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特発性脊柱側弯症


1993年10月20日から2016年11月まで、神経頭蓋脊柱症候群/終糸病によるアーノルド・キアリI型症候群(キアリ奇形I型)、特発性脊髄空洞症、特発性脊柱側弯症の患者さん1000名以上に対して、終糸システム(FILUM SYSTEM®)を適用し終糸切断手術を行ってきました。

軽度の合併症が見られた5例を除き、多くの症例で非常に良好な成績を収めています。

数年前から、終糸切断手術を受けた患者さんそれぞれに手術に対する感想や体験談などを書いていただきこちらに掲載しています。体験談を書かれた患者さんは、同じように病気で苦しんでいる人の助けになりたいという気持ちでお書きになっていらっしゃいますので、ぜひご一読ください。ご協力いただいた皆様には、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

 

注: こちらに掲載している体験談は、患者さん個人の経験や感想であり、バルセロナキアリ研究所としての見解を示すものではございません。


佐藤なつ:脊髄牽引症候群、小脳扁桃下垂、特発性脊柱側弯症、特発性脊髄空洞症

バルセロナキアリ研究所による掲載 2020年9月25日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2013年12月10日 術前2013年6月7日 術後2019年7月30日 はじめまして。2013年12月(当時8歳)に日本人患者の4人目として、バルセロナキアリ研究所で終糸切断手術を受けました日本在住の娘の母です。娘はアーノルド=キアリ奇形I型、特発性脊髄空洞症、特発性脊柱側弯症を患っておりました。現在手術から6年半経ちました。術後の経過は良好です。手術前の空洞は腰まであり重症と言われておりましたが、術後半年後のMRIで半減、1年後で1/3程度に縮小、1年半後、2年半後、3年半後…と消滅してはいませんがさらに縮小しています。変化が見られるのに時間が2-3年かかると言われていた小脳下垂は2年半目のMRIで初めて多少改善が見られだし、4年半後となる一昨年のMRIでも効果が認められました。日本の主治医の先生も大後頭孔減圧術でない終糸切断術という手術の効果に大変驚かれながら、「空洞が完全には消えなくても、症状が出ていなければ、ここまで縮小すると問題ない」と仰っています。キアリ奇形(小脳下垂)に関しても症状が出ていない限り心配ないとの判断で、脳外科に関しては現在年1回のMRI撮影による経過観察のみです。(娘は元々、痺れ、頭痛、温感異常といった独特の症状は全くありませんでした。) 但し、側彎に関しては、終糸切断手術では進行防止は出来ないとのことで、別途側彎矯正治療として世界的に有名なシュロス法(ドイツでは健康保険適用。日本では予防扱いで保険適用外)というリハビリを研究所より紹介され、日本でシュロス法の理学療法士の先生を探し、一般的なボストン型の装具を装着しつつ、術後4ヶ月で通い出しました。4年ほどは進行が抑えられましたが、進行しやすいと言われる成長期に入った一昨年12月にコブ角48度まで悪化しました。そこで改善を求め、シュロス法を考案したシュロスファミリー3代目の先生が改良された最新のシュロス・ベストプラクティスを独自の矯正・改善効果を見込めるゲンシンゲン装具(シェヌー型)と一緒にご提供くださる先生をインターネットで調べて見つけ、通院先を変更しました。ダブルの効果のおかげか1か月でコブ角33度まで改善しました。勿論、まだ予断を許さない角度ですので、現在もリハビリに月1回通院し、側彎の改善に努力しています。一つの治療法でだめなら、また別の治療法を探して常に前向きに進んでいます。 お陰様で中学三年生になった娘は普通に日常生活と学校生活を送っております。今現在も同じ病気で苦しんでいる方、終糸切断手術を検討なさっている方の参考に少しでもなればと思いまして、術後約6年半経過した今の段階の娘の状態を述べさせて頂きます。その中で、私達が感じた、バルセロナキアリ研究所で終糸切断手術を受けることを決断するまでの4つの乗り越えなければならない壁、術後から現在に至るまでの経過、キアリ研究所について思う事を以下に述べさせて頂きます。 【バルセロナキアリ研究所で手術を受けることになった経緯】 娘は保育園の5歳時の内科検診で脊柱側彎を診断されました。3年経過観察に通いましたが、小学1年生の3月、コブ角の進行速度が早まったため、MRI撮影を勧められました。結果上記3疾患(アーノルド=キアリ奇形Ⅰ型)、脊髄空洞症、脊柱側湾症)が告げられました。同時に、娘の側彎は病気(キアリ奇形(I型)、脊髄空洞症)に起因するので、そちらの治療を脳外科で先に済ませて初めて側彎治療にあたれると告げられました。この時脳外科の先生に「治療法は、大後頭孔減圧術。しかも、MRIの結果で空洞は腰まで達して重症の為、一刻も早い手術が必要」と勧められました。「8歳の娘になんてこと!」がその時の正直な気持ちでした。しかし、娘の場合、まだ全く頭痛、痺れ、温寒異常等病気が原因となる症状は皆無でした。(ただ、小学校入学後原因不明の鼻血や腹痛はありましたが、手術後は無くなりました。) 私と主人は半信半疑で、その日から病気と手術について調べ始めました。インターネットで調べたところ大後頭孔減圧術は、症状の悪化にともない、必要があれば2度3度と手術を重ねていくこともあること、体への負担も大きくリスクも伴い術後も症状が改善されないこともあると知りました。調べれば調べるほど、リスクと術後の後遺症が深刻である体験談が見つかり、治療法は本当に大後頭孔減圧術一つだけで他にないのか、とさらなる調査に繋がったのです。信頼は大事ですが、お医者様の考えだけではなく、素人でも独自調査してある程度の知識を持った上で、今後の治療方針を相談した方がお医者様側の対応も違うと考えた為です。 そのような中、キアリ研究所と終糸切断手術という方法をインターネットで知り、キアリ研究所のHPのコピーやロヨ先生の論文(英文)も印刷して、主治医の先生に終糸切断手術に関する意見をお伺いしましたが、その反応は一般的で、終糸切断術の効果に疑念を抱いておられました。しかし、全否定はせず柔軟に終糸切断を一つの術法として興味を示し、私達が終糸切断術を受けると決めた後は、キアリ研究所の指示にそった手術前の提出データ準備にご協力頂けました。ご理解のある主治医の先生に出会えたことが私達にとってはまず幸運だったと思います。何故なら、術後何回かご相談を受けた日本の患者さんの多くが、大後頭孔減圧術以外は効果が立証されていないのでお勧めできない、或はもし海外で受けた終糸切断手術の術後のフォローは出来ないと主治医の先生に告げられて、断念せざるをえない方も多いことが分かったからです。 よって、キアリ研究所での手術を考える上では以下の4つの関門を乗り越える必要があったように思います。 日本の主治医の先生との良好な関係の樹立 患者の同意なしに手術を行うことは不可能です。私達が考える間、主治医の先生は大後頭孔減圧術の手術手配を保留し、バルセロナでの手術を決めた時も受け入れて下さいました。帰国後もMRI撮影手配等、経過観察をして下さいます。主治医の先生にとって、娘の術後の空洞縮小速度は驚く程早かった為、終糸切断術にさらに興味をお持ち頂いたらしく、ロヨ先生が執筆された『終糸システムショートガイド』の英語版をご購入され読まれたそうです。娘の症例をきっかけに日本で少しでも終糸切断術という術法の認知が広がるとよいのにと思います。 勿論、私達は空洞症とキアリ奇形の代表的な症状は殆ど現れていないのに、今手術をすべき=娘の体にメスをいれるか当時は悩みました。キアリ研究所の日本人スタッフの高橋さんとコンタクトをとり、疑問点の質問とその回答を頂くやりとりの中で、丁寧と真摯なご対応がキアリ研究所への信頼感に繋がりました。しかし一方で、お医者様側だけでなく、患者側からの意見も聞きたいと思い、日本人で娘より先に終糸切断手術を実際に受けられたお二人の方にもメールでお話をお伺いしました。そうした中で、大後頭孔減圧術よりも、娘の体に負担が軽く術後の重篤な後遺症もなさそうな終糸切断手術をまず試し、効果がなければその後、大後頭孔減圧術を受ければよいのだ、と覚悟するに至ったのです。その時は研究所の先生方には失礼ですが、正直、終糸切断手術の効果にまだ半信半疑でした。幸いなことに、脊髄の空洞の驚くべき縮小速度で、術後約6年半この心配は杞憂に終わっています。 バルセロナキアリ研究所の地理的遠さ 残念ながら日本に提携医療機関がありません。帰国後は、日本の主治医の先生の経過観察等のご協力が不可欠です。キアリ研究所の先生方も地理的距離をよくご理解していらっしゃるので、日本での主治医の先生との信頼関係構築へのアドバイスと治療に関する相互協力をお申し出下さり、非常に助かりました。 診療情報提供書(施術、薬の処方に関して等)他、全ての書類は約1週間後の術後検診までに日本語版でご用意頂けました。現在術後6年半ですが、経過観察で実際に通院する代わりに、術後日本で撮影したMRIデータを毎回インターネット経由でお送りして、キアリ研究所のコメントを頂戴しています。何か異変や心配な症状あればメールで質問すれば、ロヨ先生やフィアヨス先生のご指示を高橋さんがお伝え下さり、触診が必要な場合、研究所からの見解を添えて該当科の受診を薦めて下さいます。まるで日本国内の病院で連携して治療をして頂いているようで本当に安心です。つまり、ありがたいことに距離的に触診が出来なくてもしっかりアフターケアはして頂いています。 手術費用、渡航費、滞在費 日本で大後頭孔減圧術を受けるよりも高額になる点は事実です。今の日本では子供の医療費に関して、健康保険組合と自治体で医療費助成を行っている為、もし、娘が日本で手術(大後頭孔減圧術)を受けた場合、手術費用と入院費用はゼロ(食事代と付添人の宿泊費のみ)でした。(患者が子供の医療費助成対象から外れる年齢の場合の費用の方に関しては、調べてないので分かりません。)一方スペインで終糸切断術を受けると、基本的には健康保険適用外となる場合が多いので、手術費、入院費、術前検診含め大体の費用が当時円安(€1≒¥143)のせいもあり、日本円で200万円を超えていました。これに飛行機代、ホテル代(=入院は1泊2日ですが、アジアからのような遠距離の場合、術後約10日後に行われる術後検診まで滞在が必要)が追加費用でかかり、合わせるとそれなりの金額になります。(現在の手術費は上がっているかもしれませんので、詳しくは研究所にお問合せ下さい。) 言語の問題やホテル、飛行機等の手配 海外に慣れていない人には相当タフなことかもしれません。幸い私達の場合は私に留学経験があり、英語による意思疎通が可能でかつ、仕事で海外慣れもしていたので手配自体(インターネットの旅行サイト使用)にそんなにはハードルを感じませんでした。言語の点で、医療(治療)面に関してはキアリ研究所の高橋さんの通訳があり、何の不安もありません。問題は、退院後約1週間~10日後に行われる術後検診までのホテル待機期間です。この期間中、回復途中にある患者を抱えて日本語が通じない中、通訳なく自力で生活しなければなりません。私達の両親にも自分達だったらとても無理だと言われました。しかし、ホテルや航空券の手配は旅行代理店にお願いすることも出来ますし、言語も今は小型翻訳機やスマートホンのGoogle translate(Googleの翻訳機能)等があるので、解決の方法は探せばあると思います。ちなみに、ホテルに関して、私達は簡易キッチン付き滞在型ホテルに宿泊しました。(こちらは以前高橋さんのブログで紹介して頂きましたので、そちらをご覧ください。:「患者さんの泊まった「アパートホテル アテネア(Aparthotel Atenea)」の体験記」https://ameblo.jp/institutchiari/entry-11752100714.html)軽い散歩は問題なしとのことで娘の状態を見ながら、退院翌日からルームクリーニングの間に3時間程外出しました。大事をとって部屋でずっと過ごし回復に努める患者さんもいらっしゃるとは思いますが、私達は娘にとって初海外を手術と治療という暗い思い出のみでなく、異文化体験という明るい思い出も残してあげたくて、一日一カ所でしたが、名所旧跡巡りや、サッカー観戦、フラメンコ鑑賞等に出かけました。それくらい終糸切断術は娘の体への負担が少ないものでした。ロヨ先生はじめ研究所スタッフの皆様のプロフェッショナルさに感謝です。 結局私達は「娘の体に一番良い方法は何か。将来的な生活の質を普通に保てるように不安材料を一番減らせる方法は何か。」ということを基準にキアリ研究所での終糸切断手術を選んだように思います。 【手術後から現在 – 側彎治療を中心に】 終糸切断術が成功しても、側彎の原因の一つである病気(キアリ奇形I型と脊髄空洞症)の進行抑制が出来だけで、側彎の進行を完全に止めることが出来るわけではありません。傷口が完全に塞がった術後一か月半から、日本の整形外科側彎科の主治医の指示でボストン型装具(健康保険適用)を装着しました。日本では側彎はこの装具を装着したら、あとは経過観察だけという残念な状態です。ですが私達は、体の外側の装具装着だけでは筋力が落ちてしまうからと、キアリ研究所の先生のご指示でドイツでは既に側彎矯正に効果が認められ、リハビリとして健康保険適用となっているシュロス法を術後4ヶ月から開始して、途中でシュロス・ベストプラクティスという最新の方法を習得して教えて下さる先生に通院先を変えて現在に至っているのは前述の通りです。シュロスファミリー3代目のDr.ワイスが開発された側彎の個人個人のカーブ(3カーブだったり、4カーブだったり)に合わせて作製され、側彎自体を(横の曲がりだけでなく捻じれも)矯正し改善する見込みのあるゲンシンゲン装具(残念ながら現在のところ日本では保険適用外)とシュロス・ベストプラクティスというリハビリの組み合わせは、個人差はあると思いますが、娘を見る限り大きな効果が得られました。 最初のシュロス法の理学療法士の方に柔軟運動やバランス感覚、姿勢を整え直すことが側彎を矯正していく上で重要であることを教わりました。その方曰く、骨は10歳位までは柔らかく、ある程度バランスを整え直す(=曲がり具合の角度を減少させる)ことが可能とのことです。そう考えると、娘は運よく早い時期にみつかり、かつ十分ではないにせよ早くに治療に入れました。知らなければ、もっと症状が進行していたかもしれません。勿論、もし最初から、シュロス・ベストプラクティスに出会えていたら、終糸切断手術直後はまだコブ角27度位だったので、そもそも今ほど進行せず、改善が早かったかもしれないですが、それは結果論です。今出会えて、改善できているのですから、希望を持っています。同じ病気に苦しむ他の方にも、私達が見つけた現段階での方法をお伝えすることで、次の方々がその段階からさらに良い方法を見つけられる選択肢の参考になればと考えております。 【最後に – キアリ研究所について今、思うこと】 日本の大きな病院は、縦割りの印象が強く、娘が通う大学病院も電子カルテは共有するものの、患者に対する先生方の横のつながり、治療方針における情報共有は少ないように感じます。しかし、キアリ研究所は対象疾病をキアリ奇形、側彎、脊髄空洞症、ヘルニア等に病気を絞っていらっしゃるので、これらの病気に関して脳外科、神経外科、整形外科のスペシャリストの先生が一堂に会して病気を多角的に診て頂けたように思います。また、実際の検査に関して日本の脳外科では、神経系の検査は殆ど行われませんでした(MRIのデータを見る以外はお話のみ)。一方、キアリ研究所では初めて訪問した際は手術前日だった為か、1時間強かけて体中の反射(お腹の3本ある神経の内1本が手術前は殆ど反応がなくなっていましたが、手術後反射が復活しました。)、サーモカメラによる体の体温状態(これも手術前は指先、つま先が冷たくなっていたのが、術後は末端まで暖かい表示になり、何らかの改善があったのだと思います。)等の検査が行われました。このような細かい検査は日本ではありませんでした。国によって色々なやり方があるのだと感心し、かつ病状の術前術後の変化を視覚的に捉えられるため、素人でも分かりやすいと感じました。 キアリ研究所のスタッフの方々の丁寧なご対応のおかげで、渡航前の手術手続きのやり取りをする間に既にある程度信頼関係が築かれたので、キアリ研究所通院初日が手術前検診日、翌日が手術でも不安はありませんでした。また、帰国後日本でMRIや側彎のレントゲン写真を撮影する度に、キアリ研究所にもデータと画像診断書を送付して症例としてデータを保管して頂いています。ですから、手術で関係が終了ではなく、術後6年半以上経つ現在でも、病状に関して何らかの相談があるときはオンライン(メール)でいつでも先生方に聞くことが出来、コメントを頂けます。触診が不可能なため、必要な場合はキアリ研究所の所見を頂いた上で、日本での受診となります。しかし、これははからずとも、一つの症状に対して、2つの違った医療機関で診て頂くことになるので、セカンドオピニョンを得られるのと同じと感じています。よって、日本の主治医だけでなく、バルセロナのキアリ研究所の先生方との良好な関係を保ち続けることも、実は非常に大切だと感じております。 完全に治ることは無いと言われている3つの病気ですが、娘は今普通に生活を送ることが出来ています。側彎の進行を抑制するために、月に1度(装具の状態も見て頂きつつ必要があればその場で直して頂いて)リハビリに通わなければなりませんが、病気と上手に付き合って生活する術をキアリ研究所の先生方に教えて頂いたように思います。まだまだ日本では認知度が低い終糸切断術ですが、患者の選択肢として、大後頭孔減圧術だけでなく、終糸切断術も挙げられるようになったら、娘と同じ病状で苦しんでいる方々の精神的かつ肉体的負担が減るのではないかと思います。 (この本文は術後3年半経過した2017年夏ごろに書いたものに、今回2020年6月段階で内容を更新・追記しました。あくまでも私達の体験や感じたことですので、医学的根拠とは言えない部分もあるかもしれない点ご了承下さい。)





アンジェロ・ディ・サルボ(Angelo Di Salvo): 特発性脊柱側弯症、小脳扁桃下垂、脊髄牽引症候群

バルセロナキアリ研究所による掲載 2013年10月17日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2012年9月 こんにちは。僕の名前はアンジェロ・ディ・サルボで、16歳です。イタリアのシチリア島のカターニアに住んでいます。 今からおよそ1年半前、脊柱側弯症が急激に悪化したのがきっかけで検査を受けたところ、アーノルド・キアリI型症候群と診断されました。 小さい頃から頭痛と言語発達遅滞があり、地元の神経精神医学センターで診てもらっていました。にもかかわらず、そこの先生には一度もアーノルド・キアリ症候群と診断されたことはありませんでした。 ただ幸運にも、リハビリテーション科の先生のおかげで頭部のMRI検査を受けることができ、そこで小脳扁桃の下垂が見つかりました。 イタリア神経内科の先生に診てもらいましたが、あまり満足のいく結果は得られず、治療を受けても痛みを和らげてくれる気配はありませんでした。両親はインターネットで情報を探し始め、それがきっかけでバルセロナキアリ研究所を見つけられました。私達にとってキアリ研究所での手術が最善の選択肢であると気づき、治療を受けることにしました。 両親はキアリ研究所のジョイアさんに連絡を取り、診断に必要な検査画像を送りました。研究所の医療チームに私の検査画像を見てもらった結果、脊髄牽引症候群、アーノルド・キアリI型症候群、特発性脊柱側弯症が見つかり、診断名を確定するためにキアリ研究所で診察を受けるように言われました。 2012年9月12日にキアリ研究所での診察予約を入れました。診察で丹念に診てもらった後、終糸切断手術の適用が確定されました。9月13日の8時に手術室に入り、14時には起き上がって歩くことができました。翌日には退院許可も下りて、問題なくイタリアに帰れました。 手術から6ヶ月後に最初の術後検診を受けました。新しく撮影した検査画像では小脳扁桃が悪化していないことが確認でき、側弯症も安定していて、アーノルド・キアリ症候群の進行も止まっていました。 手術から1年後、理学療法や水泳などの努力のおかげで、側弯症に変化が現れました。 ロヨ先生(大変人徳のある方です)をはじめ、フィアヨス先生やメンデス先生、ジョイアさんやキアリ研究所スタッフのみなさんには、本当にお世話になりました。みなさんのおかげで将来をもっと穏やかに、晴れた気持ちで見つめられるようになりました。 アンジェロ・ディ・サルボ メールアドレス: [email protected]



ザビナ・ベアルグマン(Sabine Bergmann):特発性脊柱側弯症、特発性脊髄空洞症、歯状突起奇形、頭蓋底陥入症、脊髄症

バルセロナキアリ研究所による掲載 2012年11月22日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2012年9月 ドイツのベルリンに住むザビナ・ベアルグマンと言います。50歳です。 子供の頃から脊柱側弯症(30度)を患っていました。12歳の時から成長期の終わりまで理学療法を受けました。その時「スポーツや年を重ねることで色々な問題が出てくるだろう」と言われました。 20代前半で尾骨部を強打し(現在でも痛みます)、1994年に重度の鞭打ち症になりました。その後、めまい、吐き気、視覚異常、頭痛、筋肉の張りに悩まされるようになりました。読書用のめがねはこれらの症状を悪化させるので、今でも使うことができません。 1999年からの脊柱側弯症により、腰から脚にかけての放散痛、膀胱機能にも異常が見られました。CTガイド下での治療、数えきれないほどの薬、集中的リハビリテーション治療、さらには脊柱側弯症の手術も勧められましたが、その当時から手術を受けるという気持ちにはなりませんでした。 ここ数年で症状が悪化し、日常生活を送るのが苦しくなっていきました。筋肉をつけるために軽い運動をしようとしても、背骨が痛くてできませんでした。ハイキングやサイクリングの後は激しい痛みに襲われ、映画館へ行くことでさえ首が動かなくなるので難しいものでした。日常生活を送るのが日に日に辛くなっていきました。完全に自律神経系が乱れていきました。日頃の首の痛みと日常生活での体にかかる負担で、足の痙攣と痛み、さらに胸椎とろっ骨が頻繁に夜痛くなり、ぶつけどころのない怒りがこみ上げることもありました。ヨガは多少効果がありましたが、それは何よりも精神的なものが大きかったと思います。整骨院の先生には数年の間、定期的に(3週間ごとやひどく痛む時に)治療をしてもらいましたが、少し時間が経ったり変な動きをしたりするとまたすぐ以前と同じように痛み始めました。とてもいい治療ではあったものの、毎回夜には血行障害や頻脈、耳鳴りがして一度も連続して寝られたことはなく、いつも2、3時間程度の睡眠しか取れませんでした。寝返りを打てば痛みが軽減されましたが、すぐに他の部分が痛くなりました。いくつものクッションや枕も試しました。朝はいつも疲れきっていて、このまま体が言うことを聞かなくなっていったら一体どうやって生きていったらいいのか…仕事、そもそも日常生活をどうやって過ごしていけばいいのか、自分に問いかけていました。 今手術を終えて当時の自分を振り返り思うのは、よくあの時痛みに耐えられていたなということです。 私は当時、常に体の中の何かに引っ張られているような感覚がありました。頸椎と胸椎に関して、新たに椎間板ヘルニアによる脊髄症、頭蓋底陥入症、歯状突起奇形、椎骨動脈症候群を患っていることがわかりました。 2012年6月、もう一度必死になってインターネットで情報を探していたところ、キアリ研究所のホームページを見つけました。そこに書かれていた“(異常な緊張状態にある終糸によって起こる)脊髄牽引症候群”という見解を読み、それが私の脊柱側弯症の本当の原因であるとわかり感銘を受けました。18年以上も地元の専門家に治療してもらっても一時的にしか良くならず、今まで鞭打ちによる痛みが消えなかったのはそのためだったのかと納得しました。 すぐにメールを送って、研究所のカタリナ・クーンさんからドイツ語でメールが返ってきました。それからいろいろなことが起こり、2012年9月27日にキアリ研究所のロヨ先生とメンデス先生に手術をしてもらいました。バルセロナで手術を受けるという決断は私にとってとても容易なものでした。研究所にメールを送った瞬間から、私の人生がいい方向に向かっていると感じていました。手術の前日にキアリ研究所で身体検査を受けていた時、精神的に完全に落ち着いていました。キアリ研究所チームの専門知識や対応に私はすべてを任せることができました。あんなにも丹念に検査をしてもらったのは初めてのことです。 手術はうまくいき、次の日にはドイツに帰ることができました。手術後すぐに頸椎の進行が止まった感じを覚えました。手術後4時間経って、手術前に受けた同じ身体検査を受けました。その結果は素晴らしいもので、例えば、術後数時間足らずで握力は両手ともに4キロも増えました。 手術が終わりその翌日目を覚ますと、涙があふれました。こんなにもよく眠れたのは何年ぶりだろうと嬉しさでいっぱいになりました。 手術から7週間経った今、将来をまた前向きに見つめられるようになりました。痛みのない世界はこんなにも素晴らしいものかと実感しています。今はほとんど夜に血行障害や耳鳴りが起こることはなく、起こったとしても以前のように激しくはありません。手術以降、もう足の痙攣はなく、めまいや吐き気は本当に数えるくらいです。以前は常に痛かった背中や脚ですら、今ではほんの1分程度で痛みが消えるのです。整骨院の先生には、手術からあまり経っていないのに脊柱が明らかに矯正されてきていると言われました。 手術費は私が現在得たものに比べれば安いものですが、現在ドイツの健康保険で医療費が戻ってこないか交渉しているところです。終糸切断手術が脊柱側弯症、アーノルド・キアリ奇形、脊髄空洞症の治療に効果的なのは明らかなのに、ドイツの医療保険制度が手術費を負担してくれないのはとても残念なことです。この手術が適用されれば、今後の治療費や早期退職を最小限に抑えることができるのではないでしょうか。私は今後も国際アーノルド・キアリ奇形、脊髄空洞症、脊柱側弯症友の会(AI.SAC.SI.SCO)とともに、ドイツの健康保険を適用して終糸切断手術が受けられるよう交渉を続けるつもりです。 バルセロナキアリ研究所チームのみなさんには本当に感謝しています。みなさんのおかげでまた幸せを感じることができました。幸せすぎて地球丸ごとぎゅっと抱きしめたいくらいです!! 2012年11月 ザビナ・ベアルグマン 連絡先:[email protected]





ジュリア:脊髄牽引症候群、特発性胸腰椎側弯症

バルセロナキアリ研究所による掲載 2009年6月16日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2009年6月 私たちはジュリアの保護者で、ロヨ先生や研究所のチームの皆さんには、当時まだ7歳だったジュリアがお世話になり大変感謝しています。 ジュリアの健康問題は2008年2月に始まりました。 軽度ではありましたが、ジュリアのX脚が気になったので整形外科の定期検診に4歳の時から連れて行っていました。最後の検診の時にジュリアを診てくれた先生が丹念に検査をしてくれたおかげで(他の先生は脚だけ検査して終わりでした)、背を曲げると左右の肩の高さが違うことがわかり、そこで特発性脊柱側弯症と診断され、その後に行ったX線検査でも側弯が確認されました。 その時から病気を治すためにいくつもの整形外科や接骨院を回り、理学療法士や指圧師のもとも訪ねました。 その後わかった脊柱側弯症の大きな問題は、この病気に効果的な治療法はなく、高度の側弯症になるとコルセットを装着することしか病気を治療できないということです。 2009年2月に撮った全脊柱X線検査の結果、不幸にも側弯症が悪化しているのがわかり、2009年3月16日にジュリアをロヨ先生のもとへ連れて行くことにしました。 終糸切断手術は勧められないとイタリアの医者全員に言われたので、手術に対して強い疑念はありましたが、私たちはジュリアに終糸切断手術を受けさせてみようと決めました。手術は2009年6月16日に無事に行われました。 それから一年後の2010年6月に、嬉しいことがわかりました。 それは、脊柱の進行が止まっただけではなく、1、2年前に撮った全脊柱X線検査と現在のものを比べると、明らかに側弯が改善されているということです。ロヨ先生の終糸切断手術がいかに効果的であるか、上のジュリアのX線検査を見れば一目瞭然だと思います。 娘を救ってくれたキアリ研究所のロヨ先生には感謝してもしきれません。私たち家族は前よりも幸せで、あの時ジュリアの手術を決めて本当によかったと思っています。また、常に私たちを助けてくれたキアリ研究所のジョイアさんにも感謝しています。そして最後にリタさん、近くで私たちを励まし、前に進む力を与えてくれて本当にありがとうございました。 いつでもご連絡ください。



ホセフィナ・ロペス小児科医:脊髄牽引症候群、特発性脊柱側弯症、胸椎(T7/T8)椎間板ヘルニア

バルセロナキアリ研究所による掲載 2008年5月16日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2008年5月 みなさん、こんにちは!私の名前はホセフィナ・ロペスです。ある病院で小児科医として働いています。1999年に第5腰椎と第1仙椎の椎間板ヘルニアと診断され、その年の5月にすぐロヨ先生に手術をしてもらいました。ロヨ先生の手術のおかげで1ヶ月後には普通の生活ができるようになりました。 その後2008年3月に、両肩に激しい痛みを感じMRI検査をしたところ、第7胸椎と第8胸椎の椎間板ヘルニア、そして脊柱側弯症を患っていることがわかりました。この時1週間もしないうちにまたロヨ先生にコンタクトを取り、その後すぐに胸椎と終糸切断の手術を受けました。結果は素晴らしいもので、5月に手術を受けて7月には100%元の生活を送ることができました。もちろん運転も水泳も、すべて普通にできています。14歳から患っている脊柱側弯症も治り、今背骨は完全にまっすぐになっています。 患者のみなさん、ぜひバルセロナキアリ研究所のロヨ先生に連絡を取ってみてください。神経内科や脳神経外科の分野で他の医師ができないことをロヨ先生はやってしまう人です。 愛を込めて 連絡先: [email protected]





ハビエル・ロドリゲス(Javier Rodríguez):特発性脊柱側弯症、脊髄係留症候群

バルセロナキアリ研究所による掲載 2008年1月30日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2008年1月 こんにちは。私の名前はハビエル・ロドリゲスで、21歳です。何年も前から背中の痛みがあり、その痛みは2年前からひどくなって、そのせいで夜寝ることができなくなりました。でもロヨ先生の手術のおかげで、その痛みが消えたのです。 痛みがひどくなった2年の間、私は多くの検査を受けましたが、脊柱側弯症に対する治療として鎮痛薬しか処方されませんでした。一時的にしか痛みを和らげることはできず、根本的な問題解決にはたどり着きませんでした。その時に、終糸切断手術を受けたことのある叔父と父を通してロヨ先生を知り、助けを求めました。そこで私も終糸切断手術を受けるように勧められました。 私から言えることは、2008年1月22日に手術を受けて以降背中の痛みは完全に消え、毎晩ぐっすり寝られるようになりました。 メールアドレス: [email protected]





ジュアン・サンチェス・ガルシア(Joan Sanchez García):特発性脊柱側弯症

バルセロナキアリ研究所による掲載 2006年11月1日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2006年11月 私の名前はジュアン・サンチェスです。スペインのバルセロナ出身の25歳です。 終糸切断手術のおかげで病気から解放された嬉しさと、終糸切断手術という発見が私と同じような病気で苦しんでいる人のもとに届くお手伝いをしたいという気持ちから、文書で自分の体験を残したいと思います。 私の抱えていた痛みは、終糸の緊張状態によって引き起こされていた脊柱側弯症でした。これは胸郭の10度、25度、39度の弯曲、さらには小脳が1,5cm下がるというキアリ奇形I型を引き起こしていました。 終糸切断手術はここ10年間の苦しみから私を解放してくれたのです。 ここでこうして術後の回復や体験をお話できるのはとても嬉しいものです。一時的な痛みの軽減にすぎないパッチなどを追い求め、私は針路のない航海を続けた末、本当の解決策に辿り着きました。 手術のおかげで、腹部と頸部の継続的な痛みや定期的に起こる筋肉の拘縮、絶え間ないこわばり感、ただの摩擦でさえくすぐられている感覚を覚える触覚の異常、おそらくあのまま行っていたら決して明るくはない将来が待っていたであろう人生も改善することができました。 手術後、脚の筋肉の30%から40%が戻ってきたことが確認できました。今では自然でよりリラックスした状態で歩くことができています。呼吸に関してももう問題ありません。これらの改善点は比較的最近のものなので、今後も時間とともに回復していくのだと思います。 こんなにも効果的で簡単な手術が、誰かの非難や妨げを受けることなく世界的に認められることを祈っています。 ロヨ先生、本当にありがとうございました! メールアドレス: [email protected]  





マリア-ドローレス・ロペス-ビニャル(María Dolores Lopez Viñal):脊柱側弯症(胸椎)、腰椎椎間関節症

バルセロナキアリ研究所による掲載 2005年4月26日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2005年4月 1997年(29歳)から、腰椎椎間関節に痛みがありました。最初は少し痛む程度だったので、薬を飲めば比較的普通の生活を送れていました。しかし2000年以降から頻繁に痛むようになって治りも悪く、日常生活を送るのが困難になっていきました。 2002年から症状は悪化し、色々な検査を受けましたが、病名はわかりませんでした。 痛みの治療として、抗炎症薬や筋弛緩薬、鎮痛薬の服用、モルヒネ治療、局所温熱療法、マッサージ、リハビリなどを試しました。その後、外科用ステープル、2回の腰椎椎間関節の高周波除神経の手術、オゾン療法なども受けました。最終的に胸腰髄部の硬膜に刺激を送る装置の植込み手術もしましたが、ほとんど効果はありませんでした。 ただの腰の痛みから坐骨神経痛へと悪化し、胸腰部の痛みを伴う拘縮、首の痛み、両手と両足の痺れ、失禁もありました。 体は痛むのに何の病気かわからない、症状も一向に良くならない当時の生活は、大変辛いものでした。主人は仕事が忙しかったため、私一人ですべてをやらなければなりませんでしたが、36歳なのに息子2人の面倒をまともに見られない状態でした。 そんな状況の中、ロヨ先生に一度診てもらうことにしました。提出した検査(MRI検査、X線検査、筋電図検査、全脊柱X線検査)と新たに受けた検査から、診断名(脊髄牽引症候群)を告げられました。診察後に医師から病名を告げられるのは普通のことですが、私にとっては初めてのことだったので、大変特別な意味がありました。 ロヨ先生は終糸を解放するために終糸切断手術を提案し、2005年4月26日にその手術を受けました。手術から数日後、痛みが消えたおかげで薬を飲まなくてもよくなりました。息子の面倒や散歩、ベッドで横になって休めるようになったので、人生はがらっと変わりました。私の変化に家族は「とても元気になったね」と言ってくれました。 3ヶ月が経過した頃、新たに腰部の拘縮が出始め、痛みは左脚にまで広がりました。その痛みは手術前より軽いものでしたが、薬を飲んでも安静にしていても治まりませんでした。 ロヨ先生の診察後、腰椎椎間関節症と診断され、ブロック注射を受けました。その後、 2005年11月29日に腰椎の高周波除神経の手術を受けました。その手術を受けてから3ヶ月間は安静にし、抗炎症薬の服用のおかげもあって痛みは軽減しましたが、完全に消えることはありませんでした。 症状が良くなっていったのは事実ですが、左脚の痛みだけは消えずに残っていました。しかし、ロヨ先生には時間とともに痛みは緩和していくだろうと言われていたので、そうなるのを心待ちにしていました。実際、2006年4月から現在(2007年7月)までの間に明らかな改善が見られ、多少の制限はありますが、それでも痛みのない平穏な日々を過ごすことができ、希望を持って人生を見つめることができるようになりました。





ドローレス・ゴメス-クベロ(Dolores Gómez Cubero):脊柱側弯症、椎間板ヘルニア

バルセロナキアリ研究所による掲載 2001年2月17日
患者さんの同意のもとに掲載

手術日:2001年2月 私の名前はドローレス・ゴメスです。バルセロナに住んでいます。1992年に仕事中に転倒するまで、健康に恵まれた人生を送っていました。転倒によって10日入院することになり、その後6ヶ月間休職し毎日リハビリを行っていました。 仕事復帰してから健康状態が悪化していきました。頸部の痛みと右脚および右腕に力が入らなくなり、普通の生活を送るのが困難になっていきました。1995年6月、右脚が全く動かせなくなりベイビッジャ(Bellvitge)病院に入院、そこで原因不明の急性脊髄炎と診断されました。脊髄炎の原因を突き止めるために10日間検査入院し、頸部と胸部のMRI検査から、第6頸椎-第7頸椎間の椎間板ヘルニア、第3頸髄-第6頸髄の腫れと異常を示すサイン、第8胸椎-第9胸椎椎間板の突出が確認されました。 退院許可が出た後は抗炎症薬と脊髄炎用の薬を処方され、月1で定期検診を受けるように言われました。8ヶ月休職し、毎日右脚のリハビリを行っていました。そのおかげで右脚の感覚と筋肉は少し戻ってきましたが、首の痛みは断続的に激しくなり、医者には鎮痛薬と抗炎症薬の服用、頸椎カラーの装着と安静を指示されました。 その時期から度々気を失うようになり、定期検診で受けた検査の結果、脳に小さなしみのようなものが見つかり、おそらく多発性硬化症ではないかと医者に言われました。痛みもひどく、気を失う回数も増え、徐々に普通の生活が送れなくなりました。 友人を通してミゲル・ロヨ-サルバドール先生の存在を知り、2001年に初めて診察を受けました。先生の見解は、第6頸椎-第7頸椎間の椎間板ヘルニア、脊髄症は確認できたものの、多発性硬化症の症状は見られないとのことでした。治療については、頸椎椎間板ヘルニアの外科的治療を提案され、手術によって生活の質の改善が期待され、頸椎の圧迫が取り除かれることで脊髄の炎症がなくなるだろうと言われました。それを聞いて、労働災害で始まった私の健康問題を解決できるのではないかと思う一方、前回の診断名とは全く関係ない新しい診断名に、戸惑いもありました。 しかしここ6年間で体調が悪化し、生きるのも苦しくなり、私はすべてをロヨ先生に託すことにしました。 手術はチタンケージの固定と移植で、無事に終わりました。手術から6ヶ月後には仕事復帰し、まるで生まれ変わったように元気があふれて、普通の生活が送れるようになりました。 それから2年後、また体が痛むようになり、失神や感覚障害、右半身の脱力感なども出てきました。新たにC5-C6の頸椎症性脊髄症にかかりました。ロヨ先生の診察を再度予約し、その診察で再手術を提案されました。当時、先生は椎間板症と並行して脊髄炎症が見られる現象について研究していました。 私は再度ロヨ先生に手術をしてもらい、手術は無事に成功しました。当時の健康状態が影響してか、術後経過は最初に受けた手術の時よりも時間がかかりました。先生には、胸椎椎間板ヘルニアの状態を見るため、1年後に検査を受けるように言われました(実際、胸部が痛むことがありました)。 その間、以前の背中の痛みと圧迫感が戻ってきて、気を失ったり、右脚の感覚がなくなって、力が入らなくなったりしました。ロヨ先生に診てもらった結果、新たに脊柱側弯症(胸腰椎)と胸部脊髄症を患っていることがわかりました。先生は数年前からある画期的な手術を行っていて、その手術は脊髄を解放するために終糸を切断する外科治療だと言っていました。手術結果は大変良く、手術を受けた患者さんは、術後生活の質が改善されたとの報告が出ていました。私の病状は、終糸切断手術が適用されるとのことで、終糸切断手術と胸椎椎間板ヘルニアの2つの手術を提案されました。再度ロヨ先生に手術をしてもらい、手術は両方とも成功しました。 手術から2ヶ月後、健康状態と精神状態が良くなったことに気づきました。5年間におよぶ恒常的な痛みのある生活、制限された生活から初めて解放され、右脚に力が入るようになって感覚も戻り、前よりも日常生活が送りやすくなりました。 これらすべては、もう一度私として生きることを可能にしたロヨ先生のおかげです。ロヨ先生には本当にお世話になりました。先生の温かい対応のおかげで、手術を前にしても安心して先生に任せることができました。また、医療チームのみなさんにもこの場を借りて御礼申し上げます。みなさんのおかげで、私らしい生活を送ることができるようになりました。






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