめ他の分野の先生は、私が術前と同じ症状を抱えているという事実を認めたくないようです。医師からの助けを得られない状況の中、私の兄弟と義理兄弟がインターネットで病気に関する情報を探し、ミゲル-B・ロヨ-サルバドール先生の存在を見つけてくれました。 今から2年前(2013年1月15日)、スペインのバルセロナキアリ研究所で、ロヨ先生と研究所チームに終糸切断手術をしてもらいました。当時、私は車いすで研究所に向かいました。右半身がうまく機能せず、頭部の圧迫感もあり、痛み、疲労、それ以外にも症状がありました。 ロヨ先生と研究所チームのみなさんは私を温かく迎えてくれ、プロ意識の高さを感じました。身体検査を受け、病状を評価してもらいました。手術日当日に入院手続きをしましたが、病室はまるで5つ星ホテルのようでした。ロヨ先生自身が私を迎えてくれました。手術は45分で、手術の翌日には普通に歩くことができました。病院には2日間滞在し、退院日にバルセロナを散歩でもしてみたらと先生に言われたので、そのようにしました。翌週、マサチューセッツ州ボストンに帰国しました。それから1ヶ月後完全に回復し、症状もなくなりました。その後フルタイムで働き、家事もこなし、運動も少しずつ始め、本来の生活が戻ってきました。 私からのアドバイスは、アーノルド・キアリI型症候群と診断されたら、すぐにでもロヨ先生の手術を受けてください。術後の回復は早く、痛みも最小限です。人生と健康を取り戻してくれたロヨ先生と研究所チーム、そして神様に心から感謝しています。また、私が寂しくならないように常に側にいてサポートしてくれた家族や友達にも、感謝の気持ちを伝えたいです。本当にありがとうございました! 質問があれば、いつでも連絡してください。 ルス・ベリアード 電話番号:+1 (617) 899-3886 メールアドレス:[email protected]





エミル:アーノルド・キアリ奇形I型、脊髄空洞症、脊髄牽引症候群

バルセロナキアリ研究所による掲載 2014年4月2日
患者さんの同意のもとに掲載

エミル(5歳) 手術日:2012年11月 2010年8月、(2008年11月生まれの)エミルは病気になりました。歩くのをやめ、筋肉も衰えていきました(それまでは特に異常はありませんでした)。エミルに何が起こっているのか説明できる医者は一人もいませんでした。医者には、検査の結果からおそらく脊髄炎で、MRIからは心配するようなことは何も見つからなかったと言われました(それから3年後、ある検査技師に同じMRIを見せたところ、7mmの小脳扁桃下垂があると言われました。つまり、当時の医者にとって7mmの小脳扁桃下垂は、「正常」だったようです)。エミルはそれから2ヶ月後、足を引きずりながらも歩くようになり、ゆっくりですが回復していきました。私達夫婦は複数の病院にエミルを連れて行き、その度に違う意見を聞かされました…。エミルが左半身不随になっていることがわかり、病院でリハビリを受け、その3ヶ月後MRIの再検査が行われました。そのMRIから11mmの小脳扁桃下垂が確認され、脳神経外科に行くよう指示されました。 脳神経外科医を訪ねにポーランドのポズナンに行きました。診察が始まって数分後、エミルの頭の傾きを指摘され、大後頭孔減圧術の手術を提案されました。2011年3月、大後頭孔減圧術(部分的なもの)が行われました。術後、複数のリハビリセンターで理学療法を受け、家にも理学療法士の先生が来ました。エミルは歩行時に度々転倒することがあり、おしっことうんちをもらしてしまうこともありました。左手は常にこぶしを握っている状態で(電気眼振計検査の結果、60%の神経が損傷していることがわかりました)、立っていても椅子に座っているような姿勢をしていました。2012年1月にMRIの再検査を受けて、15mmの小脳扁桃下垂が見つかっただけでなく、3か所の脊髄空洞症も見つかりました。2012年8月、7ヶ月の間に空洞は脊髄いっぱいに広がり、3か所だけだった空洞は新たにもう3か所見つかり、ワルシャワの先生には大後頭孔減圧術の再手術を告げられました。ポーランドで行われてるアーノルド・キアリ奇形の唯一の治療(大後頭孔減圧術)を受けた後に、今までなかった空洞が現れたというのに、先生達はまたエミルに同じ手術を行おうと考えていたのです。息子の脊髄と頭部の損傷の速さに私達夫婦は恐くなって、どうしたらいいのかわかりませんでした。 大後頭孔減圧術実施の数日前、バルセロナでアーノルド・キアリ奇形の治療を行っているという情報が耳に入ってきました。私達はすぐさまポーランドでの手術をキャンセルし、スペインの手術を受けることにしました(2012年11月)。 終糸切断手術直後、特にめざましい変化は見られませんでしたが、以前より左手のこぶしの握り具合は改善されたようでした。ポーランドに帰ってから2週間後、エミルの症状は悪化し歩けなくなり、それは2週間ほど続きました。それからは徐々に改善され、手術前の状態に戻っただけではなく、少しずつ回復に向かっていきました。 体調が悪化していた時に、何人かの先生に診てもらうことがあり、脳神経外科の先生は、終糸切断手術は何の効果もない手術だから、私達夫婦は“騙された”のだと言いました。その先生に新たにMRI検査を受けられるよう手続きをしてもらい、2013年4月に病院に行った時、エミルの状態が良くなっていると伝えましたが、先生達は信じてくれませんでした。MRI検査ではほとんど術前(終糸切断手術の3ヶ月前に撮ったMRI検査)と術後に撮ったMRIで変化は見られませんでした。手術前はただならぬペースで状態が変化していったので、私達にとって変化がないというのはいい事でした。神経内科の先生に、大後頭孔減圧術を行った脳神経外科医に連絡を取って、空洞短絡術(生死に関わる手術)を受けるように提案されました。しかし、その神経内科医には連絡せず、バルセロナの脳神経外科医に相談し、ポーランドのポズナンの検査技師にも空洞の術前術後の大きさを正確に計ってもらい、安心することができました。何より、私達自身の目でエミルの変化を確認しています。例えば、歩行は前より良くなって、立っている時も以前よりまっすぐ立てるようになりました(リハビリも行っています)。最新のMRI検査は2014年2月に撮影され、最後に撮った時から10ヶ月が経っていますが、変化は特にありません。今エミルは保育園に通っていて、他の子供と同じようにダンスや柔道、サッカーや水泳をやっています。リハビリもまだ続けています。100%完璧ではありませんし、おしっこやうんちのコントロールはまだうまくできませんが、以前よりはよくなっています。裸の状態で息子を見ると、確かにすべて完璧ではないことがわかりますが、保育園では他の子供と変わりません(もしかしたら他の子より走るのは遅いかもしれません)。2014年3月に神経内科の先生(1年前に終糸切断手術に否定的なコメントをした先生)に診てもらい、だいぶ良くなってきていると言われました(例えば、バビンスキー反射がなくなったことなど)。終糸切断手術とリハビリのおかげで、エミルの健康状態は日に日に良くなっているので、大変驚いています。





マリア・ズケッティ:キアリ奇形I型、脊髄空洞症、脊柱側弯症

バルセロナキアリ研究所による掲載 2013年6月1日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2011年3月 私の名前はマリア・クリスティーナで、27歳です。イタリアに住んでいます。 9歳の時から偏頭痛があり、副鼻腔炎や偏頭痛の治療を受けましたが、効果はありませんでした。 1999年10月、突然頭が痛くなり、その状態は1ヶ月も続きました。薬は効かず、唯一寝ている時が安らぎの時間でした。 1999年11月、イタリアのベルガモ県の病院に検査入院して、MRIを受けました。その結果、奇病と言われるアーノルド・キアリ奇形I型と診断されました。その日は、自分の抱えている病気が何なのかわかった嬉しさよりも、その病気がどういう病気なのか知らなかったことによるショックの方が大きかったです。 退院後、その病院では病気を治してもらえないと思い、ミラノの総合病院の“専門家”に診てもらうことしました。短時間の診察(その割には診察料が高額)でしたが、私の病気について前の病院より詳しく説明してくれました。先生には、後頭蓋窩の奇形で容積が減り、小脳扁桃が下垂し脊柱管内に突出、それが私の頭痛の原因だと言われました。病院から提示された治療法は、変形した骨の一部を削る減圧術と言われる手術でした。 2000年1月、その“専門家”によって手術は行われました。ここで一つ言っておきたいのは、その専門家の患者さんのほとんどは、もっと年を取ってから病気を発症していた人が多く、私のような若い患者(16歳)を手術したのは初めてだったことです。 手術の翌日、すべてはうまくいっているように見えました。しかし手術から2 日後、頭部の激しい痛みと熱、嘔吐などの症状が現れ、それはすべてドレナージを行わなかったからで、血腫もできてしまいました。手術から3日後、血腫洗浄のために再手術が行われました。3週間の入院が終わり退院する時に、もうこれ以上問題は起きないだろうと言われました。 それから数ヶ月間、平和に過ごすことができました。今後も順調にいくかと思っていましたが、手術から1年後、左上肢の温覚障害が現れました。再度MRIを撮った結果、脊髄空洞症(第1胸髄-第3胸髄)を患っていることがわかり、脳神経外科の先生には前回受けた手術が原因だと言われました。減圧術によって髄液が通常より速く流れ、脊髄が十分に排水できなかったために脊柱管の中に流れ嚢胞ができ、空洞が形成されたと言われました。先生には2つの選択肢を提示されました。一つは小脳扁桃を切除するために後頭部の再手術および硬膜補填術で、もう一つは空洞内にたまった水をドレナージするシャント術です。私は最終的に、体に負担の少ない方の後頭部を切開する手術を選択しました(死亡する危険性がある手術であるにもかかわらず、一切そのことについて説明は受けませんでした)。 2001年10月、再手術のため病院に行きました。 人生最悪の経験になりました…目を覚ますと手足がまともに動かせなくなり、痛覚、温覚を完全に失い、車いす生活を余儀なくされると思いました。 入院中、コーチゾンを大量投与され、水頭症が起こったために2度穿刺が行われました。ただ、一度も理学療法を受けるようには言われませんでした。入院してから3週間後、リハビリセンターに転院が決まり、幸運にも1ヶ月の理学療法で、ほとんどの協調運動(手の細かい動き以外)は回復しました。また歩けるようになって、左腕と左胸部以外は温覚も戻ってきましたが、上肢と胸部上部の痛覚は消失したままでした。それから新しい生活が始まりました…1年後に空洞は小さくなったものの、前より困難な生活になりました。 2009年まで、胸郭にまで広がる背中の痛みと首の痛み、眠気、疲労感、軽度の鬱にもなりましたが、走らず力を入れない生活をしてなんとか生きていきました。 2009年3月、頻繁に背中が痛くなり、右腕の痛みとしびれ、くしゃみをする度に起こる首と頭と肩の激しい痛み、下肢の麻痺、過度の眠気、慢性的な疲労感、気分の浮き沈みなどがあったので、検査のためMRI検査を受けました。その検査結果から、空洞が第1頸髄から第2胸髄まで広がっていたことがわかりました。2001年に手術をしてもらった先生(すでに定年退職されていました)にもう一度診てもらい意見を聞こうと、先生のご自宅を訪ねました。しかしそこで言われたのは、ドレナージ以外治療法はないということでした。 数ヶ月経って状況は悪化しました。そこで私は、ミラノにあるカルロ・ベスタ神経学研究所の、病気の知識と小児の手術実施回数の多さで名高い脳神経外科医の診察を受けました。その先生の診察で、私の受けた減圧術のやり方が間違ったものであったこと、そして私が2回目に受けた手術は、その最初の手術のミスをカバーするためのものだったことがわかりました。当時、脊髄の空洞は第6胸髄まで拡大していました。先生には、これ以上病気を悪化させないための唯一の手段として、再手術(3回目)を勧められました。手術は脊髄の髄液の流れをよくするための頸部のドレナージでした。ショックと恐怖で、パニック状態に陥りました。 もうこのままでは生きてはいけないと思い、手術のキャンセル待ち登録をしました。何度も問い合わせをしましたが、(幸運にも)1年経っても手術の連絡はありませんでした(当時2回ほど診察を受けましたが、医師からの診療報告書には、恐怖心から手術を見送りたいと私が言ったと書いてあり、それは全くの嘘です)。 家族の知り合い(私の病名を覚えていてくれた知り合いに感謝しています)を通じて、ある女性と知り合い、その女性の娘さんがアーノルド・キアリ奇形I型の治療で、バルセロナで行われている手術を受けて、術後の経過が良好だと聞きました。 その後インターネットで検索し、その女性のおかげもあって、2011年2月にバルセロナキアリ研究所にコンタクトを取ることにしました。私の持っているすべての検査結果を送り、数日で返事が返ってきました。そこには、ロヨ先生の診察を受けて手術の適用が確定されれば、次の日には手術が受けられると書いてありました。 終糸切断手術のおかげで、一生治らない部分はあるだろうけれど、これ以上病気が悪化するのではないかという不安を抱かなくていい普通の生活が送れる確信があり、私は世界で一番幸せな人間だと感じました。 2011年3月末にバルセロナへと出発、3日間で診察と手術、そして国へ帰ることができました。手術後ロヨ先生には、脊髄の引っ張りはMRI上で確認されたものよりも大きかったと言われました。そして手術を受けた日から、まるで生まれ変わったかのように新しい人生が始まりました。手術後すぐに、背中と胸部と左上肢の温覚と痛覚が部分的に回復し、足底皮膚反射と腹壁反射も正常に戻りました。 手術から1年後の2012年3月、検診のためバルセロナに戻りました。手術後すぐに回復した部分はさらに良くなっていて、口蓋垂は右寄りだったのが正常に戻り、以前よりも体のふらつきを感じなくなりました。くしゃみをする度に起こっていた激痛はほとんどなくなり、以前は一日中あった背中の痛みもそこまで頻繁に起こらなくなり、疲労感も減りました。 また、手術から2年経って回復した症状もあります。例えば、胸郭の温覚、両手の痛覚、背中の痛みの頻度の減少などです。ただ疲労感は増したように思います。でもそれはきっと、以前できなかったことをやっているからだと思います。とにかく、状況は明らかに改善しています。そして一番重要なのは、病気の進行が止まったということです。 ずっと私のそばで支え、手術を受けさせてくれた両親、そして家族のみんなに感謝しています(手術を受けた当時私はまだ未成年だったので、手術同意書には両親が署名しなければなりませんでした)。 また、ロヨ先生、ジョイアさん、そしてフィアヨス先生をはじめとする医療チームにも感謝しています。みなさんのおかげで人生を取り戻すことができました。



カルメン:キアリ奇形、脊髄空洞症、脊柱側弯症

バルセロナキアリ研究所による掲載 2012年7月26日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2011年1月 私が今からここに書くことは長くて痛ましいものではありますが、一患者としてみなさんにいくつかお話しできればと思います。私はおそらく健康で丈夫な子どもとして生まれましたが、8歳になった頃から胸の強烈な痛み、めまい、座骨神経痛、肩こりや激しい頭痛など、奇妙な感覚を覚えるようになりました。 私が10歳になった時、ある先生には月経を早めることによってすべて解決するだろうと言われましたが、健康状態はますます悪化していきました。14歳になった時、脊柱側弯症を患っていたことがわかりました。日に日に増す痛みと疲労感…まるでおばあちゃんのようでした。23歳の時にちょっと転んだ後、右手は萎縮し麻痺状態になりました。8か月後、第2頸椎−第11/12胸椎間のキアリ奇形I型に伴う脊髄空洞症だと診断されました。そして27歳の時、硬膜形成を伴う大後頭孔減圧術を受けました。痙攣(全身に電気が走るような痛み)などはなくなりましたがほかの症状は残ったままで、年を重ねるごとに激しい指の痛みや上肢運動機能の低下、呼吸障害、失声症、発声障害などといった症状も出てくるようになりました。2011年の初め、よく考えた末、キアリ研究所のロヨ先生と医療チームにすべてをお任せすることにしました。あの時手術を受ける決断をして本当によかったと思っています。 体力と痛みは改善され、今では夜眠れるようになりました。40年以上にもわたる闘病生活の末、やっと少し安らぎを見つけました。いくつかの痛みとはこれからも付き合っていかなくてはならないでしょうが、それでも今は生きるということが苦しみではなくなりました。不幸にもこの病気を与えられたみなさんに、病気の進行を止めるためにぜひ終糸切断手術という治療法を一番いい選択肢として見てほしい、そう思っています。 数ヶ月前、私の娘もロヨ先生に手術をしてもらいました(娘の主治医の先生は娘に大後頭孔減圧術を施そうとしましたが、私は騙されませんでした)。 雇用情勢があまりよくないためこれ以上個人情報を公開できないこと、どうかお許しください。



ディエゴ・タスカ:キアリ奇形、脊柱側弯症、脊髄牽引症候群

バルセロナキアリ研究所による掲載 2011年11月9日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2009年5月 私の名前はディエゴ・タスカで、イタリア人です。2003年に心肺停止で病院に運ばれたときに、アーノルド・キアリ奇形だとわかりました。ピオベ・ディ・サッコ(Piove Di Sacco)という病院に運ばれ人工呼吸と心臓マッサージをされた後、すべての検査結果をもとにアーノルド・キアリ奇形という希少な病気にかかっていると診断されました。聞き慣れない病名、特に“希少”という形容詞に恐怖を覚えました。 退院した後、すべての検査結果を持ってパドバ(Padova)にある脳神経外科に行き、 どうすればこの病気を治せるか、何か解決策はないか聞きに行きました(希少な病気とはいえ、完全に未知の病気というわけではなかったようです)。 かかりつけの先生に言われた通り、脳神経外科長のS先生に予約を取って診てもらうことにしました。予約が取れ、すべてをS先生にゆだねました。私と共に苦しんできた母(心配しているにもかかわらず、私の前では強く振る舞っていました)も一緒に来てくれました。先生はMRI画像とピオベ・ディ・サッコ病院の診断書を診て、何か深刻なものではないかとびくびくしていた私の気持ちが少し和らぐまで、ゆっくり穏やかに話してくれました。先生は、この病気は全くの重病ではないといい、虫垂炎と同じようなものだから頸部の部分切開と1日の入院で済む簡単な手術でいいと言いました(本当に先生はこのように私に言ったのです。今でも深く心の中に刻んであるのでよく覚えています)。先生は病気や手術について説明するために、紙に小さな絵を描いて「髪の毛すら切らなくてもできる手術だから大丈夫」と言いました(もちろん一番の心配はそんなことではなかったので、その言葉に腹が立ちました)。先生は、手術の空きが出ればすぐに電話するからと言い、私はその時受診料190ユーロ(私立の病院でしかもパドバで最も権威のある脳神経外科医のS先生の診察だったため、保険適用外)を払って帰りました。 以前の生活に戻ってから1ヶ月半後、母から電話があって、病院から手術の空きができたと連絡があったからすぐにうちに帰ってくるように言われました。 短期入院との説明があったので、うちに着いて必要な荷物だけかばんに入れ、脳神経外科のバドバの病院に行きました。 2003年の7月16日に入院手続きをして、手術を待つ間のベッドを割り当てられました。翌日すべての検査をして手術同意書にサインしました。手術を受けるまでに8日待ち、2003年7月24日に大後頭孔減圧術、第1頸椎の椎弓切除術、硬膜形成術を受けました。手術名を書くのも言うのも簡単ですが、それに耐えて立ち向かっていくのはそんなに簡単ではありません。 術後、S先生が言ったように、ICUで目を覚ました後はどんな動きに対しても感覚がなく、全身に管が通された状態で目だけ動かすことができました(“簡単な手術になるはずだったのでは…?”と疑問に思いました)。 どんな手術だったのか、手術時間がどれくらいだったのか具体的なことはわかりませんが、術後目を覚ますと目に映るものすべてがぼんやりとしか見えませんでした。ICUに何日いたのかわかりませんが、S先生の言った言葉を信じられないほどかなりの時間いたのは確かです。 おびえた目で病室の天井を見上げ、今日はいったい何日なのか、いつから自分はここにいるのか、今私に何が起こっているのか、本当にこの病気を乗り越えることができるのか、そんなことをずっと繰り返し自問自答していたのは本当に辛いものでした。 ICUから一般病棟へ移った後、少しずつ事実を理解していきました(入院生活は本当に過酷で苦しいものでした)。 高熱と激しい痛みが続き、傷口は私が思っていたよりも大きく、今でも頭の後ろにくっきりと見えています。バイタルサインを測定するための針と装置が全身につなげられ、健康状態を管理する変な光る機械もありました。おそらくその手術がどういうものだったのか今後も決して知ることはないでしょうが、頭蓋骨におそらくプラスティック素材の硬膜があるのは確かです。その他のことはよくわかりません。ただ、術後の痛みと手術前の診察で言われたうそを信じてしまった後悔の気持ちを今でも忘れていません(私は周りにがんや血管腫で私より苦しんでいる人を見てきたので、勇敢だっただけです)。 でも、私は間違っていました。その時はまだ病気の深刻さをわかっていなかったのです。13日間入院し、2003年7月29日に退院許可が出てうちに帰り、もう今までの自分ではないことに気づきました。 自宅療法はかなりの時間続きました。具体的に何日か示すことはできませんが、でも痛みは本当にひどいものでした。 あのような手術の後だからこれは普通なのだと、 必死に毎日自分自身を励ましていました。 熱は下がらず一向に熱いままで、くしゃみをするたびに脳に走る激痛で頭が爆発するかのようでした。だから嘔吐やくしゃみをしないようにと必死に祈っていました。 そして、すぐに救急車で運ばれまた病院に戻ってきました。どうして熱が下がらないのかわかりませんでしたが、もしかしたら手術のリスクと禁忌症(硬膜の素材への拒絶反応かアレルギー)だと考えられていましたが、よくわかりませんでした。でも、何があったか問題を解決するために、もう一度頭部を切開するという先生の意図はわかりました。 私はもう精神的にも肉体的にもぼろぼろでした。どんな拷問や治療もあきらめ、ただもう痛みを感じたくないと思いました。 その後、もう一人の先生が薬物療法で治療することを決め、それは確かに効きました。首に差し込まれた装置から薬を注射されたとき、確かに痛みは和らぎました。少しずつ良くなっていき、その時最悪の事態は終わり痛みはあるものの普通の生活に戻ったかのように見えました。 数ヶ月後、CTや脳のMRI検査などをして、すべてうまくいっているように見えましたし、本当にそうでした。何が起こったのかを忘れ一から始めるのはとても大変でしたが、それでも3年間で肉体的にも精神的にも回復しました。 しかしその後、また新たに健康上の問題が出てきました。かかりつけの先生から言われたようにたくさんの検査をし、その検査結果について先生はすべて正常だと言い、手術結果もよかったと言いました。次から次に検査を受けさせられ、最終的には私の精神的な問題だと言われ、何回もそう言われるうちに私もそう思うようになりました。 私は頭がおかしくなりました。でも、頭がおかしかったのは私ではなく、病気のことや病気の悪化に気づかない医師たちでした。 友達に心療内科に行ってみたらどうかと言われ、そのアドバイスを受け入れました(自分が役立たずな人間で、家族に負担をかけてしまっている気がしてどうしたらいいのかわからず、自らの命を2回絶とうとしました)。 M先生の検査を受け、先生に私の事情を話して、入院することになりました。入院日がいつだったか覚えていませんが、でも、とにかく友達の助言通りにしました。 1日目から、病気も気分も悪化しているのに全く効果のない薬をたくさん飲まされ、私にとってはまるで刑務所にいるような感じでした。それでも私は一生懸命に頑張り、そこでいい人たちに出会い、たくさんの人と友達になりました(彼らは痛みを分かち合う必要のある人たちでした)。そんな中、私の症状は悪化していきました。以前はたばこを吸っていませんでしたが、そこに入院してからというもの1日に3箱も吸うほどになりました。私は自由を奪われ檻の中にいるようでした(今でもそこで知り合った人とは連絡を取っていて、あのときそばにいてくれてありがとうと感謝されたりしてします)。 先生には家でも治療を続けるように言われ、精神検査の回数も多くなりました。家に帰りましたが、私の人生はひどくかき乱され、痛みは日ごとに増していきました。それにもかかわらず、私は別人のように仕事復帰し、処方された薬は私の性格を変え、もう前の自分ではありませんでした。それでも自信と気力、そして意志で生きていきました。 2008年まで診察や検査を続けましたが、病気は私の体をだめにしていきました。以前、体重は85キロでしたが20キロ減り65キロになりました。うつは私の一部となって、すべてをさけるようになりました。感覚がなくなり、左半身はほぼ麻痺状態になり、熱さや冷たさが感じられなくなり、血が出ているのを見て初めて自分がけがをしているのに気づきました。 心配になってきたので先生に相談しましたが、先生は、それは精神的な問題だからと繰り返していました。医者でもない、病気について何も知らない先生にもう我慢できなくなって、パソコンで情報を探し始めました。 インターネットを通して、やっと本当のことがわかりました。私の病気は希少な病気だから、医者はどのように治療していいのかわからなかったのだと、そしてついにスペインのバルセロナにある研究所が、バルセロナキアリ奇形&脊髄空洞症&脊柱側弯症研究所というところで治療できる病気だとの説明が書いてありました。メールで連絡を取ることを決め、そこから生きるための病気との闘いが始まりました。 研究所からは、終糸切断手術を行えるかどうか、ロヨ先生が判断するために、私の持っているすべての情報を送るようにとの返事が返ってきました。それと同時に、パドバの脳神経外科の外来に行き、今抱えている問題やスペインで外科的治療を受けるかもしれないと説明したところ、先生の意見は否定的なもので、病気のことをよく知らないのに、先生はイタリアのどの医者もそんな危険なしかも無駄な手術はしたことがないと言いました。先生の話に耳を傾けましたが、私の唯一の関心は、どんな手段でもいいから痛みを取り除くことでした。だから、試してみなくてはいけなかったのです。 スペインに着き研究所を訪ねました 。そこで先生に会い、先生には、この病気は精神的な問題からくるものでは全くないこと、病気がかなり進行していることなどを言われました。先生にはシマ・クリニックで検査をするように言われ、その結果、アーノルド・キアリ奇I型のほか、脊髄空洞症、牽引脊髄症、頸椎前弯症、胸椎側弯症を患っていることがわかり、それによって左半身の麻痺状態という大きな問題を引き起こしていたことがわかりました。さらに、終糸の牽引によって、極めて問題のある6つの椎間板ヘルニア(頸椎2箇所、胸椎2箇所、腰椎2箇所)を発症していたとも言われました。先生には、終糸切断手術ですべての痛みを取り除くことはできないけれど、痛みを和らげることはできるだろうからと、手術を受けるように勧められました。イタリアでは同じ画像を見せても何も問題はないと言われたのに、実際病気はすでにかなり進行していて、多くの部分が損傷を受けていました。もう何も失うものはないと、先生に手術をお願いしました。 手術は、3時間ではなく、30分だけかかりました。目が覚めると、晴れ晴れとした気持ちでベッドから起き上がりました。 術後の検査の日を決め、イタリアに帰りました。別の痛み、けれど、生きる活力を与えてくれました。本当のことを言ってくれる誠実で優しい先生に出会うことができました。1ヶ月が経ち、検査のためにスペインに戻りました。痛い出費ではありましたが、ロヨ先生のおかげでまた生きているのだと感じることができました。スペインに着き、診察を受け、先生は術後のいい結果に驚いていました。私もとても嬉しかったですし、先生も一緒に喜んでくれました。 先生に足の運動系の痛みを説明すると、それは病気とは関係なく、終糸の牽引の結果によって腰部の神経が傷つけられ、痛みを引き起こす腰椎ヘルニアを引き起こしていたと説明されました。先生は、高周波神経切断術をするかどうか確認するために針とX線装置を使って、特殊な検査をする必要があると言いました。 ロヨ先生と医療チームの皆さんには、また一から始める活力と希望を取り戻していただきました。本当にありがとうございました。 ディエゴ・タスカ メールアドレス:[email protected]





ビクトリア・エストラダ:アーノルド・キアリ奇形I型、脊柱側弯症、脊髄牽引症候群

バルセロナキアリ研究所による掲載 2011年10月20日
患者さんの同意のもとに掲載

Date of surgery: February 2011 手術日:2011年2月 私の名前はビクトリア­・エレナ・エストラダです。コロンビアのメデジンの出身で、51歳です。4年前にアーノルド・キアリ奇形と診断されて、大後頭孔減圧術を受けましたが全く意味がありませんでした。最初の6ヶ月はよかったのですが、それからまた症状が戻り、激しい頭痛で、笑うことや咳をすること、くしゃみをすることやかがむこと、運動などの普通のことができなくなり、自分が病気であると忘れられる瞬間は一度もありませんでした。また、夜は両手がしびれ激しい不快感と共に何時であろうと起きてその痛みを取るために手を振ったりしていました。さらに、8年以上前から尾骨付近に激しい痛みがあり、特別なクッションを敷いていすに座らないと痛くてたまりませんでした。全身麻酔で仙骨ブロック注射を受けましたが、効果はありませんでした。 とにかく色々なことが起こり、その度に自分自身の力で何か解決策を探さなければと思うようになり、それがきっかけでバルセロナキアリ研究所のホームページを見つけました。そこには私の病気の解決策が載っていたのです。すぐに連絡を取り、検査画像を送りました。病気の完治は難しいけれど、終糸切断手術で病気の進行を止めることはできると返事が返ってきたので、私はバルセロナに渡り手術を受けることに決めました。 手術を受けてから8ヶ月経った現在、私は病気を発症する前の幸せな自分に戻っています。歌ったり踊ったり、笑ったり運動したり、もう何も体のことで心配することはありません。主人や子供たちも私の元気な様子を喜んでくれています。 信じられないかもしれませんが、手術は痛くありません。唯一不快なことを挙げるとすれば尾骨部の小さな傷口でしょうが、それも術後8日経つと手術をしたことすら忘れてしまうくらい気にならなくなります。コロンビアまでは11時間の長旅でしたが、何も問題なくコロンビアに帰れました。手術から2ヶ月後、少しずつ運動も始めました。 この体験談を読んでいる方に伝えたいことは、もしみなさんの中で終糸切断手術が適用されると連絡がきたら、ぜひ病気を治す選択肢として手術を考えてほしいのです。ロヨ先生は私たちを苦しめている病気の研究に人生を捧げている方です。その先生指導下の研究所の医療チームは全員プロの方です。ロヨ先生、先生の存在に感謝しています! 電話番号:(011574) 3165295566 メールアドレス:[email protected]





パウラ・ゴンサウヴェス:キアリ奇形、扁平頭蓋底、頭蓋底陥入症、歯突起後屈

バルセロナキアリ研究所による掲載 2011年4月19日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2010年5月 みなさん、こんにちは。パウラ・ゴンサウヴェス—フェルナンデスと言います。36歳です。 無数の検査と診察を受けましたが、何の解決策も得られないまま何年もの月日が経ちました。アンドラのMiralles先生を訪ねた2009年7月、今まで撮ったすべての検査画像を提出したところ、まだ私が頭部と脊柱のMRI検査を受けていないことに先生が気づき、MRIを撮るように手続きをしてくれました。そして検査結果を通して、アーノルド・キアリ奇形と診断されたのです。 その後すぐにバルセロナの病院(親切な応対でした)を紹介され、そこで大後頭減圧術を受けるように言われました。2009年8月に手術が行われ、手術は無事に成功しました。 しかし、術後も頭の痛みは残っていて、どうやってもその痛みを取り除くことはできませんでした。脳神経外科医には、背泳ぎをすれば首と背中の筋肉をほぐせるからと言われ水泳を習いましたが、結局改善は見られませんでした。 2010年1月、脳神経外科の先生に、チタン製の板で頭を固定しなければならないだろうと告げらました。手術によって残りの人生は頭を前後左右に動かせなくなる障害を持ったまま過ごしていかなければならないと言われ、私も家族もひどく困惑しました。 その時でした。神様は私に前に進む力を与えてくださり、インターネット上でバルセロナキアリ研究所のウェブサイトを見つけることができたのです。すぐにキアリ研究所に電話し、丁寧な対応のもと診察日の予約をしました。 最初にロヨ先生を見た瞬間から、この先生なら私を助けてくれると感じていました。30代の時からですから約6年間ずっと痛みに耐え、体重も42キロまで落ちました。初診後先生には、今よりももっと充実した人生を送れるだろうと言ってもらい、私は晴れた気持ちで手術を受け入れました。2010年5月5日(今からおよそ1年前)、シマ病院でロヨ先生に終糸切断手術をしてもらいました。 私自身も自分の症状に困惑していたので、うまく言葉で表現できるか自信はありませんが、手術前の病状はというと、当時はあまりにも体調が悪かったので、一体私の体に何が起こっているのかわかりませんでしたし、誰も私を助けてくれる人はいませんでした。一人で歩くことができないうえ、めまいもあったので、主人か子供たち(13歳の娘と8歳の息子)につかまって歩いていました。いつも寒く、足や手のしびれ、蝶のように目が絶えず動いたりすることもあって、14年前から運転免許を所持していましたが、車を運転することはできませんでした。 神様とロヨ先生、そして研究所チームのおかげで今は一人で歩けるのはもちろん、道を渡ることもできるようになりました(手術を受ける前は、車が来ないか左右確認をするのが難しかったです)。仕事場へも車で行け、まるで生まれ変わったようです。以前はできなかった、ソファーやベッドに横になってテレビを見ることも今ではできます。現在の体重は55キロと普通に戻り、以前よりもきれいに、生きる力にあふれた自分がいて、本当に幸せです。以前は息子をお風呂に入れる力さえなかった悲しくて意気消沈していた自分とは大違いです。 ロヨ先生の診察と手術を決心して本当によかったです。私は月曜日にシマ病院に入院し(こちらも素晴らしい対応でした)、水曜日の午後には自宅のあるアンドラに帰っていました。術後4ヶ月経ってすでに変化を感じ始め、人生がいい方向に向いているような気がしました。最初の変化は、一人で道を歩けるようになったことです。日に日にめまいの頻度も減り、眼振も緩和していったおかげで、テレビも見やすくなりました。ロヨ先生や研究所チームの方々は、医者であるとともに、苦しんでいる人に耳を傾け、プロとして、また人間として一番いい方法で最善を尽くそうとしてくれる方々です。心から感謝申し上げます。 私と同じ病気を持っているみなさんに、一度ロヨ先生のもとを訪ねてほしいと思っています。ロヨ先生が助けてくれるので、どうかみなさん先生を信じて絶対に希望を捨てないでください。いつかきっと今の状況を変えることができます。前に進む力を持って頑張ってください。 2011年4月10日 アンドラより パウラ・ゴンサウヴェス・フェルナンデス メールアドレス: [email protected]  





ケリン・アレン:キアリ奇形I型、脊髄空洞症、脊柱側弯症

バルセロナキアリ研究所による掲載 2008年12月10日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2008年12月 みなさんこんにちは。オーストラリアのシドニー出身のケリン・アレンと言います。 バルセロナキアリ研究所のロヨ先生と医療チームに巡り会えることができて、私は本当に幸せ者です。ウェブページにある患者さんの体験談はとても参考になったので、今回ここでこうして私の体験談をお話しできることを嬉しく思います。 キアリ奇形I型と脊髄空洞症と診断されたのは、2007年の8月に検査入院した時でした。私の症状は、激しい頭痛、右脚の痛みと脱力感、実際右脚は麻痺し、感覚障害も見られました。 脚の凝血のため手術は延期されたものの、2008年3月にオーストラリアのシドニーで大後頭孔減圧術を受けました。手術後症状はかなり改善し、頭の痛みは軽減し、脚の麻痺も改善され下肢装具をつければ歩けるようになりました。 しかし、少ししてまた症状が戻ってきました。右脚の筋力低下は悪化し、左脚にも影響が出てきました。下肢装具なしでは直立することができなくなり、頭や背中の痛み、膀胱にも問題が出てきました。両脚の痛みとしびれ、足の裏の焼けるような痛み、両手の妙な感覚もありました。シドニーの病院に再度検査入院することになりましたが、結局原因不明のまま退院しました。 ロヨ先生に私のMRI画像を見てもらった後、2008年12月にバルセロナで診察を受けました。ロヨ先生が私を助けられると聞いて大変驚きました。ロヨ先生はキアリ奇形と脊髄空洞症以外にも、脊柱側弯症と眼震、右手の脱力が見られることも指摘しました。 2008年12月に診察後、私は低侵襲治療の終糸切断手術を受けました。この手術は、キアリ奇形の原因を取り除き、症状がこれ以上悪化するのを防ぐものでした。手術の痛みはほとんどありませんでした。 手術後目を覚ますと、背骨と両脚の痛みやしびれがなくなっていました!手術後9時間経って、私は前よりもまっすぐ立つことができ、普通に歩くこともできました。頭痛も消え、視界もすっきりし、思考力も向上しました。 膀胱の問題も解決し、まるで別人になったようです。他の小さな症状に関しては、これから時間をかけて神経が回復していく中で良くなっていくと思います。幸いにも、神経が再生不可能な損傷を受けていなかったので本当によかったです。現在は筋肉を鍛えてコンディションを整えている状態なので、今後歩行も改善されていくと思います。手術の結果に大変満足しています。 ロヨ先生の研究と外科的治療は、私の人生を大きく変えました!先生をはじめ医療チームの方々のプロ意識、温かさ、人を助けたいという気持ちをひしひしと感じました。オーストラリアの医師にもロヨ先生の技術を受け入れてもらい、オーストラリアの患者さんをもっと助けられるようにしてほしいです。 ロヨ先生、そしてサマンタさんや医療チームの方々には、この先もずっと感謝の気持ちでいっぱいだと思います。また、私を支え手術を受けられるようにしてくれた家族にも、この場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思います。 何か質問があれば、遠慮なく連絡ください。メールアドレス: [email protected]  





ロザリア・モッチアロ(Rosalia Mocciaro):キアリ奇形I型、特発性脊髄空洞症(頸髄)、特発性脊柱側弯症

バルセロナキアリ研究所による掲載 2008年8月31日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2008年1月 私の名前はロザリア・モッチアロです。59歳で、イタリアのシリチア島のパレルモで生まれ育ちました。私は生物学者で、教育に携わっています。55歳になるまで奇病といわれるアーノルド・キアリ奇形と脊髄空洞症を患っていることを知りませんでした。どうしてここまで何もせずに来たかというと、現在のような技術がなかったので、詳しい情報を得る術がありませんでした。とは言え、1990年以降、イタリアのシチリア在住の医師や専門家、神経外科医に診てもらっていましたが、誰もこの病気を見つけることはできず、その間に病気は容赦なく悪化していきました。 脊柱側弯症、手足の脱力感、(年齢を重ねるごとにひどくなる)頭や首の様々な痛みがあり、それは学業から来るものだとか、副鼻腔炎といった全く関係ないことを言われるだけで、診断を下すために必要な検査であるMRI検査については、一度たりとも医者から受けるようにとは言われませんでした。シチリア島、おそらくイタリア全土でもそうでしょうが、医師は正しい診断手順から始めず、むしろ逆のことをしていると思います。実際、正しい診断手順で進められていたら、私の病気もかなり前にわかり、早い段階で終糸切断手術に辿り着けたのではないかと思います…現実は、頸部の大後頭孔減圧術というリスクの高い手術を受けなければならず、その手術後の痛々しい生活に長い間耐えなければなりませんでした。 ここで、発症から現在に至るまでの病状についてお話ししたいと思います。20歳の頃に常に太ももや右脚に痛みがあったのを覚えていて、右半身の温覚異常で、火の近くにいるとよくやけどをしていました。この原因を突き止めようと必死に情報を探していましたが、どの医師にも見つけてもらえませんでした。その後数年間、左脚と左腕に力が入らなかったり、動きが制限され、脊柱側弯症、後弯症も悪化、痛みも年々ひどくなっていきました。何度もレントゲン検査を受け、それに多大な費用がかかったのは確かですが、常に回答は同じでした。 「脊柱側弯症を患っています。若い頃からきちんとケアしておけばよかったのですが…」 うわべだけで意味のない間違った診断名のせいで、何年もの間無駄な理学療法や運動をさせられ、パレルモでは信頼できる医師には出会えませんでした。また、私は寒さに弱いため冬が大嫌いでしたが、夏は一時的に症状が和らぐので、体調不良から解放されました。しかし、それから数年後、徐々に症状は悪化していきました。例えば、歩行障害が現れ、よく転倒するようになりました。実際、よく骨折して、具体的にいうと左脚の脱力感が原因でよくつまづいていました。48歳の時に激しい風邪を引き、それから首と後頭部の痛みが出て、それは頭部全体にまで広がっていきました。薬を飲んでも治らず、医者には副鼻腔炎、筋肉の緊張性頭痛だと言われました。痛みは続き、その結果2013年まで関節症と診断され続けました。その後、理学療法士のアドバイスに従って、私自身の意志で頸部と胸部のMRI検査を受けることにしました。その検査結果から、奇妙な病気、アーノルド・キアリ奇形と脊髄空洞症(第1頸髄-第7頸髄)を患っていることがわかりました。この病気が何なのかわからないため、私はどうしていいのかわからず、一度パレルモの神経内科医にMRIを持っていきましたが、先生もどうしていいのかわからなかったのか、 私の病状は深刻だったようで、すぐにでも脳神経外科で診てもらったほうがいいと言いました。その後パレルモの神経内科医に、イタリア国内で有名なミラノの病院を紹介され、そこを受診しました。 2004年9月にミラノの病院に行き、私の病状は深刻だけれど大後頭孔減圧術を受けたら健康問題は解決し、時間と共に生活の質も改善されるだろうと言われました。2004年11月30日、大後頭孔減圧術を受けました。その後、およそ6ヶ月間の辛くひどい術後が待っていました。術前にあった症状の中で、術後歩行が不安定になり、後頭部の痛み、首の痛みも悪化、さらには嚥下障害(液体)も現れました。大後頭孔減圧術を受けてから体調が良くなることはありませんでした。 術後は毎年MRI検査を受けましたが、術後3年経ってもよくなるどころか、脊髄空洞症の第6頸髄-第7頸髄の空洞は大きくなっていました。心配になって、インターネットで自分のこの奇妙で複雑な病気について調べました。そして、スペインのバルセロナにロヨ先生という脳神経外科医が終糸切断手術という外科治療を行っていて、ロヨ先生の理論によると、その手術で病気の進行が止められるというのです。詳しく調べていくと、ロヨ先生はコラチャンクリニックという権威のある医療機関に勤めていて、イタリア人でこの奇病を患っている人たちには有名な医師であることがわかりました。また、イタリアのトリノにアーノルド・キアリ奇形患者の友の会があると知り、そこで終糸切断手術の効果について書かれた患者の体験談がありました。私は早速スペインで終糸切断手術を受けたイタリア人患者にコンタクトを取り、術後の症状の改善だけではなく、患者の中には術後直後に病気の症状が一切なくなった人もいることがわかりました。それを聞いて、私はますますスペインで手術を受けたいと思うようになりました。 2007年11月にバルセロナキアリ研究所に問い合わせをし、2007年11月28日に診察予約をしました。そこでロヨ先生に、私が終糸切断手術を受けられると言われました。また、大後頭孔減圧術は時代遅れの手術で、体に負担のかかる危険な治療法だと言われ、これまで大後頭孔減圧術に関して見聞きした情報が確証されたとともに、この病気がもたらす生活の質の悪化や死亡率を安易に考えてはならないと思いました。手術は高額で、私は(おそらくほとんどの患者さんも)そんな額のお金を持ってはいませんでしたが、それでも手術を受けることにしました。親族の協力もあって、なんとか必要な資金は集まりました。 手術費用の払い戻しを受けるためには、パレルモの公立病院の脳神経外科医の証明書が必要だと知り、3人の先生にお願いしましたが、「ロヨ先生の手術はイタリアではあまり知られてないから、証明書を得るのは難しい」と言われ、拒否されました。パレルモの脳神経外科から証明書の発行を拒否されたものの、私はロヨ先生の行っている手術を受けにバルセロナへ行きました。パレルモの脳神経外科医に何度も手術の証明書の発行をお願いしましたが、先生には、イタリアでもこの手術は受けられると言われるだけでした。それはもちろん嘘で、仮に行われていたとしても、ロヨ先生のような30年以上の研究とその分野でのキャリアと同等の実績を出せるとは思いません。高リスクの大後頭孔減圧術ではなく、ロヨ先生の行う終糸切断手術に身を委ねることにしました。 そして2008年1月31日に手術を受け、術後、症状の起伏はありますが全体的に良好です。もちろん、手術によって回復することが一番ですが、少なくとも新しく撮るMRI検査で病気の進行が止まったということを確認するのを、楽しみにしています。 メールアドレス: [email protected]




診療受付時間

月曜日~木曜日:9時~18時

(日本時間:16時~25時)

金曜日:9時~15時

(日本時間:16時~22時)

土曜日、日曜日:休診

[email protected]

お問い合わせフォームで

24時間ケア

+34 932 800 836

+34 932 066 406

リーガル・コンサルティング

法的規制

免責事項

住所

Pº Manuel Girona, nº 32

Barcelona, España, CP 08034