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特発性脊髄空洞症


1993年10月20日から2017年7月まで、神経頭蓋脊柱症候群/終糸病によるアーノルド・キアリI型症候群(キアリ奇形I型)、特発性脊髄空洞症、特発性脊柱側弯症の患者さん1000名以上に対して、終糸システム(FILUM SYSTEM®)を適用し終糸切断手術を行ってきました。

軽度の合併症が見られた5例を除き、多くの症例で非常に良好な成績を収めています。

数年前から、終糸切断手術を受けた患者さんそれぞれに手術に対する感想や体験談などを書いていただきこちらに掲載しています。体験談を書かれた患者さんは、同じように病気で苦しんでいる人の助けになりたいという気持ちでお書きになっていらっしゃいますので、ぜひご一読ください。ご協力いただいた皆様には、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

 

注: こちらに掲載している体験談は、患者さん個人の経験や感想であり、バルセロナキアリ研究所としての見解を示すものではございません。


ヨンファン・キム:キアリ奇形、脊髄空洞症、脊柱側弯症、椎間板ヘルニア

バルセロナキアリ研究所による掲載 2021年11月26日
患者さんの同意のもとに掲載

更新日:2021年10月19日 みなさん、こんにちは。体験談を書いてから数年が経ちましたので、ここで現在の症状について書きたいと思います。 2016年10月に終糸切断手術を受けてから、今年で5年が経ちました。基本的に、めまい、腕と脚の痛みといった術前にあった症状は、疲れた時や体調が悪い時以外にはほとんど出なくなりました。まれに、尾てい骨または臀部の下の部分が痛むことがありますが、それも数日経つとなくなります。また、筋肉の痛みは減少し、握力が少し改善されたような感じがします。術前は、腹部の張りが原因で制限されていた運動が、できる範囲でですが、今では気にすることなくできるようになりました。全体的に、健康状態はよくなりました。 診断名が下されてから手術を受ける前までの辛い時期を振り返ると、今の痛みのない人生は、なんて素晴らしいものなんだろうと気づかされます。 バルセロナキアリ研究所のスタッフの皆さんには大変お世話になりました。この感謝の気持ちは、決して忘れません。 Correo electrónico: [email protected]    手術日:2016年10月 こんにちは。私の名前はヨンファン・キムで、韓国に住んでいます。 最初に症状が出たのは2015年6月でしたが、医師から原因を知らされるまでかなりの時間がかかりました。MRI検査を3回も受けたのにその時は何もわからず、脊髄空洞症と診断されたのは大学病院に移ってからでした。医師には脊髄空洞症の空洞の大きさから見て、症状はそんなに出ていないはずだから心配しすぎているだけだと言われました。他に何か原因があるのではないかと思い他の検査も受けましたが、特に異常は見つかりませんでした。当時はめまいと腕と脚の激しい痺れがありました。 バルセロナキアリ研究所の存在は、インターネットの掲示板サイトを通じて知りました。韓国では脊髄空洞症と診断されたものの1年後にMRI検査で経過観察を行うとだけ言われていたので、研究所の病気に関する研究記事や体験談は興味深く、とても希望の持てるものでした。 それから1年が経ち、脊髄空洞症と診断された当時より症状は良くなっていましたが、何もしないで待つのは嫌だったので、バルセロナキアリ研究所で診察を受けることにしました。バルセロナキアリ研究所での体験はとてもよいものでした。研究所の先生に丹念に診てもらい、私のMRI画像から確認できる病状を丁寧に説明してくれました。診察中の先生の「手術によって病気の進行が止められる」との言葉に、希望を抱くことができました。当時の症状はそこまでひどくはありませんでしたが、病気の進行を止めるため手術を受けることにしました。術後の変化は驚くもので、めまいが改善され、まるで病気の症状が現れる前の頃に戻ったようでした。術後の痛みは手術部位である尾骨の軽度の痛みだけで、手術から3日後には最高のコンディションで素晴らしい天候の中スペイン観光をすることができました。 手術から3ヶ月後に症状はぶり返しましたが、その後2週間経ってまた良くなりました(症状の起伏については事前にバルセロナキアリ研究所から聞いていました)。私が驚いたのは、脊髄空洞症によって生じたものだと思っていなかった症状が、時間とともに改善していったことです。例えば、以前は正しい姿勢を保つことが難しかったのが、術後はまっすぐな姿勢を維持できるようになりました。また、よく耳鼻咽喉科で診てもらっていた耳の内部の痛みが終糸切断手術後に消え、両手の握力も明らかに増えたように感じます。この症状以外にも、後頭部の震えや手首と足首の熱感などの症状もよくなりました。 最近では朝にジョギングをしたり、ヘルニアのために自重でのエクササイズを行ったりと、体調もよく元気に過ごしています。以前だったら、有酸素運動をしただけでも筋肉痛がひどかったのですが、今は運動をしても負担に感じることはありません。 手術を受ける前の1年間、めまいと手足の脱力感を改善するための唯一の方法は寝ることでしたが、終糸切断手術を受けてから、私の人生はもっと活動的なものになりました。このままの病状が続いてくれればと願うほど、体調はいいです。たまに症状が現れたりしますが、以前に比べればごくわずかで日常生活に支障をきたすことはありません。手術から7か月しか経っていませんが、すでに多くの症状に改善が見られているので、今後も症状が良くなることを信じています。 バルセロナキアリ研究所を創設してくださったロヨ先生、そして丹念に診察してくださったサルカ先生、韓国に帰る前の術後の診察をしてくださったフィアヨス先生、そして研究所に行く前から現在まで、病気の相談にのってくださったキムさんに心から感謝申し上げます。また、難病治療のために全力を尽くしてくださっているバルセロナキアリ研究所スタッフの皆さんにもこの場を借りて感謝申し上げます。 バルセロナキアリ研究所チームの皆さんにまたお会いできること、そして最高のコンディションでまた素敵なスペインの風景を楽しめる日が来ることを心から願っています。 ※患者さんがスペイン語でメッセージを残しています。“ Ellos me dieron una nueva vida. Gracias! Adiós!(日本語訳:バルセロナキアリ研究所は私に新しい人生を与えてくれました。ありがとうございます!また会いましょう!)





オルガ・ベロバ:アーノルド・キアリI型症候群、脊髄空洞症、脊柱側弯症、終糸病、神経頭蓋脊柱症候群

バルセロナキアリ研究所による掲載 2021年9月20日
患者さんの同意のもとに掲載

  手術日:2020年2月6日     私たち家族は、娘の脊髄空洞症の治療のためバルセロナキアリ研究所へ向かいました。母国ロシアでは、体に負担のかかる治療だけしか提案されず、私達は少しでも負担の少ない治療を受けさせようと思ったのです。多くの人にバルセロナでの治療は意味がないと反対されましたが、娘が背中の痛みを訴えていたので、終糸切断手術を受けさせることにしました。手術は無事に終わり、翌日に娘は一人で普通に歩けるようになり、痛みもほとんどなくなったと言っていました。 そして現在、手術から1年半が経ち、(特に運動などはしてないものの)背中の痛みはほぼなくなりました。術後検診のためMRI検査を行ったところ、術前の空洞の直径は9mmだったのですが、今回2mmまでに減少し、他の部分も細くなっていました。 バルセロナキアリ研究所チームの皆さんには大変お世話になりました。益々のご活躍、ご多幸をお祈りしております。 オルガの父マキシム・母アラ 連絡先: [email protected]   (*) Royo-Salvador, M.B., Fiallos-Rivera, M.V., Salca, H.C. et al. The Filum disease and the Neuro-Cranio-vertebral syndrome: definition, clinical picture and imaging features. BMC Neurol 20, 175 (2020). https://doi.org/10.1186/s12883-020-01743-y , https://rdcu.be/b36Pi





マリア=マッダレーナ・クラボル. キアリ奇形、脊髄空洞症、脊髄牽引症候群

バルセロナキアリ研究所による掲載 2018年3月7日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2013年12月3日 マリア=マッダレーナさんは2013年に終糸システム®適用での終糸切断手術を受け、2017年に術後5年検診のため、MRI検査を受けられました。 終糸切断手術を受ける前と受けた後の画像を比較すると、明らかに脊髄内の空洞が減少しているのが確認できます。 2013年と2017年の脊髄空洞症のMRI画像の比較





ラリサ・クズニエツォバ:キアリ奇形、脊髄空洞症、神経頭蓋脊柱症候群、終糸病

バルセロナキアリ研究所による掲載 2018年1月29日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2016年2月 病気と術後の回復記 3、4歳の頃から、色のついた物が振動しているのが見えたり、宙に浮くような感覚があったのを覚えています。小さい頃はおとなしい性格で、動きを伴った遊びよりも、静かな暖かい場所で落ち着いた遊びをするのが好きでした。12歳の時には、少し活発になりましたが、体育の授業は苦手でした。ロープ上りの時間では、胸部が痛くなり、手に力が入らなかったので上ることができませんでした。走ったりジャンプしたりすると首や頭に変な感覚があったので、あまり好きではありませんでした。また、幼少期から匂いを区別することができません。 最初の出産(自然分娩でしたが陣痛がなく、難産)では輸血が必要になり、両太ももに長さ約30cm、深さ3〜5cmの窪みが形成され、痛みはなかったものの、見た目は恐ろしいものでした。これは1年半後に消えました。 息子が1歳半になった時に、仕事復帰しました。うちで仕事をすることも多く、1984年6月に自宅で仕事をしていた時に、突然15分間ほど何も見えなくなりました。救急車で運ばれ、私の血圧を見てびっくりした医師の口から「この血圧では死んでもおかしくない」と聞こえたほどでした。入院しブロック療法を受けましたが、結局病院では異常は見つかりませんでした。退院してからは、たまにですが激しい頭痛、低血圧、めまい、吐き気があり、数回吐いたこともあります。何回も気を失いそうになり、耳鳴りもありました。 1985年に第二子を出産しました。この時も陣痛がなかったので、陣痛促進剤が打たれました。お産はとても早かったです。最初の1年はよく風邪を引いていて、1年経っても傷口は塞がりませんでした。数ヶ月ずっと炎症を起こしていて、傷口が膿んでしまい、傷跡は残り、どんな治療も効果がありませんでした。同じ頃、心臓が痛むようになりました(少なくとも私にはそう思えました)。左向きで横になると心臓が激しく鼓動するのが聞こえ、その鼓動を耳で感じるほどでした。その時の血圧は92-125でした。慢性的な頻脈だと診断されましたが原因はわからず、2002年までずっとこのような状況でした。 2002年、私たち家族はニュージーランドに住んでいて、肉屋を経営していました。仕事は肉体的に辛く、常に寒かったです。ストレスもたくさん抱えていました。7月/8月に最初の症状が見られました。意識を失い、意識を取り戻した時には激しい頭痛があり、舌がもつれ、左足を引きずって歩かなければならず、左腕はぶら下がっているような感覚で、筋肉痛もありました。顔の左半分は垂れ下がっているように感じました。入院することになり、脳のMRI検査を受けましたが、何も異常は見つかりませんでした。その後3ヶ月のうちに頻脈、低血圧、吐き気、頭痛などがありました。一度、20歳の息子が付き添っている時に、心肺停止の状態に陥ったことがあります。意識を取り戻した時には全身がむくんでいて、頭痛を伴った心臓の激痛があり、1週間入院しました。耳鳴りがまた始まり、時々何も聞こえなくなりました。 退院してからは右膝が痛むようになり、特に座った後に起き上がろうとすると痛みました。この時期は痛みがひどくて叫ぶほどで、それは2年ほど続きました。治療の効果はなかったのですが、痛みはいつの間にかなくなっていました。この二年間のうちに造影剤を使って全身MRI検査を受け、脊髄空洞症とキアリ奇形I型が見つかりました。 2005年12月末にロシアのトムスクに帰国しました。2008年と2011年に特に症状が現れましたが、年に2回ほど神経病理学の先生に診てもらい、脳のビタミン剤と抗うつ剤を処方してもらいました。2008年以降、イライラすることが増えました。生まれてからずっと手と足は冷たかったです。下半身の筋肉をつけるため、体の痛みはあるものの1988年以降、毎日運動はしていました。 2013年から体の関節や筋肉のあちこちが常に痛むようになりました。左脚の骨が焼けるように痛み、両足の痛みを伴う痙攣が15分〜30分ほどありました。また、便失禁もあり、外出時に何回か我慢できなくて便が漏れてしまうこともありました。 2014年には外出中に転倒することがあり、誰かに後ろから膝を曲げられたような感覚がありました。2015年から朝起き上がる時に転倒することが増え、アキレス腱の痛みと衰弱感がありました。2km以上歩くと激しい疲労感に襲われ、めまい、衰弱感、吐き気、そして時には嘔吐もあり、階段の上り下りも辛かったです(エレベーターのない6階のアパートに住んでいました)。 2016年2月23日にバルセロナキアリ研究所で終糸切断手術を受けました。2016年2月24日に退院。手術は無事に終わり、体調はとてもいいです。 手術から1ヶ月後 目のむくみ、まぶた(特に右側)の痛みがありました。2016年3月2日まで、朝の目やにが酷かったです。2016年3月2日以降は、目が重く感じることもなくなり、上下左右を見るのも楽になりました。2016年3月3日からは、両手の肌の色が変わり、赤みやむくみも取れていきました。顔やまぶたのむくみも取れ、目が以前より大きく見えました。左向きで横になった時にもう心臓の音も聞こえませんし、終糸切断手術を受けてから血圧は73-75です。 15年間、背中と腰の痛みからうつ伏せになって寝ることができませんでしたが、手術を受けてからはうつ伏せで寝られるようになりました(うつ伏せで寝るのが好きです)。もう骨も関節も痛くありません。腎臓も腸もうまく機能しているようで、トイレも我慢できるようになり、この月は二度だけ便失禁がありました。よく歩くようになり、5km〜7km歩いても疲れることはありません。手術の時の静脈注射の跡は術後すぐに消えました。以前なら長い間膿が出て、跡が残っていたはずです。 爪の色も変わりました。手術を受ける前は、足の指2本は黒く、どんなケアをしても色は変わらなかったのですが、術後爪の色は正常に戻りました。すべての爪が輝いています。声がかれたり咳もよくしていたのですが、2016年2月29日以降は声がかれる回数も減り、特に夜は喉が潤っているように感じます。体温も変わりました。血行がよくなったようで、体がぽかぽかするので、もう夜寝るときに靴下を履かなくてもよくなりました。頭もすっきりして、耳鳴りもなくなり、よくいらいらしていたのですが、術後は落ち着いています。 2016年3月3日、左足に痙攣がありましたが、数分で消えました。2016年3月4日に術後検診に行き、全てに改善が見られました。左手の握力が以前は7kgでしたが10kgになっていました。傷口のガーゼを替えてもらい、傷口はきれいに塞がってきていると言われました。もう問題なく座ることができます。3月5日の朝に2時間ほど左肩と左腕に軽い痛みがありましたが、今は何時間も歩くことができ、体力もあります。 今日は2016年3月6日。2015年に階段から転倒した時にできた傷と両足の犬に噛まれた跡は、今では目立たなくなりました。2016年3月7日にロシアに帰国した際には傷口が少し痛みましたが、無事に飛行機に乗って帰れました。 2001年と2006年の2回、血清腫除去のために腹部の手術を受けましたが、それ以降、お腹を触るとクッションのように何も感覚がありませんでしたが、終糸切断手術を受けてからは、神経機能が回復したようで、腹部を触るときちんと感覚があります。さらに、腹部の手術でできたケロイドが今月になって目立たなくなってきた気がします(今日は2016年3月5日)。朝に咳があり、白い液体のようなものが出ますが、これは肺をきれいにしているからでしょうか。  手術から2ヶ月後 体調は安定しています。ごくたまに両脚に30分ほどの筋肉痛がありますが、ごくわずかです。まだ傷口が痛むので、試してみましたがセックスはできませんでした。傷口の痛みは2週間ほど続き、頭痛は軽度でしたがありました。咳をすると、まだ白い液体が出てきます。肺の中をきれいにしているからではないかと思っています。 体幹と上肢の運動を1日20分、フィットネスバイクを1日おきに5分、そして毎日5、6kmは歩いています。フィットネスバイクを3回やったところ、腰部(傷口でしょうか)が痛むようになり、今はやめて少し様子を見ています。 4月14日から15日まで寝ている時に両膝と両肘、両腕の激しい痛みがあり、起きようとしても起きられず、ただ、朝起きると痛みがあるのは両肘のみで、運動をすると消えました。その2日後、太ももの痛みで目を覚ましましたが、朝には消えていました。右太ももの窪みは以前より目立たなくなってきて、臀部の窪みも同様に薄くなっています。腰部の痛みは軽度ですが、まだあります。便失禁については手術から2ヶ月経って、すっかり改善されました。トイレを我慢することができるので、安心して散歩ができます。 手術から3ヶ月後  体調はよく、活発に動いています。4月25日と26日の夜に下半身(鼠蹊部からつま先にかけて)が痛くて目が覚めました。筋肉痛や骨の痛みがありましたが、30分も続かずすぐに消えました。翌日は短時間でしたが両膝の痛みがありました。これは神経が回復したからでしょうか。5月1日は傷口が焼けるように痛かったですが、痛み止めを飲むと消えました。5月10日の夜に右腕の痛みがありましたが、すぐに消えました。5月19日から21日にかけて朝にあった咳はなくなり、肺から出る白い液体もなくなりました。 手術から3ヶ月後の最終週、階段を上り下りしながら壁紙を貼っていたところ、腰が痛くなりました。鎮痛剤を飲んだら痛みが和らぎましたが、まだこういう動きは早すぎたのだと思います。今日は5月23日で、1週間前から左目が痛むようになりましたが、軽度です。 手術から4ヶ月後 (2016/5/24-2016/6/24)  体調は良好、安定しています。よく歩き、活発に動いています。2、3ヶ月の間で、今月は頸部が少し痛み、数日間疲れが取れない時がありました。 手術から5ヶ月後 (2016/6/24-2016/7/24) 体調は良好、安定していて、よく歩いています。ベトナム旅行に行き、たくさん歩きましたが、体調はとてもよかったです。6月27日の夜に30分ほど両膝が痛みました。 手術から6ヶ月後 (2016/7/24-2016/8/24)  誕生日(8月2日)の3日前から傷口が痛むようになりました。1週間痛みは続き、数日間運動をやめたところ、痛みは消えました。 8月30日に眼科医の診察を受け、先生には視力が70%もよくなったと言われました。現在、眼鏡をかけなくても車の運転ができるようになりました。視力はだいぶ回復し、術前は左目が-1,5、右目が-1で、両眼ともに-1の乱視だったのが、現在は両眼ともに-0,75で、左目の乱視はCYL -0,5、AXIS 45ºです。 手術から1年後  体調はよく、前より活発に動いています。唯一残っているのは軽度の腰痛です。4月に術後検診のため再度MRI検査を受けるので、どのような結果が出るか楽しみです。 メールアドレス: [email protected]





デイズ・アパレシダ:キアリ奇形、脊髄空洞症、神経頭蓋脊柱症候群

バルセロナキアリ研究所による掲載 2018年1月11日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2017年3月 私の名前はデイズです。現在34歳で、28歳の時から原因不明の疼痛が不定期にありました。2014年7月に痛みは悪化し、とても痛かったのですぐに病院で診てもらうと、腰椎、鬱、線維筋痛症と診断されました。病院から指示された治療を続け、処方薬も飲みましたが、痛みは治まりませんでした。 痛みがひどかったので病院に行き、当直医だった先生に薬を飲んでも効果は得られず、もうこれ以上痛みに耐えられない旨を話すと、先生から腰仙部のMRI検査を受けるように言われました。そしてその検査結果を持って整形外科に行くように言われました。 整形外科の先生には「MRIから異常が見つかった」とだけ告げられ、具体的な説明は受けず、脊椎の専門医を受診するように言われました。家に着いてから、検査結果の報告書に書いてあった“脊髄空洞症”についてインターネットで調べると、“奇病であり、脊髄の退行性疾患。治療法はなく、時間とともに車いす生活を強いられることになる”と書いてあり、その時私は自分が“爆弾”を抱えていることに気づきました。 バルセロナキアリ奇形&脊髄空洞症&脊柱側弯症研究所のホームページは、病気について初めてインターネット検索した時に見つけていましたが、書いてあることがあまりにも私が他のサイトで読んだ内容と違うので、気に留めていませんでした。その後、病気についてさらに調べていくと、Facebookに患者さんによって作られた患者サポートグループがあり、グループメンバーが意外に多かったので、私が思っていたよりも稀な病気ではないことがわかりました。そのグループメンバーの中で、バルセロナで治療を受けた人に連絡を取り体験談を聞くと、手術はとてもよかったそうで、従来の手術(大後頭孔減圧術)を受けたブラジル人患者さんの意見とはかなり違うものでした。 早速、検査画像をバルセロナキアリ研究所に送り、研究所からは私がキアリ奇形、脊髄空洞症以外に神経頭蓋脊柱症候群を患っているとの返答がありました。また、手術費用の見積も送られてきました。 2016年4月に、手術費用を準備するため募金活動を始めました。募金活動の期間はおよそ1年で、2017年3月21日、待ちに待った終糸切断手術を受けることができました。手術から8時間後には、腕や脚の筋力の改善を明らかに感じ、手術から10日後の術後検診では、それ以外の改善点も確認できました。特にびっくりしたのが、右腕(運動機能はすでに失っていました)と三か所の反射の亢進が改善していたことでした。術後すぐに反射の正常化が見られ、これは通常術後1年経ってからよくなるものだそうです。大きな改善点は、後頭部、頭部、頸部、右肩と腰部の痛みがなくなったことで、生活の質が改善されました。現在手術から3ヶ月が経ちますが、術前に処方された抗うつ剤(痛みの原因は精神的なものからくると言われて処方されたもの)はもう飲んでいません。 バルセロナキアリ研究所では、病気の進行を止めるために手術が行われますが、私はそれ以上だと思っていて、手術を受けたことは私の人生で一番いいお金の使い方をしたと思っています。 夢の実現をサポートしてくれた神様や周りの人に感謝し、私や他の終糸切断手術を受けた患者さんの体験談が、多くの医師の注意を引き、終糸切断手術の効果をより多くの患者さんが得られることを願っています。 連絡先: [email protected]





アブダラ/ファイサル・アルジョハニ:キアリ奇形I型、脊髄空洞症、脊柱側弯症

バルセロナキアリ研究所による掲載 2016年12月23日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2016年4月 私の名前はファイサルで、15歳になる息子アブダラの父です。私達家族は、現在サウジアラビアに住んでいます。息子に代わって私達夫婦が、バルセロナキアリ研究所での治療に至った経緯をお話したいと思います。 アブダラの初期症状は、左手の筋萎縮と左半身の感覚障害(50%)でした。その後、めまい、頸部拘縮、胸部痛(落馬後に悪化)などの症状が現れました。2015年から病状は見る見るうちに悪化し、サウジアラビアの先生に脊髄空洞症と診断されたのはその時で、早急に大後頭孔減圧術を受けるように言われました。 手術に抵抗があったので、インターネットで脊髄空洞症の治療に詳しい病院を捜し始めたところ、バルセロナキアリ研究所とロヨ研究所所長の情報を見つけました(偉大なフィアヨス先生、丁寧な患者ケアをしてくださった研究所チームのこともここで言及したいと思います)。 すぐにバルセロナキアリ研究所のアラビア語担当のサファさんに連絡を取り、2016年4月20日に診察を予約しました。診察後、先生から終糸切断手術で息子の病気を治療する必要があると言われ、翌日の4月21日に終糸切断手術を受けさせ、無事に治療を終えました。術後、明らかにアブダラの病状は改善されました。 フィアヨス先生、アラビア語担当のサファさん、そして研究所チームのみなさんには心から感謝申し上げます。 ファイサル-サアド・アルジュハニ 連絡先:[email protected]





バルバラ・ブラシェ:脊髄空洞症、脊柱側弯症、脊髄牽引症候群、胸椎椎間板ヘルニア(T6-T7)

バルセロナキアリ研究所による掲載 2015年1月23日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2009年2月 私はフランス人で、現在41歳です。特発性脊髄空洞症と特発性脊柱側弯症、胸椎椎間板ヘルニア(T6-T7)を患っています。 数年前のことですが、フランスの医者にはもう少し病気が悪化したら、シャント術を受けるように勧められました。その手術は脳脊髄液を排除(ドレナージ)するという大変危険な手術で、多くの場合再手術になるそうです。もちろん私はその手術を受けようとは思いませんでしたが。 2008年終わりに、病気の悪化で杖をついて歩くようになりました。最初は杖1本で済んだのが、最後は2本必要になり、時には車いすで移動したりしていました。体の痛み、特に左半身の痛みがひどく、感覚異常、しびれ、電気が走るような痛みもありました。また、尿失禁、偏頭痛、めまいがひどくて、時には道の真ん中で気を失うこともありました。県障害者センターから障害率80%と障害者認定を受け、それからは毎日うちにヘルパーさんが来て、家事を手伝ってくれるようになりました。車の運転もままならず、まるで牢屋に閉じ込められた”囚人”のようでした。 長い間、医者には私が病気をでっち上げていると嘘つき扱いされ(特に発症した当初)、その後は薬漬けの毎日を過ごしました。このままではいけないと思い、インターネットで自分の病気について調べたところ、病気に関する掲示板を見つけました。その掲示板を通して、病気の進行を止められる手術があることを知りました。 バルセロナに行き、ロヨ先生の懇切丁寧な診察を受けました。そして2009年2月10日、バルセロナでロヨ先生に終糸切断手術をしてもらいました。この手術のおかげで人生は一変しました!手術直後から大きな変化を感じ、例えば術後、床に足をつけると廊下の冷たさを感じることができました。ずっと苦しめられていた神経痛もなくなり、脚に力が入るようになりました。退院して病院を出る時には、もう足を引きずって歩くこともなく、なんとも素敵な驚きでした。脊髄空洞症は2000年に見つかっていたにもかかわらず、フランスの医者から適切な治療を受けられなかったために、終糸切断手術を受ける2009年までの9年間、意味もなく病気に苦しめられました。 術後について簡単にまとめると、終糸切断手術後、数週間は痛みが続いたのを覚えていますが、術前にあった痛みとは比較にならない軽いものでした。そのため、一度も痛み止めの薬を飲むことはありませんでした。今はもう治療も理学療法も杖だって必要ありません! その他の症状は手術から数ヶ月後に徐々に消えていき、最後はすべて症状がなくなりました。当時まだ残っていためまいに関しては2012年に完全になくなり、もう不安定な足場でふらつくことはありません。 本日(2015年1月14日)、バルセロナキアリ研究所に術後検診に来ました。反射は正常に戻り、本当によくなったことに気づかされ、全体の95%回復したと断言することができます。残りの5%は背中の痛みがあるからですが、でもそれは触診の時だけに現れる症状です。背骨のちょっとしたしびれや左腕の若干の痛みはありますが、痛みが出ても長引くことはなく、頻度も少なくなってきています。痛みは勝手に消えてくれるので、もう鎮痛薬に頼る生活をしなくてもよくなりました。唯一足の反射にまだ少し異常が出ていますが、“ほんの少し”だけです。現在は体調もよく、訪問介護員として5年半前からほぼフルタイムで働いています。 ロヨ先生と研究所チームのみなさんの優しさとプロ意識の高さに、深く感謝しています。終糸切断手術を受けていなければ、まちがいなく今頃私は車いす生活をしていると思います。 ここで明確にしたいのは、ロヨ先生は一度も病気が治るとか病気が回復するなどという発言はしていないということです。私の症状がこんなに回復したのは、本当にラッキーだっただけです。体の反応は人それぞれ違います。それを忘れてはなりません。 バルバラ・ブラシェ 質問があれば、いつでも連絡を待っています。 メールアドレス: [email protected]





オレッグ・リ(Oleg Li):キアリ奇形、脊髄空洞症、脊柱側弯症、脊髄牽引症候群、複数か所の椎間板症

バルセロナキアリ研究所による掲載 2014年2月18日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2013年12月 あけましておめでとうございます。私の名前はオレッグ・リです。36歳で、家族とカザフスタンのアルマトイに住んでいます。バルセロナキアリ奇形&脊髄空洞症&脊柱側弯症研究所のロヨ先生とニナさん、研究所チームのみなさんに深い感謝の意を表したいと思います。 私は幼少期から脊柱側弯症を患っていました。小さい頃からスポーツをやっていて、よく怪我をしていました(その中にはスポーツが原因ではないものもあります)。重度の側弯症で兵役は免除になりました。20歳頃から左手の萎縮、温覚と痛覚の消失が見られ、腕が動かしにくくなり、体力も落ちていきました。そんな状況であってもすべては側弯症が原因で起こっていると思い、あまり気にしていませんでした。そもそも、一度も脊柱側弯症の原因について考えたことはありませんでした。 30歳になってから左手はさらに萎縮し、激しい頭痛と胸痛、腰痛、血圧の上昇、免疫力の低下で頻繁に体調を崩していました。また、疲れやすく無気力で、怒りっぽくもなっていました。スポーツのおかげで幾分よくなりましたが、左手は萎縮する一方で、力も入らなくなっていきました。35歳に左脚の痺れが現れ、頭痛、胸痛、腰痛が悪化していきました。36歳になった2013年10月、神経病理学医の母のアドバイスでMRIを撮り、アーノルド・キアリI型症候群(キアリ奇形I型)と脊髄空洞症(特発性脊髄空洞症)を患っていることがわかりました。母は私の病気とその治療法についてインターネットで探し始め、バルセロナキアリ奇形&脊髄空洞症&脊柱側弯症研究所を見つけました。その後、インターネットの情報が本当かどうか人に聞いたり調べたりしたそうです。私は母にキアリ研究所で手術を受けたらどうかと言われ、個人的に患者さんの体験談や終糸切断手術について読んだ後、手術を決めました。 2013年12月17日、アーノルド・キアリI型症候群(キアリ奇形I型)と脊髄空洞症(特発性脊髄空洞症)、そして脊柱側弯症(特発性脊柱側弯症)の診断名のもと、終糸システム(Filum System®)を適用して終糸切断手術が行われました。キアリ研究所ほど患者さんのケアが行き届いている医療機関にかかったことがなかったので、研究所チームの皆さんの親切な対応とプロ意識の高さに大変驚きました。私はキアリ研究所の終糸切断手術のおかげで、病気の進行と原因が取り除かれたと確信しています。今私は新しい人生をスタートさせ、もう車いす生活になるのではないかという不安を抱くこともありません。ロヨ先生と研究所チームの皆さんに出会えて、私は本当に幸せです。 この病気を患っているみなさんにロヨ先生や研究所チームのこと、終糸切断手術のこと、そして研究所チームの素晴らしさを語っていきたいと思います。 ロヨ先生、ロヨ先生と先生のチームの益々のご活躍、そして病気で苦しんでいる患者さんを病気から救うために設立されたバルセロナ終糸アカデミーの成功を、心よりお祈り申し上げます。また、ニナさんとフィアヨス先生にも、この場を借りて御礼申し上げます。 バルセロナへは初めて行きましたが、大変有意義な時間を過ごすことができ、街並みの美しさ、独創性、人の温かさに深く感動しました。 メールアドレス:[email protected] 携帯電話:+7 701 715 08 00





ヴィオレッタ:脊髄空洞症、アーノルド・キアリ奇形I型、脊柱側弯症、脊髄牽引症候群

バルセロナキアリ研究所による掲載 2013年9月12日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2011年10月 みなさん、こんにちは。 娘のヴィオレッタの体に異変が現れたのは6歳の頃でした。左かかとが常に空中に浮いているようで、うまく歩けていませんでした。その後、脊柱側弯症が判明しました。左右の肩の高さが違い、両足を使ってきちんと歩くことも、直立することもできず、やがては娘の生活態度にも問題が出てきました。 2010年3月に背中のMRIを受けて、脊髄空洞症および水脊髄症と診断されました。娘の健康問題がわかって嬉しかった一方で、今後どうすればすればいいのかわかりませんでした。それから1年半の間に、様々な病院を回って脳神経外科医の診察を受けさせました。しかし残念なことに、娘の言っていることを信用してくれる先生はいませんでしたし、私達夫婦も納得できる説明を先生から受けられませんでした。きっと子供を持つ親なら、私達の気持ちをわかってくれると思います。 それから引き続き、情報を探していました。2011年8月のある日、インターネットでバルセロナキアリ研究所のことを知りました。画像を送り、メールのやりとりが始まりました。 手術費用は確かに高額ではありましたが、私達にとって娘の健康は何よりも価値があり、大切なものです。ローンを組んでバルセロナへと向かい、2011年10月25日、手術が行われました。 ロヨ先生なら大丈夫だと、安心して娘を任せることができました。 手術は無事に終わり、10月30日にはティビダボ(遊園地)で娘の9歳の誕生日をお祝いしていました。 症状の改善はすぐには現れませんでしたが、少しずつ両肩が同じ高さになり、しっかり左足を使って歩けるようになりました。2013年5月に撮影したMRI画像から、明らかな回復が伺えます。ロヨ先生をはじめ、ニナさんやバルセロナキアリ研究所チームのみなさん、そしてシマ病院のみなさんに心より感謝申し上げます。みなさんには本当にお世話になりました。 スヴェトラーナ(ヴィオレッタの母) メールアドレス:[email protected]





パオロ・ブシェミ:脊髄空洞症、軽度の脊柱側弯症(胸椎)、脊髄牽引症候群

バルセロナキアリ研究所による掲載 2013年3月5日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2011年7月 みなさん、こんにちは。私の名前はパオロ・ブシェミです。27歳で、イタリアのシチリアに住んでいます。ここでみなさんに、私の病気がわかってからロヨ先生の手術を受けるまでの体験をお話ししたいと思います。 すべては2011年に始まりました。1月辺りに奇妙な感覚、例えば手の硬直、脱力感、手に力が入らなくてよく物を落とすことがありました。また、首と腕の痛み、嚥下障害、排尿障害などもありました。神経内科医の勧めでMRI検査を受け、そこで脊髄空洞症(第2頸髄-第5頸髄)と診断されました。すぐに神経内科の先生にミラノの専門家の診察を受けるように言われ、私はミラノに行きました。そこでは、脊髄空洞症がどういうものなのか説明を受けました。MRIの報告書を見た後、先生には手術を受けなければならなくなるだろうと言われました。手術は大変複雑なものであると同時に、手術結果については何も保証できないとのことでした。しかも、手術時間は12時間にもおよび、形成術や何かの挿入なども行われると話していました。もう私は疲れ切っていました。診察に母と妹も来ていましたが、診察後に、私が受けようとしている手術を受けた女性が術後検診に来ていたので、母にその女性に直接話を聞いてみたらどうかと言われ、その女性の診察が終わるまで待っていました。出てきた時に女性に今の病状はどうか、手術はどうだったかなどを聞きました。女性は私達の質問に丁寧に答えてくれました。12時間もかかる手術を受け、(まだ流暢に話すことができないようでしたが)少しずつ回復していると言っていました。女性の聞いた話では、スペインのバルセロナにある医療機関が脊髄空洞症の治療を専門に行っていると言っていました。 私は疲れて元気もなく、混乱した状態でうちに帰りました。ベッドに横になり少し休んでいましたが、その間妹はインターネットで探し始め、女性の話していた医療機関の情報を見つけました。それはバルセロナキアリ研究所というところで、妹は情報を集めるために病気や手術のことについて注意深くウェブを読み始めました。研究所の理事長であるロヨ先生が、特発性脊髄空洞症に対して終糸切断手術を行っているということを読み、手術は体に負担のかからない手術で、ほぼ30分で終わるとのことでした。何かを挿入することも形成術も必要のないことを知り、妹も私達家族も希望が湧いてきました。私と同じように奇病を患い、健康問題を解決しようとバルセロナキアリ研究所に全てを任せた人たちの体験談を読み、体験談はどれも手術に肯定的なものでした。ただ、イタリアではあまりこの病気が知られていないので、そのせいで何年もかかってやっとキアリ研究所に辿り着いたという悲しい体験談も読みました。 私は主治医の神経内科医にバルセロナキアリ研究所のことを話し、最初は疑っていた様子でしたが、ウェブページを見た後それが本当であると納得したようでした。私はロヨ先生と同じ手術をイタリアの医師が行っているか調べたところ、イタリアにはロヨ先生の教え子だという医師が多くいました…が、それはすべて何の根拠もない嘘でした! 私は最終的に、バルセロナキアリ研究所で診察を受けることにしました。イタリア語担当のジョイアさんが対応してくれて、2011年7月11日に診察を予約してくれました。私は母と妹と一緒にバルセロナに向かいました。ロヨ先生に私の病例を詳しく診てもらった結果、脊髄牽引症候群、特発性脊髄空洞症(第2頸髄-第5頸髄)、そして軽度の特発性脊柱側弯症を患っていることがわかりました。ただ、すぐに私達を落ち着かせてくれたのは、特発性脊髄空洞症の治療として終糸切断手術が受けられるということでした。診察と同じ日にシマ病院で必要な検査を受け、次の日の午前8時に手術を受けました。 それから1ヶ月後、スペインに戻り術後検診を受けました。病状はさらに改善していました。人生で初めて私の脊髄は解放されたのです!現在、手術から2年が経ちましたが、術後の経過は良好です。この体験談が、暗闇の中でさまよっている方々にもう一度希望の灯をともせるお手伝いができることを願っています。 研究所のみなさん、特にジョイアさんには精神的に支えてもらい、とても感謝しています。そしてロヨ先生には病気の進行を止めてくれただけではなく、(私の場合)痛みも取り除いてもらいました。ロヨ先生で一番印象に残っているのは、謙虚さや先生の持つ人間性です。 いつでも連絡を待っています。 電話番号:0039/0925/941719  パオロ・ブシェミ パオロさんの体験談(動画)





サブリナ・M:脊髄空洞症、脊柱側弯症、脊髄牽引症候群

バルセロナキアリ研究所による掲載 2012年10月25日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2011年6月 私がまだ18歳の時だった2008年に、すべては始まりました。異常な痛み、めまい、平衡感覚の喪失、筋肉の痙攣、手足の衰弱、その他にも思い出せないくらい色々な症状がありました。体の異変に気づいて急いで病院に行きましたが、病院の先生には、学校の試験でストレスが溜まっているだけではないかと言われました。でも絶対にストレスからくるものではないと確信があったので脳のCT検査を受けましたが、結局その検査から原因はわかりませんでした。上記に挙げた症状のせいでほとんど歩くことができなかったので、病気がわかるまで色々な病院を回りました。 1年の間に、何回もかかりつけの医者に診てもらい、めまいの原因が内耳にあるのではないかと思い耳鼻咽喉科にも行きました。歩行困難は足から来ているのかもしれないと、足病医にも診てもらいました。循環器専門医、また、背中の異常な痛みを診てもらおうと理学療法士のところへも行きましたし、血行に問題があるのではないかと思い静脈学の専門医のところも訪ねました。 多くの医者に診てもらい、数えきれないほどの検査も受けましたが、結局何も原因は見つからず、担当医には脊髄のMRI検査(意外なことにこれの検査は以前に受けたことがない検査でした)を受けるように言われました。 日常生活を送ることは極めて困難で、動くことも難しいのに加え、座っていても激しいめまいに襲われ、本当に耐えがたいものでした。横になっても症状は改善されず、私にとって唯一落ち着いていられる時間は寝ているときだけでした。寝ている時間以外はまさに地獄そのものでした。 脊髄のMRI検査を受けていた時、おそらくこの検査も何の役にも立たないだろうなと思っていました。“脊髄のD8とD10に嚢胞あり”と書いてあるのを読んだとき、びっくりしたのと同時にパニックに陥りました。インターネットで嚢胞がどういうものなのか調べていくうちに、もう私の人生は終わったと思いました。複数のウェブページには、病気の症状は徐々に悪化していき、やがては車いす生活や植物状態になる可能性もあるだろうと書いてありました。 病院に急いで診察しに行きましたが、先生はこの病気のことを知らず、ただ名前だけを聞いたことがある程度で、今までこの病気の患者さんを治療したことはないと言っていました。先生には、この病気は深刻で非常に希少な病気で、神経内科医に診てもらった方がいいと言われました。 神経内科の先生に診てもらいましたが、“水を含んだただの小さい空洞だからたいしたことではない”と言われ、それを聞いて自分の病気や症状について何でもないはずがないと思いました。 いつも病気でいることにうんざりし、自らインターネットで情報を探し始め、患者さんの掲示板を見つけました。フランスで行っている手術について話していましたが、その手術はとても危険で、手術を受けた患者さんの中には症状の悪くなった人がいると言っていました。 そんな手術を私は受けようと思うはずもなく、引き続き情報を探していたところ、ロヨ先生のウェブページを見つけ、何度もそこに掲載されている体験談を読みました。体験談に書いてある内容が本当かどうか、手術の効果を確かめるため、研究所に問い合わせることにしました。ただ、当時手術を受けられるだけのお金もなく、痛みも消えなかったので、クレムリン・ビセートル先生という有名な先生に診てもらうことにしました。先生は、フランスでは私の病状で終糸切断手術を行わないといい、手術をするとしたら車いす生活になってからだと言われ、ロヨ先生に関しても「ただの嘘つきだ」と言いました。悔しさでそこを去り、どうしたらいいのかわからず、症状は日に日に悪化していく一方で、ほとんど何もできなくなりました。結局、クレムリン・ビセートル先生はフランス国内で脊髄空洞症に関して診てもらった最後の先生になりました。キアリ研究所の終糸切断手術に関してポジティブな意見が多かったので、バルセロナで手術を受けることに決めました(フランスにある脊髄空洞症友の会のエステルさんにはもちろん、親身になって質問に答えてくれたみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです)。 キアリ研究所にメールで検査画像を送り、手術可能かどうか診てもらうことにしました。私に残されたわずかの気力を使い、バルセロナに行くために闘いました。それは2010年2月のことです。キアリ研究所と終糸切断手術が私にとって最後のチャンスだったので、すべての希望を託しました。 ロヨ先生から手術可能だという知らせが届き、私は体内の神経細胞がすべて死んでませんように…と願いました。この時からアルバイトで稼いだお金を貯め始めました。バルセロナで手術を受けた患者さんと話したり、研究所のホームページに載っている体験談を読んだりして、なるべくフランスの掲示板(病気で苦しんでいるというネガティブな内容)を見ないようにしました。その後数ヶ月間は、症状の軽い日もあれば、身動きさえ取れなくなったりする日もありまちまちでした。だからとにかく早く行動に起こさなくてはという思いでいっぱいでした。 私自身の貯金と親戚の助けにより、今から1年4ヶ月前の2011年6月27日に手術を受けることができ、手術は無事成功しました。入院先の病院はフランスの病院と比べて新しくてきれいでしたし、医療チームもプロフェッショナルでとても優しい方々でした(患者側にとってそれはとても大事なことだと思います)。 手術を受けた多くの患者さんと私との違いは、手術直後、私は特に変わった変化を感じる事はなく、症状も残っていました。その時自分自身に、もう少し様子を見てみようと言い聞かせ、私と同じ状況にいる人達と話しました。そして1ヶ月後の身体検査をして、反射が戻ってきたこと、握力が10キロ増えていることなどがわかりました (手術の前は18キロだった握力が、手術後1ヶ月経って測ったら28キロに増えていて、とても嬉しかったです)。めまいに関して言えば、これはばらばらでした。本当に手術を受けてよかったのだろうかと自分自身に問いかけたり疑ったりもしましたが、周りの人に私の脊髄は3年間もの間ずっと引っ張られた状態だったのだから、回復するには時間が必要だということを思い出させてもらい、根気よく待ちました。 手術から1年経った今言えることは、病状は回復して今ではほとんど症状がないということです。能力の90%を取り戻し、これ以上は不可能だろういうくらい完全に普通の生活を送ることができています。手術を受けて本当に良かったです。医療チームの優しさとプロ意識に感謝すると共に、辛い時に私を支えてくれた人たちにも感謝の気持ちでいっぱいです。 もし質問などがあればいつでもご連絡ください。 メールアドレス:[email protected]



アナ・アデル:特発性脊髄空洞症、脊髄牽引症候群

バルセロナキアリ研究所による掲載 2012年10月17日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2012年7月 10年ほど前から手や腕に違和感を覚え始め、医者には無理な動作が原因で起こった腱鞘炎だと言われましたが、痛みは一向に改善されずどんどん手に力が入らなくなっていきました。 昨年、手でしっかりとペンがにぎれなくなったので筋電図検査を受けたところ、医者には両手ともに手根管症候群を患っていると言われました。でも、実際に手根管症候群の手術をしてもらったのは左手のみで、しかも術後少しも改善は見られず、今度は円回内筋症候群ではないかと言われました。 このようなことがあってから私は自分自身で自分の抱えている健康問題が何であるのかを突き止めようと、ロヨ先生にコンタクトを取ったのです。診察に行った日に身体検査を受け、さらに詳しく診るために全脊柱X線画像やMRIなどを撮るように言われました。その後、X線やMRIなどの検査結果から脊髄牽引症候群と特発性空洞症と診断されました。やっとその時、私の抱えてるすべての問題がわかったのです。 2012年7月3日に終糸切断手術を受け、術後8時間足らずで両手ともに握力が1キロ増えました。 術後10日経ってロヨ先生に診てもらったところ、握力は術前に比べて2倍にもなっていました。手術を受けてから現在に至るまで、まるで一度も痛みを感じたことがなかったかのように、手と腕の違和感やしびれで苦しむことはなくなりました。 電話番号:649191231 メールアドレス: [email protected] アナさんの体験談(動画):





ホアキナ・エレスエロ:脊髄空洞症、椎間板症

バルセロナキアリ研究所による掲載 2012年7月25日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2012年6月5日 こんにちは。私の名前はホアキナです。現在54歳です。スペインのバジャドリッドに住んでいます。 体調が悪くなり始めたのは2008年ごろで、仕事中に肩を骨折してたまたまMRI検査を受けた時に脊髄空洞症を患っていることがわかりました。しかし先生には、あまり気にすることはないと言われました。 肩の手術を受けてからというもの、少しずつ体調が悪くなっていきました。今まで経験したことのない背中の痛みに加え、徐々に体が動かなくなっていき、座ったり歩いたりすることも難しくなりました。救急外来で診てもらいましたが、鎮痛剤を処方されただけで、あとは「すべては肩から来ているから…」と何度も言われただけでした。モルヒネパッチの多用と薬が原因で中毒性肝炎になり、肝性昏睡の一歩手前で入院することにもなりました。それ以降少しずつ症状が悪化していきました。背中の激しい痛みはもちろん、膝を曲げることができずにいつも足を引きずって歩く状態で、呼吸困難に陥り、言葉を発するのも難しくなって頻繁に吃ったりしていました。 毎回医者に診てもらう度に「原因は肩にあるから(何もできない)」と言われ、整形外科や疼痛外来、脳神経外科や内科などの様々な医者に診てもらいましたが、結局誰も私の体に何が起こっているのかわかりませんでした。 何もわからないまま時間が過ぎ、症状は悪化していく一方で、もう外出もできなくなって、毎日何時間も寝ている日々が続きました。毎回病院に行っても私の話を真剣に聞いてくれる先生はいなくて、気の狂った人間のように扱われとても屈辱的でした。 再度、救急外来で内科医に診てもらうことになって、そこで椎間板ヘルニアと胸部に脊髄空洞症が見つかったものの、手術はヘルニアのみすると言われ、脊髄空洞症を考慮に入れない医者に手術は任せられないと手術を断りました。今思えばあの時本当に断っておいてよかったです。その後、自主的に退院させてもらいました。 私の体調が悪化していくのを見た整形外科の先生は、脳神経外科長に診てもらうよう手続きをしてくれました。そしてその先生に診てもらった結果、脊髄病変と脊髄空洞症を患っていることがわかりましたが、バジャドリッドでは脊髄空洞症の治療は行っていないと言われました。4年がかりでやっとそのことがわかったのです!! その後ブルゴスの病院に行くように言われ、そこでも私の病気の治療は行っていないと言われました。何回も頼んだ末、バルセロナにあるバイ・デブロン(Vall d´Hebron)という病院で診てもらえるように手続きをしてくれました。症状は悪化し、電気や騒音、人の存在がうっとうしく感じ、体中が痛くて誰かに抱きつかれるのも嫌でした。 時間が経っても病院からは連絡がなかったので、私からその病院で働いているお医者さんに直接連絡をしました。先生には残念ながら脊髄空洞症の治療をしていないと言われましたが、バルセロナにあるキアリ研究所なら私を助けてくれるだろうと言われ、電話番号を教えてくれました。 電話を切ってすぐにキアリ研究所に電話をかけると、バルバラさんが丁寧に対応してくれました。直接キアリ研究所のほうに来る必要はないから、メールで今持っているすべての検査結果を送るように言われました。その日のうちにMRI画像や検査結果などをメールで送り、それから4日後、キアリ研究所から終糸切断手術で病気の進行を止められるとの連絡が入りました。 翌週バルセロナに行き手術前の検査をして、次の日の2012年6月5日に手術をしました。手術後すぐに痛みが消え、膝を曲げて普通に歩く事ができました。痛みも少しずつ消えていき、1週間前の検診では病状がかなり良くなったと言われました。リハビリを開始してもいいと言われたので、来週から始める予定です。もう普通の生活を送ることができています。以前はすぐに疲れて歩けなくなっていたのに、今では外出しても疲れません。 今私はとても幸せです。それもすべて、ロヨ先生と医療チームの方々に第2のチャンスと普通の生活を与えていただいたおかげです。とても感謝しています。もし手術を受けていなかったら、私は今頃植物状態でベッドに寝たきりになっていたかもしれません。本当にありがとうございました!術後の変化に大変驚いています。 電話番号: 983401373 メールアドレス: [email protected]





エルビナ・エブセエバ:脊髄空洞症、脊髄牽引症候群

バルセロナキアリ研究所による掲載 2011年2月17日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2010年1月 私の健康問題は今から7年前の2003年11月に始まりました。帝王切開で息子を出産したあと、1日で17キロも痩せました。体重が減ったことを喜んでいましたが、歩こうとすると右によろめくようになり、麻酔の一時的な副作用だから、少しずつ改善されるだろうと思ってあまり気にしていませんでした。それに出産後、私にはそんな“些細なこと”を気にかけている時間はありませんでした。以前より疲れやすくなりましたが、小さい子どもを持つママなら普通のことだろうと思っていました(今思うと、あの時の疲労感は異常でした)。横になってもベッドの上にいるというよりは、ベッドが体の上にあるようで、押しつぶされている感覚がありました。時間が経つにつれ、目には色のついた振動が見え始めて、それは絶えず動いていました。これはほぼ毎日、日によっては1日に何回も起こるようになりました。だいたい15分から17分ほど続きました(実際に計ったので確かです)。それが起こっている時は何も見えなくなるので、いすに座ってじっと終わるのを待っていました。しかし眼科医には、目には特に異常は見られないと言われました。 1年経って、足の薬指にしびれを感じました。こすったりマッサージをしたりしましたが、一向にその感覚はなくなりませんでした。時間とともに、足から膝、そして足全体へと感覚は広がっていきました。触覚はありましたが、それはまるで分厚い布地の上から触られているようでした。足の指の皮膚は乾燥しむけていき、クリームを塗っても良くなりませんでした。脚も徐々に痩せていき、常に冷たく、皮膚の色も灰色に変わっていきました。痙攣も起こり、耐え難いものでした。それから少しして、骨の中が焼け付くような感覚が加わりました。また、普通のめまいではなく奇妙な電気ショックを伴うめまいもありました。歩こうとしてもうまく右足を動かすことができず、もう普通には歩けませんでした。足はまるで支柱のように重たく、家の中では壁にしがみつきながら歩いていました。 神経内科の先生の診察を受けましたが、何も変わりませんでした。今でもあの時のことを思い出すと嫌な気持ちになります。先生は私の話を聞き、指で鼻を触ったりする検査や、細いもので体をひっかく検査も受けました。私と息子が今何歳か聞かれ、最後に「大したことではないからあまり心配しすぎないように」と大変“ためになるアドバイス”をくれました。廊下に出たとたん、ショックで涙があふれました。その後、他の神経内科の先生の診察を受けました。その先生は病気について前の先生よりも知っているような印象を受けました。先生は私の話に耳を傾けてくれましたが、診療録には「EM」の文字が書かれただけで、ミルガンマ(Milgamma)を処方されて終わりました。 時間が経つごとに無気力感が増し、ほぼ毎朝吐き気がしていました。日に日にひどくなっていき、自分の健康は自分でなんとかしなければと、地元のサマラの治療センターへと足を運びました。私の持っているすべての検査結果を持って診察を受けましたが、「検査結果はすべて正常」との回答でした。MRIを受けさせてもらえないかと頼んだところ、「あなたは私達医者より賢いと思っているんですか。言われなくてもあなたにどんな検査が必要かわかっています」と言われました。その時受けた検査は全額患者負担だったのでとても高かったです。 その後、右目の視力が徐々に落ちていきました。両目を使えばしっかり見えていたので、すぐには気づきませんでした。また、右わき腹を下にして横になった時の右耳の耳鳴りがひどく、耳にトランスボックスをつけられたようでした。耳鳴りが原因でよく眠れず、横になるのも苦痛でした。背中と首、腕と足にかけて痛みがあり、時々呼吸ができないことがありました。台所では食器を2、3個洗っただけで力尽きていました。腕と肩を持ち上げるのも難しくなり、足も思うように動かせなくて、よく転倒するようになりました。一番辛かったのは、まだ小さい息子の「どうしてママは転んだの?」という質問に答える時でした。息子は床に倒れている私のそばに座り、「ママは牛のようにまぬけだから転ぶんだね」と言って笑いました。息子には“まぬけ”や“牛”という言葉が面白かったようです。笑った後は、部屋に行っておもちゃで遊び始め、私はその後なんとか一人で立ち上がり、ソファーへと倒れ落ちて寝ました。少しずつ息子に私の健康問題を隠すのが難しくなりました。 時が経つとともに状況は悪化していき、体から奇妙な体臭がするようになって、そのにおいは腐った肉が放つにおいに似ていました。髪の毛が抜け、髪をとかすのが怖くなり、飲み込むのも、度々むせていたので家族とテーブルを囲んでの食事が難しくなりました。食べるという動作は私にとってまさに拷問でした。噛んだ後に飲み込んではみるものの、その後何が起こるのかわかりませんでした。食事が喉に近づくと一旦止まり、喉の筋肉が動いて、飲み込んでくれるまで待たなければなりませんでした。飲み込めない場合は食べ物が喉に詰まって、少しの間咳き込むことがありました。また、この時期右側の腎臓が8cm下がりました。 常に引っ張られている感覚があり、時折痙攣も起こりました。当時は常に腰や背中、肩が痛みました。体は常に硬直していました。右足に力を入れても3、4cmしか上げられず、その状態も数秒しか保つことはできませんでした。階段を上るときはズボンをつかんで足を持ち上げながら上っていました。ソファーに座っている時は、足の位置を見なければ、自分自身が足を伸ばしているのか曲げているのかわかりませんでした。6年半の間に診てもらった医師の中で私の健康問題を真剣に考えてくれた先生は、一人もいませんでした。 2009年の夏、クヴァトヴァ(Kuvatova)病院に行きました。個人的にお願いしたMRI検査を翌日には受けることができました。下半身の部分に異常があったので、腰部のMRIから撮り、その後腰より上の部分を撮影していきました。おそらく病院側の配慮で、MRI検査費用の一部を払うだけで済みました。そして、MRI検査を通して脊髄空洞症と診断されました。医者には、治療法はなく、今後生活がしにくくなるだろうけれど、「元気を出して頑張ってください」と言われました。 一方、主人は半年間インターネットで、とにかく様々な情報を探しました。バルセロナキアリ研究所の情報を見つけた時はその情報を見つけられたこと自体信じることができませんでした。すべての体験談に目を通し、終糸切断手術が唯一の病気の解決策だと私達夫婦は確信しました。 2010年1月26日、私は手術を受けました。麻酔から覚めた時幸福感を体中で感じ、手術が成功したと実感しました。完全に健康な体に生まれ変わったようでした。ほとんどの症状はすぐに消え、あの時感じた全身にみなぎる活力は言葉では言い表せないもので、嬉しさでいっぱいになりました。右目の視力は1週間かからずに回復しました。右耳の耳鳴りは手術後すぐになくなりました。手術以降、一切めまいもなく、色のついた振動もなくなりました。筋肉は衰えていましたが、足に力が入れられるようになって、健康な人と同じように足を上げることができました。肌の色もすぐに普通に戻って、髪の毛ももう抜けなくなりました(退院日に気づきました)。背中や腰などの痛みももうありません。これらの変化を自分自身の体で感じながらも、信じることができませんでした。手術前は3、4分ごとに休憩しないと歩けなかったのが、手術後主人とバルセロナを10時間半散歩したうち、2回ほど喫茶店で休憩しただけであとは歩いていました。私たち夫婦で、一回も嘔吐することなく立って食事していたのは誰だかわかりますか。 2003年から2009年までの出来事を思い出すのが辛くて、終糸切断手術から1年経ってやっとこの体験談を書くことができました。この体験談は、私と同じように恐ろしい病名を診断された人に宛てて書いています。取り返しのつかない結果を生む疑わしい治療法を絶対に受け入れてはいけません。ロヨ先生にぜひコンタクトを取ってみてください。 健康と人生を取り戻してくれた先生方に、私から感謝の気持ちと無限の愛を送ります。 電話番号: (+7846)334-58-26 メールアドレス: [email protected] スカイプ名: rusianen





ロザンナ・ビアジョッティ:脊髄空洞症、脊柱側弯症

バルセロナキアリ研究所による掲載 2010年5月1日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2010年5月  みなさん、こんにちは。 私の名前はロザンナ・ビアジョッティで、35歳です。イタリアのウンブリア州、ペルージャに住んでいます。 私と同じように、運悪く奇病にかかり、母国で答えを見つけられなかったすべての方の力になれればと思い、簡単にお話ししたいと思います。 すべては2009年8月に始まりました。異常な疲労感と首の筋肉の脱力感、頭が無意識に左側に傾くようになり、それ以降、その原因が何なのか探し始めることになりました。まず、かかりつけの先生に頭頸部のX線を受けるように言われ行いましたが、特に異常は見つかりませんでした。こんなことをしながら時間はどんどん過ぎていき、神経内科医の診察を受けてみたものの、先生にはストレスが原因だろうから、もっと力を抜いて過ごすように言われ、もしかしたら安定剤を服用するといいのではないかとも言われました。私はその言葉にがっかりし、他の神経内科の先生を受診することにしました。その先生は何か察したのか、MRI検査の手続きをしました。 それから3ヶ月が経過した11月初旬、手足がうまく動かせなくなって、体調もかなり悪化し、日常生活の簡単なこともできなくなりました。2009年11月10日に行われる予定のMRI検査を、今か今かと待っていました。検査から数日後、検査結果が出たので取りに行きました。そこには、第5頸椎-第6頸椎の脊椎症を伴う退行性椎間板症、頸胸関節と胸椎付近の数ミリの脊髄中心管の拡張が見られると書いてあり、MRIの再検査を勧められました。その後2009年12月9日に同じ検査を受け、前回告げられた病名が確定しました。数週間後、知り合いの私立の脳神経外科医の診察を受け、そこで、第7頸髄-第1胸髄の脊髄空洞症の空洞が、最初のMRI検査よりも大きくなっているようだと言われました。痙性斜頸/頸部ジストニアだろうから、神経血管性疾患の可能性を排除するため、もう一度MRI検査を受けるように言われました。日が経つにつれて、両手の指の感覚異常と体温異常、嚥下困難も見られ、症状が悪化していくのがわかりました。それを見かねた神経内科の先生は、ペルージャの病院の神経内科医に連絡を取り、私のためにジストニアの痙攣を和らげるボツリヌス療法を受けられるよう頼んでくれました。 ペルージャの病院の先生の診察を受け、検査入院するように言われた時、すでに1月も終わりを迎えていました。入院中、多くの検査や診察を受けましたが、どれもうわべだけで思いやりのない対応でした。同じMRI検査をもう一度受け、退院日に以下の診断名を告げられました。 頸胸髄の脊髄空洞症 頸部ジストニア 貧血 頻繁な偏頭痛 退院日に頸部ジストニアの治療でボツリヌス療法が行われ、その効果は数日後に現れるだろうとのことでした。しかし、脊髄空洞症に関しては、心配することはないと言われただけでした。 数週間が経ちましたが、効果が現れるどころか体調は悪化する一方で、3ヶ月が経ったある日、ペルージャのXXX先生に電話し、早めにボツリヌス療法が受けられないかどうか聞いてみました(公立病院では通常4ヶ月ごと)。しかし先生は失礼な態度で、私の健康状態を気にかけることもなく、早めるのは無理だから2010年6月16日まで待つようにとだけ言いました。その頃私は脊髄空洞症の治療を受けていないことを不安に思い、シエーナの有名な先生のもとを訪ねていました。MRI検査にさっと目を通した後、脊髄空洞症の空洞の大きさはおそらく変わっていないから、心配することはないと言いました。診察は10分足らずで終わり、報告書すらもらえませんでした。もらえたものといったら、診察室を出た時に感じた悲しみでしょうか。ペルージャの病院の時と同じように、また思いやりのない対応をされてしまったと悲しくなりました。 もうすべてに失望しました。脊髄空洞症は破壊的な変性疾患だから、専門家に診てもらうことが必要ですが、当時私はまだ信頼できる先生に出会えていませんでした。落ち着いていられず、心配するばかりでしたが、誰も私を気にかけてくれませんでした。こんな形で突然不便な生活を強いられたことに納得いかず、不確かな現実の中で私は何か確かなものを追い求めていました。小さな動き一つひとつが、まるで巨大な山を登るくらい困難な動きに思え、娘と遊ぶのにも誰かの助けなしにはできませんでした。役立たずな人間に思え、とてもみじめでした。失望感とこの状況から抜け出したいという気持ちから、私の人生はこんなみじめな状態で終わるのか、それとも解決策があるのか、なんとしても真実が知りたいと思うようになりました。暗闇の中を、出口を見つけられずにさまよっていたある日、何気なく見ていたインターネットで、私の病気を専門とするロヨ先生の診療所、バルセロナキアリ奇形&脊髄空洞症&脊柱側弯症研究所の存在を見つけました。まさかとは思いましたが…治療法は存在していたのです!!!!信じられませんでした。診察予約を取って、2010年5月19日にバルセロナへと向かいました。非常に不安ではありましたが、嬉しさもありました。やっと私の質問に答えてくれる専門家の先生を見つけられた嬉しさです。ロヨ先生に丹念に診てもらった後、大変複雑な診断名を告げられました。 頸部ジストニア 特発性脊髄空洞症 脊髄牽引症候群 しかし、複雑な私の病状を先生は大変わかりやすく説明してくれました。そして、いつ病気が悪化して病状が悪くなるかわからないから、すぐにでも終糸切断手術を受けた方がよいと言われました。私は2010年6月10日に手術の予約を入れ、シマ病院でロヨ先生に手術をしてもらいました。 私はあの時大変落ち着いていました。手術は1時間弱、全身麻酔で行われました。目を覚ますと、何年も抱えていた重圧から解放され、生まれ変わったような気分になりました。手術から8時間後、すでにいくつか回復した部分がありました。例えば、両手の感覚と体温は正常に戻り、口蓋垂も中心に位置し、バビンスキー反射も見られなくなりました。 頸部ジストニアに関しては、術後、時間とともに少しずつ改善していくのがわかり、手術から約1ヶ月後、頭の位置が正常に戻りました。痙攣もなくなり、以前の自分に戻りました。 ロヨ先生の手術のおかげで私は人生を取り戻すことができました。ロヨ先生は私にとって特別な存在で、感謝してもしきれません。また、ロヨ先生の医療チーム、特にジョイアさんの心からの優しさとプロ精神に感謝申し上げます。また、私や私の家族にもう一度笑顔を取り戻してくれたみなさん、娘と遊んだり走ったりできる可能性を与えてくれたみなさん、本当にありがとうございました。すべてが真っ暗に見えた時でもあきらめない強さを教えてくれたおかげで、キアリ研究所で治療を受けることができました。 私と同じ病気を患っている方へ、病気が再生不可能な状態になる前にロヨ先生のもとを訪ねてください。何か質問があれば、いつでもご連絡ください。 長文、失礼いたしました。 メールアドレス: [email protected] 電話番号: (+39) 3534043904





クリスティナ・パスカレ:脊髄空洞症、脊髄牽引症候群

バルセロナキアリ研究所による掲載 2009年4月3日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2009年4月 私の名前はクリスティナ・パスカレです。30歳です。ルーマニアのブカレストに住んでいます。ロヨ先生の患者で、脊髄牽引症候群、胸腰髄空洞水症と診断されました。 病気の症状が現れたのは2008年の4月でした。右足が痛み、薬を飲んだ時しか痛みから解放されることはありませんでした。 2008年6月から2009年3月の間、症状は悪化していきました。両脚が痛くてうまく歩くことができませんでした。痛みはずっと続くわけではなくて、普通に歩ける日もあったり、ゆっくりしか歩けない日があったりと様々でした。また、腰部の痛みもありました。 それから月日が経ち、インターネットで私の病気に関する情報を探していたところ、バルセロナキアリ研究所のホームページを見つけ、連絡を取りました。研究所に2008年9月に撮ったMRI画像を送りロヨ先生にみてもらった結果、胸腰随空洞水症を患っていることがわかりました。 2009年3月にすべての準備が整い、終糸切断手術を受けにバルセロナに渡りました。 ロヨ先生に診察してもらい、そこで改めて手術を受ける決心がつきました。手術が私に残された唯一のチャンスだと思ったからです。次の日手術を受け、術後数時間で感覚が戻ってきました。術後1ヶ月経って検診のためにバルセロナに戻りました。現在まで順調に回復してきているのがわかります。痛みがすべて消えていき、今はまるで病気を患う前の100%元気な自分に戻ったかのようです。 ロヨ先生と研究所のチームのみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです。私を励まし支えていただき本当にありがとうございました。 私からこの体験談を読んでいる方にアドバイスをさせていただくとするならば、もしこれを読んでいる方の中で脊髄空洞水症と診断された方がいるのであれば、ぜひロヨ先生のもとを訪ねてください。先生の手術が唯一の解決法です。 クリスティナ・パスカレ 質問があればいつでもご連絡ください。 電話番号:0040 723 322 327 メールアドレス:[email protected]  





ローズリズ・トルヒージョ:脊髄空洞症

バルセロナキアリ研究所による掲載 2008年1月22日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2008年1月  私の名前はローズリズで、53歳のフランス人です。7年前から脊髄空洞症(C5-T1)を患っていて、3ヶ月前から症状が悪化していきました。 症状:偏頭痛、筋萎縮、両手の協調障害、嚥下障害、めまい、平衡機能障害、温冷覚障害、背中と手足とあごの激しい痛みなど…私の唯一の希望はロヨ先生だけでした。 前日に術前検査などが行われた後、手術は2008年1月22日に行われました。手術は体に負担の少ない低侵襲治療で、手術時間はおよそ40分、1日半の入院でした。 手術から1ヶ月経った現在、80%くらい回復したと思います。ロヨ先生は私の人生を救ってくれました。先生がいなければ、私は今頃病院のベッドで車いす生活を送っていたと思います。終糸切断手術は伝統的な治療法とは違い、リスクのない手術です。 ロヨ先生や医療チームの方々には大変感謝しています。 私は今回保険が効いて、手術費用の払い戻しに成功しました! 質問があれば、いつでも連絡ください。 電話番号: (+33) 04 67 36 29 12 メールアドレス:[email protected] ローズリズさんの体験談(動:





レイナルド・イェグレス:脊髄空洞症、脊柱側弯症

バルセロナキアリ研究所による掲載 2007年9月13日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2007年9月 私達は、レイナルド-アンドレス・イェグレス-ルイス(11歳)の父親レイナルド・イェグレス-ロペス(Reinaldo Yegres López)と母親カルメン・ルイス-デ-イェグレス(Carmen Ruiz de Yegres)です。息子の病気を知ってから私達がこれまでどのような道を辿ってきたかお話ししたいと思います。 息子の病気の症状が現れたのは2006年の7月で、臍ヘルニアの手術の時でした。保険会社からは、保証状の発行で腹部超音波検査が必要だったので受けさせたところ、左腎盂と左腎臓が通常より大きいことがわかり、また、膀胱も大きくなっていて(神経因性膀胱)、これが原因で便秘などの問題が生じていると専門家に言われました(確かに息子はかなり前から便秘ぎみでした)。 小児腎臓科の先生に、脊椎のMRI検査を受けるように言われ、その結果から2006年9月、脊髄空洞症(胸髄)と診断されました。しかし、当時の私達夫婦には脊髄空洞症がどんな病気なのかわかりませんでした。小児泌尿器科のかかりつけの先生に、診断名が正しいかどうか見るために再検査を指示され、その結果から病名が確定しました。もうその頃には脊髄空洞症に治療法が存在しないことや、進行性の病気で徐々に息子の健康を蝕んでいくなどの病気に関する知識を持っていました。とても元気に見えていた息子が、まさか空洞症のような恐ろしい病気を患っていたことに大変衝撃を覚えました。 ここベネズエラで複数の専門家に診てもらいましたが、そのうちの一人には何もできることはないと告げられ、もう一人の先生には脊髄にカテーテルを挿入するのが最善の選択肢だと言われ、もう一人の先生には保証はできないけれど頭部の手術を受けてみてはどうかと勧められました。 私達夫婦はもうどうしていいのかわからずひどく困惑し、神からの啓示を待ちました。私達の思いが神に届いたようで、息子のおじから、インターネットでスペインのバルセロナのロヨ先生という医師が何十年もの間、息子の病気に関する研究をしていると聞きました。そこで研究所のイサベル・モンテシーノスさんにコンタクトを取り、必要な検査データを送り、ロヨ先生と医療チームに息子の病状を診てもらった結果、脊髄空洞症が確定されました。また、空洞症以外に特発性脊柱側弯症を患っていることもわかり、息子に体に負担の少ない終糸切断手術を適用できるとの回答をいただきました。バルセロナキアリ研究所以外にも、アメリカの医療機関に息子のケースを相談しましたが、満足のいく回答は得られませんでした。 すぐにでもバルセロナで手術を受けさせようと思いましたが、当時必要な資金が揃っていませんでした。しかし、息子の病気がわかってから1年後、やっと資金を調達できたのでバルセロナまでロヨ先生の診察を受けに行きました。ロヨ先生の身体検査を受けたことで、息子の右手の握力が左手より低かったこと、バビンスキー反射という反射が未だに出ていたことに気づき、大変驚きました。バビンスキー反射は、幼児であれば普通に見られるようですが、息子のような11歳の子供には見られない反射です。これは病気によって脊柱の中の脊髄が影響を受けていた結果です。診察の翌日の2007年9月13日、ロヨ先生と医療チームに息子を手術していただきました。翌日の退院日に行われた身体検査で、バビンスキー反射がなくなっていることがわかりました。手術から15日後、徐々に右手の握力が回復し、便秘も解消していきました。 神に感謝するとともに、私達夫婦は一生ロヨ先生に感謝し続けるでしょう。先生が病気の研究をしてくださったおかげでこうして病気の原因がわかり、病気の進行を止める方法を突き止めてくださいました。また、ロヨ先生は息子に健康な子供として成長していける機会も与えてくださいました。息子と同じ病気で苦しんでいる方に、声を大にして病気の治療法が存在していることをお伝えしたいです。 以上が私達の体験談です。全世界のみなさんに共有したいと思います。 メールアドレス: [email protected]  





クララ・パラウ:脊髄空洞症

バルセロナキアリ研究所による掲載 2006年11月1日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2006年11月 私の名前はクララ・パラウで、スペインのアリカンテのサン・ビセンテに住んでいます。43歳です。最初に背中が痛み出したのは14年前で、初めて妊娠した時でした。胸部を何かで刺されたような痛みでした。始めの何年かは軽い痛み程度だったので普通に生活できましたが、時間とともに痛みが増し、日常生活を送るのが少しずつ難しくなっていきました。 何人かの外傷専門の医師に相談したところ、2003年に脊髄空洞症(C4-6)と胸部の水脊髄症を患っていることがわかりました。病気の症状はというと、胸部と頸部の激しい痛み、右腕の感覚異常としびれで自由に動かすことができませんでした。日常生活に支障が出てきて、掃除などの家事全般ができなくなり、さらには、引き出しの開け閉めやタンスから服を出したりしまったりすること、右手でドライヤーを持つことでさえも難しくなりました。 数ヶ月間は医者の治療に従って痛み止めの薬を飲んでいました。脊髄内の空洞が脊髄を圧迫していると知りながら、公立病院の神経内科医には薬の服用を続けるように言われ、最終的には空洞を取る手術も受けるように言われました。何の回復も保証しない手術、むしろ状況を悪化させる手術、と言った方がいいかもしれません。 病状が悪化していく状況の中、私はヘスス・サンチェス(Jesús Sánchez)さんというロヨ先生の手術を受けた患者さんにコンタクトを取ってみることにしました。その後すぐにバルセロナ神経研究所に連絡を取り、診察を受けた後の2006年11月28日に、ロヨ先生に終糸切断手術をお願いしました。 手術をしてから2ヶ月が経ちますが、回復しているのがわかります。術後、痛みが出たりしましたが、その程度は手術前の痛みより軽いものです。少しずつ家事もできるようになり、右腕のしびれも消え、以前より力が入るようになりました。運動も始め、毎日少しずつ良くなっています。 脊髄空洞症を患っている方、または私と同じような状況におかれている方、ロヨ先生にコンタクトを取って終糸切断手術が受けられるかどうか見てもらってください。リスクの少ない簡単な手術で、たくさんの恩恵をもたらしてくれます。 連絡先: (+34) 965 669 813.  メールアドレス: [email protected]  





ヘスス・サンチェス:脊髄空洞症、脊柱側弯症

バルセロナキアリ研究所による掲載 2006年5月25日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2006年4月 私の名前はヘススです。現在42歳ですが、20歳の時に脊髄空洞症と診断されました。14歳の時にはすでに脊柱側弯症を患っていましたが、当時は運動と固いマットレスで寝れば矯正されるだろうと言われましたが、実際はそうではありませんでした。 20歳になるまで普通の生活を送っていましたが、ある日ひげを剃ろうとした時に、右手に力が入らなくて、動かすことができなくなったので急きょ病院に行きました。神経内科の先生に診てもらったところ、私の歩き方を指摘され、痙性歩行が見られると言われました。数えられないほどの検査を受けた結果、脊髄内に空洞があり、それは進行性の病気だと言われました。徐々に病状が悪化して、バランスを崩してよくつまずいたり、右半身の脱力感や感覚障害も見られました。 1985年にマドリッドのラモン・イ・カハル(Ramón y Cajal)という病院で、古くから行われている頸椎を切除する手術を受けましたが、術後の経過はひどいものでした。回復して以降、松葉杖を使って歩かなければならなくなりました。数年後に病状が悪化したのでまた同じ手術を受けて、今度は車いす生活になりました。 2006年にインターネットで情報を探している時、バルセロナ神経研究所のホームページを見つけ、ロヨ先生にコンタクトを取りました。そして、5月25日に効果的で体に負担の少ない終糸切断手術を受けました。以前は呼吸器官に問題がありましたが、手術以降なくなりました。 もし脊髄空洞症と診断された時にこの手術を受けることができていれば、おそらく私は今頃車いす生活をしていないだろうと思います。だからこそ私は、この効果的で体に負担の少ない終糸切断手術を最初の手術として広めていきたいと思っています。 ロヨ先生に感謝すると共に、脊髄空洞症を患っている方にぜひバルセロナ神経研究所のロヨ先生にコンタクトを取ってほしいと思っています。 質問があれば、下記のメールアドレス宛に連絡ください。 メールアドレス:[email protected]  



ヘネロソ・ロドリゲス:脊髄空洞症、扁平頭蓋底

バルセロナキアリ研究所による掲載 2004年4月20日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2004年4月 この場を借りてロヨ先生に深く御礼申し上げます。2004年4月20日に行われた手術に大変満足しています。72歳になった時、右手に感覚障害が見られ、物を取ることができなくなりました。手術後の今74歳になりましたが、全体で80%くらい感覚が戻り、体も動かせるようになりました。私のように終糸切断手術が受けられると返事をもらったみなさん、ぜひロヨ先生のもとを訪ねてください。後悔はしません。 ヘネロソ・ロドリゲス メールアドレス: [email protected]  バルセロナ神経研究所備考欄 ヘネロソ・ロドリゲス-ラマリャイさんは、頸痛、右上半身の疼痛、右手の痛覚・温覚鈍麻のためバルセロナの公立総合病院の脳神経外科を受診、脊髄空洞症と頭蓋底陥入症と診断されました。総合病院では歯状突起の切除を提案されたそうです。この歯状突起は第2頸椎にあり、頭を支え、首を左右に回す動きを可能にしています。牽引療法を受け、その一年後に2つの頸椎を固定する手術を受ける予定だったそうです。 ヘネロソさんは18年前から右半身の麻痺がありましたが、当研究所で頸椎椎間板ヘルニアの手術を受けた翌日、麻痺はなくなりました。当研究所に診察に訪れた際、ヘネロサさんの病気の詳細、終糸切断手術という新しい治療法ついて説明をしました。 終糸切断手術から5時間後、ヘネロソさんの右手の握力と感覚が回復し、病棟の廊下でポケットから物をつかんで、手の感覚だけで何を持っているか識別することができました。 手術から1年後、ヘネロソさんとヘネロソさんの奥さん、そしてロヨ先生を交えてオンダ・セロ・ラジオ・バルセロナというラジオ放送局でアナウンサーのリカルド・アパリシオ氏のインタビューを受けました。しかし、ヘネロソさんの奥さんの「どうして終糸切断手術は健康保険が適用されないのか」という問いがきっかけで、その時に収録されたインタビューは放送中止になりました。





バルバラ・マルティネス:脊髄空洞症、脊柱側弯症

バルセロナキアリ研究所による掲載 1994年6月6日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:1994年6月 すべては13歳の時に受けた小児科の検診から始まりました(現在私は32歳です)。最後に受けた検診の時に、脊柱にわずかな弯曲が見られることがわかりました。 その時に受けたX線検査の結果から、はっきりとした脊柱側弯症が確認できました。私は他の脊柱側弯症患者さん同様、リハビリから始め、ほぼ毎日側弯を改善するために運動を行っていました。さらに、鉄でできた特殊な檻のような所に入れられ、側弯部分に圧力をかけられたりもしました。よかったことは、リハビリ開始から6ヶ月後、その効果が出てきたことです。ただ理解できなかったのは、水泳などのリハビリを続けていたにもかかわらず、成長とともにコブ角が増えていったことです。このように少なくとも3年間は、良くなったり悪くなったりの繰り返しで、一向に安定した状態にはなりませんでした。 そしてそんな時にロヨ先生の存在を知り、私の健康問題、脊髄空洞症の解決策を提示してくれました。成長とともに緊張を増していった脊髄の緊張状態が原因で、リハビリ運動を行っても側弯が改善されるどころか、逆に悪化していったのだとわかりました。 1992年、私が18歳の時、脊髄を解放するために手術を受けることにしました。ロヨ先生にとって私は3人目の終糸切断手術を受ける患者だったこともあり、実験台のモルモットのような気持ちがあり、手術の決断をするのはそう容易ではありませんでした。しかし、サードオピニオンで他の病院を回った後、改めて手術を受けようと決心しました。終糸切断手術は終糸を切る手術で、脊髄に触らなければほとんどリスクのない、脊椎に鉄の棒を入れる治療法以外の選択肢になる手術だと説明を受けました。 実際、手術は何事もなく無事終了しました。現在背中の痛みはなく、以前よりも緊張がほぐれ、解放されたような気持ちです。 バルバラ・マルティネス メールアドレス: [email protected]  






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