Published by ICSEB at 2011年4月19日
手術日:2010年5月
みなさん、こんにちは。パウラ・ゴンサウヴェス—フェルナンデスと言います。36歳です。
無数の検査と診察を受けましたが、何の解決策も得られないまま何年もの月日が経ちました。アンドラのMiralles先生を訪ねた2009年7月、今まで撮ったすべての検査画像を提出したところ、まだ私が頭部と脊柱のMRI検査を受けていないことに先生が気づき、MRIを撮るように手続きをしてくれました。そして検査結果を通して、アーノルド・キアリ奇形と診断されたのです。
その後すぐにバルセロナの病院(親切な応対でした)を紹介され、そこで大後頭減圧術を受けるように言われました。2009年8月に手術が行われ、手術は無事に成功しました。
しかし、術後も頭の痛みは残っていて、どうやってもその痛みを取り除くことはできませんでした。脳神経外科医には、背泳ぎをすれば首と背中の筋肉をほぐせるからと言われ水泳を習いましたが、結局改善は見られませんでした。
2010年1月、脳神経外科の先生に、チタン製の板で頭を固定しなければならないだろうと告げらました。手術によって残りの人生は頭を前後左右に動かせなくなる障害を持ったまま過ごしていかなければならないと言われ、私も家族もひどく困惑しました。
その時でした。神様は私に前に進む力を与えてくださり、インターネット上でバルセロナキアリ研究所のウェブサイトを見つけることができたのです。すぐにキアリ研究所に電話し、丁寧な対応のもと診察日の予約をしました。
最初にロヨ先生を見た瞬間から、この先生なら私を助けてくれると感じていました。30代の時からですから約6年間ずっと痛みに耐え、体重も42キロまで落ちました。初診後先生には、今よりももっと充実した人生を送れるだろうと言ってもらい、私は晴れた気持ちで手術を受け入れました。2010年5月5日(今からおよそ1年前)、シマ病院でロヨ先生に終糸切断手術をしてもらいました。
私自身も自分の症状に困惑していたので、うまく言葉で表現できるか自信はありませんが、手術前の病状はというと、当時はあまりにも体調が悪かったので、一体私の体に何が起こっているのかわかりませんでしたし、誰も私を助けてくれる人はいませんでした。一人で歩くことができないうえ、めまいもあったので、主人か子供たち(13歳の娘と8歳の息子)につかまって歩いていました。いつも寒く、足や手のしびれ、蝶のように目が絶えず動いたりすることもあって、14年前から運転免許を所持していましたが、車を運転することはできませんでした。
神様とロヨ先生、そして研究所チームのおかげで今は一人で歩けるのはもちろん、道を渡ることもできるようになりました(手術を受ける前は、車が来ないか左右確認をするのが難しかったです)。仕事場へも車で行け、まるで生まれ変わったようです。以前はできなかった、ソファーやベッドに横になってテレビを見ることも今ではできます。現在の体重は55キロと普通に戻り、以前よりもきれいに、生きる力にあふれた自分がいて、本当に幸せです。以前は息子をお風呂に入れる力さえなかった悲しくて意気消沈していた自分とは大違いです。
ロヨ先生の診察と手術を決心して本当によかったです。私は月曜日にシマ病院に入院し(こちらも素晴らしい対応でした)、水曜日の午後には自宅のあるアンドラに帰っていました。術後4ヶ月経ってすでに変化を感じ始め、人生がいい方向に向いているような気がしました。最初の変化は、一人で道を歩けるようになったことです。日に日にめまいの頻度も減り、眼振も緩和していったおかげで、テレビも見やすくなりました。ロヨ先生や研究所チームの方々は、医者であるとともに、苦しんでいる人に耳を傾け、プロとして、また人間として一番いい方法で最善を尽くそうとしてくれる方々です。心から感謝申し上げます。
私と同じ病気を持っているみなさんに、一度ロヨ先生のもとを訪ねてほしいと思っています。ロヨ先生が助けてくれるので、どうかみなさん先生を信じて絶対に希望を捨てないでください。いつかきっと今の状況を変えることができます。前に進む力を持って頑張ってください。
2011年4月10日 アンドラより
パウラ・ゴンサウヴェス・フェルナンデス
メールアドレス: [email protected]
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