注: こちらに掲載している体験談は、患者さん個人の経験や感想であり、バルセロナキアリ研究所としての見解を示すものではございません。
バルセロナキアリ研究所による掲載 2017年9月22日
患者さんの同意のもとに掲載
手術実施年:2014年と2016年 みなさん、こんにちは。 私たち夫婦は素晴らしい3人の子供に恵まれましたが、不幸にも3人ともキアリ奇形を持って生まれました。当時の私たちは、キアリ奇形という病気が存在することすら知りませんでした。 長女に病気の症状が出始めたのは、娘がまだ小さいときでした。周期的な嘔吐に加え、成長とともに頭痛や音と光に対して敏感になるようになりました。娘がどんな病気を抱えているのか調べるため、イタリア中の病院を回りました。バルセロナキアリ研究所で診てもらう前に訪れたローマの病院では、神経内科医長に診てもらいましたが、先生からは単なる頭痛だから、これ以上検査をする必要はないと言われました。長女が頭痛のほか、脚の疲れやめまいなども訴えていると話しましたが、それでも単なる頭痛と言うだけでした。 診断に納得がいかなかったので、ローマにあるもう一つの病院に行き、そこでは細かく診てもらえ、MRI検査を受けるように言われました。しかし、その病院の放射線技師から「キアリ奇形II型」という誤診を受け、そこから私たちの苦難の道が始まりました。私たち夫婦はインターネットで必死に情報を集め、イタリアやアメリカの有名な病院にコンタクトを取りました。最終的にスペインにあるバルセロナキアリ研究所に連絡を取り、すぐに長女の病気がキアリ奇形I型だとの回答が来ました。その後バルセロナキアリ研究所について調べ始め、手術を受けた人に電話もかけたりしました。そして、バルセロナキアリ研究所を信じて、長女に手術を受けさせることにしました。 長女の人生は、手術を受けた日から変わりました。術後の1ヶ月検診でバルセロナに戻った際に、術前は100メートルも歩けなかった娘が、術後は10キロも歩けるようになっていました。術前は、頭痛で車内で音楽を聞くことなんてできなかったのに、術後は問題なく音楽を聞いていました。 長女のことがあったので、もう2人の子供にも似たような症状が出ていることにすぐに気づきました。そこで、二人もバルセロナに連れて行き手術を受けさせました。手術の結果は素晴らしいものでした。 ロヨ先生、フィアヨス先生、イタリア語担当のエレナさんとジョイアさんはじめ、すべての研究所チームのみなさんに心から感謝申し上げます。研究所のみなさんには私たち夫婦、そして子供達の人生に新しい希望の光を注いでくれました。 お父様のファビオさんの連絡先: +39 335.6043769
バルセロナキアリ研究所による掲載 2016年4月29日
患者さんの同意のもとに掲載
メラニーさんのMRI画像 終糸切断手術前 終糸切断手術後 アジベさんの体験談(動画): アジベ・アスラニ(Asibe Asllani):小脳扁桃下垂(キアリ奇形I型)、特発性脊柱側弯症、脊髄牽引症候群 メラニー・アンブロジ(Melanie Ambrogi):小脳扁桃下垂(キアリ奇形I型)、特発性脊髄空洞症、脊髄牽引症候群 ジェニファー・アンブロジ(Jennifer Ambrogi):小脳扁桃下垂(キアリ奇形I型)、特発性脊柱側弯症、脊髄牽引症候群 バレンティーナ・アンブロジ(Valentina Ambrogi):小脳扁桃下垂(キアリ奇形I型)、特発性脊柱側弯症、脊髄牽引症候群 私の名前はアジベ・アスラニで、43歳です。アルバニアで生まれ、1994年からイタリアに住んでいます。1995年に主人のバレンティーノと知り合い、その数ヶ月後に結婚しました。私達夫婦は3人の娘を授かりました、1996年にバレンティーナ、2004年の9月に双子のメラニーとジェニファーが生まれました。 今回私がお話することは信じられないかもしれませんが、実際に私が体験したことです。数年抱えていた重荷を少しでも軽減できればという思いと、おそらく私や私の家族のような状況に置かれている人に希望が与えられるのではないかと思い、ここで共有しようと思いました。 すべては双子が生まれた時に始まりました。私は14歳の時から健康面で問題を抱えていましたが、双子が生まれてからさらにその状況は悪化しました。いくつか検査を受けて、私が重度の脊柱後側弯症を患っていることがわかりました。その時やっと幼少時代からあった背中のこぶの正体がわかりました。それ以降、痛みを軽減するために理学療法を受けましたが、治療の効果はほとんどなく、効いたとしてもほんのわずかの時間だけで、治療を受けた後には決まって痛みがぶり返すようになりました。その他に鎮痛療法も受けましたがやはり効果はなく、むしろ食道裂孔ヘルニア(4度)を引き起こす結果になりました。それと同時期の2005年9月のある日、まだ1歳にもなっていなかったメラニーは無熱性痙攣を3回起こし、グッビオの病院に運ばれた後、緊急でペルージャの病院に搬送されました。様々な検査を行った後、メラニーがサイトメガロウィルス、地中海貧血、ロタウィルスに感染していて、それらが痙攣の原因だろうと言われました。娘はまだ11ヶ月だったので、健康状態をもう少し詳しく診てもらうためMRI検査をお願いしました。そしてその結果、メラニーがアーノルド・キアリ奇形I型を患っていることがわかりました。ただ、医者には大した病気ではないから心配しなくていいと言われました。 メラニーは双子のジェニファーに比べて身長があまり伸びず、歩くのも遅く、便秘がちでした。2006年に2歳になって再度MRI検査を行ったところ、やはりキアリ奇形は存在していました。何か妙なことが起こっているのではないかといても立ってもいられなくなった私は、脳神経外科医の診察をお願いしました。脳神経外科の先生に娘を診てもらった後、先生には心配しすぎだと言われました。それ以降、メラニーの症状は悪化していきました。ひっきりなしに泣き、痛みで身をよじることがありました。 2008年3月にメラニーは3回目のMRI検査を受け、そこで新たに脊髄空洞症(第4頸髄-第7胸髄)を患っていることがわかりました。メラニーはペルージャの病院に入院後、ローマのジェメッリ病院に転院することになりました。私の39歳の誕生日に、娘にとって初めてとなる手術、大後頭孔減圧術と小脳扁桃の切除、さらに硬膜形成術を受けました。手術から4日後、傷口から髄液が漏れメラニーは20日治療を受けました。 2008年5月30日、術後検診で受けたMRI検査で髄液に問題があることがわかり、再度メラニーは手術することになりました。それから1週間後、退院許可が下りてグッビオに帰りました。しかしその後もメラニーは不調を訴えて続け、座っている時でさえ平衡感覚を失っていました。そして術後に受けたMRI検査で、脊髄の空洞が第1頸髄から第11胸髄まで広がっていることがわかりました。 多くの医者や専門家の意見を聞こうと、主人と一緒にウーディネからボローニャ、フィレンツェからローマとイタリア中を回りました。すべての医者に、頭部のほかの手術を受けるように勧められましたが、私達夫婦はもう二度とメラニーに同じような手術を受けさせないと決めていました。 2010年の夏に行われた地元のお祭りで、キアリ奇形について話している人たちに偶然会いました。その人たちはバルセロナの私立機関で体に負担の少ない手術を受けた知り合いの話をしていて、手術のおかげで健康問題の大部分が改善できたと言っていました。私は早速バルセロナキアリ研究所のホームページで、キアリ奇形に関して情報を集め始め、アーノルド・キアリ奇形を患っている人が世界中にたくさんいるということに大変驚きました。怖い気持ちもありましたが、勇気を持ってスペインでメラニーに手術を受けさせるという選択肢を真剣に考え始めました。ただ、決断する前に一度、終糸切断手術を受けた女性、ロザンナ・ビアジョッティ(Rosanna Biagiotti)さんに話を聞いてみることにしました。 ロザンナさんは私を温かく迎えてくれ、病気に対する希望を与えてくれました。ロザンナさんにメラニーと歩んできた今までの道を話すと、直接バルセロナの先生に診てもらった方がいいと提案してくれました。同年11月、娘の病気の答えを見つけるため私は希望とともにメラニーとバルセロナへ向かいました。私が持っていったMRI画像をロヨ先生が見ている間、私達は座って待っていましたが、その間メラニーは先生たちの顔を描いていました。ロヨ先生には、メラニーの場合は無呼吸症候群を患っていて心肺機能に影響が出ているから、このままだと死につながる恐れがあり、すぐにでも手術を受けさせたほうがいいと言われました。また、先生から終糸切断手術がどういう手術なのか、手術費用はどのくらいかなど詳細に説明を受けました。手術費用に関して言うと、当時主人は失業していて、私もパートで働いていたので、どうやって手術費用をまかなおうか不安だらけでしたが、とにかくメラニーが手術を受けられるようできる限りのことをやらなければと思いました。スペインへの冒険、ロヨ先生の言葉、手術を受けた人の体験談から、メラニーを救うにはもう終糸切断手術しかないと思いました。 手術に必要な資金をなんとかするため、グッビオに戻るとすぐに地元の教会の司祭様のところにメラニーの小児科医と足を運びました。Agnese協会に連絡し、私の置かれている状況を話すと、Agnese協会がメラニーの手術費用全額を支援してくれると言うのです。数週間もしないうちに手術費用は集まり、1ヶ月も経たないうちにバルセロナに戻ることができました。その時私は、これまでの恐怖や苦労が報われ、天からの恵みを受けたような気がしました。 2010年12月、メラニーは終糸切断手術を受けました。術後すぐに病状が良くなり、もうメラニーが痛みで泣くようなことはなくなりました。手術から3日後、退院許可が出てグッビオに帰りました。ロヨ先生が手術の前に言っていたように、すべては順調にいっているように見えましたし、信じられないことかもしれませんが、実際すべて順調にいきました!メラニーが手術前にかかえていた痛みは消え、メラニーはやっと本来の人生を歩み始めたのです。 2011年1月、メラニーの術後検診でバルセロナに戻る時、私は双子のジェニファー(メラニーと違って一切症状はありませんでしたが)も連れて行きました。メラニーの診察でロヨ先生に初めて会った時、先生は私が脊柱側弯症でMRIを撮っていることを知っていて、メラニーと同様私の健康問題もキアリ奇形から来るものかもしれないからMRIを送るように言われていましたが、私の一番の心配はメラニーだったので、ずっと準備せずにいました。それに脊柱側弯症はかなり進行していたので、手術では治らないと思いずっと先延ばしにしていました。また、メラニー以外にジェニファーもアーノルド・キアリ奇形と脊髄牽引を患っていることが脊柱のMRI検査でわかり、私の健康問題を心配している余裕はありませんでした。 それから2ヶ月後、ロヨ先生は会議のためにイタリアのトリエステに来ていたので、私達もそこに行き、先生にジェニファーのMRIを手渡しました。その後、ロヨ先生にジェニファーがメラニーと同じ病気を患っていることを確定され、終糸切断手術が適用されるとの返事が返ってきました。私は再度メラニーの時と同じようにAgnese協会に連絡を取り、ジェニファーの手術費用を援助してくれるとの回答を得ることができました。 2011年12月21日にジェニファーの手術が行われ、無事に成功しました。2012年2月に術後検診のためバルセロナへ渡り、その時は私のMRIと長女のバレンティーナ(当時まだ症状はありませんでしたが)のMRIも持っていきました。 ロヨ先生には、アーノルド・キアリ奇形は遺伝性疾患で、私の持っていた病気が娘たちに遺伝したため、長女のバレンティーナ、そして私も終糸切断手術を受ける必要があると言われました。再度Agnese協会と話をし、バレンティーナの手術費用も援助してくれることになりました。また、私の手術費用に関してはADA協会が資金援助してくれることになりました。 友人のデブラに付き添ってもらい、私は5月22日に人生初めての手術を受けました。その後1ヶ月もしないうちに、娘のバレンティーナも手術しました。手術がいかに効果的だったかを自分の肌で感じ、大変驚きました。実際、脊柱の側弯は目に見えるほど明らかですが、もう以前のような痛みはなく、肉体的にも精神的にも生き返ったようでした。力がみなぎり、その力がどこから来るものなのか自分でもよくわかりませんでした。すでに術後の病状に満足していましたが、数ヶ月経った現在でもさらに調子がよくなっているので、本当に嬉しい限りです。 この経験を通して、私を支え、前に進む勇気と力を与えてくれるたくさんの素晴らしい人に出会いました。手術費用を援助してくれたAgnese協会とADA協会には本当に感謝しています。そしてルカさん、UNITALSI協会、パナタ先生、マルツィア・レオナルディ先生、そしてロザンナ・ビアジョッティさんをはじめとする多くの方にお礼申し上げます。最後に、信じる心と希望を与えてくれた神様にも感謝しています。これから私は、神様へ感謝の気持ちを伝える手段として、信仰教育を受けようと思っています。 連絡先:0039 3292971877
バルセロナキアリ研究所による掲載 2012年6月2日
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ジュリオ・バレンテ(Giulio Valente):脊髄牽引症候群、小脳扁桃下垂 手術日:2012年2月 こんにちは。私の名前はジュリオ・バレンテです。25歳です。2012年2月にバルセロナでロヨ先生に手術をしてもらいました。 2011年11月にMRIを撮ったことで、アーノルド・キアリ奇形I型を患っていることがわかりました。 2011年4月に母がキアリ奇形I型で手術を受けたこともあり、私達兄弟3人もMRI検査を受けることにしました。その結果3人ともこの“希少”な病気にかかっていることがわかり、終糸切断手術を受けました。 “希少”とは言え、私はこの病気を患っている人を知っているのでそこまで珍しいわけではないと思います。ただ、希少と言った方が医者にとっては都合がいいのかもしれません。 急激で過剰な成長によって8歳から激しい痛みがあり、臓器内に問題が現れました。レイノー症候群:手足の血行不良、腎臓の疲労からくる蛋白尿。患っていた症状の中には、医者でも説明できない症状がありました。何分も続く激しい頭痛のほか、首やあご、歯や目にも痛みが現れました。神経精神科に行くようにも勧められましたが、一度も行くことはありませんでした。偏頭痛はほっておいたり鎮痛薬を飲んだりすれば収まりましたし、そもそも精神科医が治してくれるとは当初から思っていませんでした。 16歳になるまで特に問題なく過ごしていましたが、19歳くらいに体調が悪くなりました。腸に問題があり、2週間のうちに15キロ痩せました。食べても吐いてしまうので何も食べることができませんでした。その時は数々の検査を受け数ヶ月間医者に診てもらっていましたが、何も原因はわかりませんでした。数日経って症状はすべて消え、それから22歳になるまで何も問題はありませんでした。 私はホテルでポーターとして夜間勤務をしていましたが、ある日の晩、パソコンを使って作業をしていたところ、右腕が急に熱くなり腫れていくような感覚を覚え、数分後には腕が動かせなくなりましたが、数分経ってその症状は消えました。このような症状がほぼ毎晩出るようになり、ただその時は前の経験も踏まえて、病院には行きませんでした。それから数ヶ月後、実際に症状は毎回減っていき、偏頭痛もなくなりました。 2010年8月にモトクロス中に胸椎を骨折し、完治するまでにおよそ4ヶ月ほどかかりました。 療養期間中に、何秒かめまいを感じ、その後数分間ぼんやりすることがありました。通常の生活に戻ってからは、めまいが徐々に激しさを増し、自分一人では立っていられないほど平衡感覚を失うまでになりました。その後、手足に激しい疲労感が現れ、夜寝ようといすから立ち上がるのも辛くなり、記憶障害も見られるようになり、少し前に言ったことを思い出せなくなりました。24歳なのにまるで80歳のようで、スポーツマンで活発だった自分が、怠け者でぐうたらな人間となっていき、夜の生活にも支障が出てきて、健康状態が本当に心配になっていきました。 同時期に母も体の不調を訴えていたのでMRI検査を受けたところ、アーノルド・キアリ奇形I型を患っていることがわかりました。診断後数日経って、同じ病気を患っている女性と知り合うことができ、その女性からバルセロナのロヨ先生の低侵襲治療である術後の経過のよい手術を受けたと知りました。私にとって唯一の障害は、手術費用でした。 母はインターネットで病気に関する症状や情報を探し、イタリアではキアリ奇形の治療として体に負担のかかる大後頭孔減圧術を行っていると知り、減圧術を受けた人の術後の経過について読み、術後も症状は変わらない、むしろ悪化し、不合理な薬の量を飲むはめになると読みました。減圧術と終糸切断手術を比較し、体験談も読みました。 母の体調は日に日に悪くなり、私の抱える症状も悪化し、私達家族はバルセロナに行けるようにするためにはどうすればいいか探し、援助団体からサポートを受けることに成功し、母はロヨ先生に手術をしてもらえることになりました。術後数週間で素晴らしい回復が見られました。 私の症状を話すと、ロヨ先生には、キアリ奇形は先天性疾患だから私を含め兄弟3人ともMRIを撮るように言われました。兄弟2人はMRI検査を受け、その結果、キアリ奇形I型を伴う脊髄空洞症であることがわかりました。私はとても怖くなりMRI検査をずっと先送りしていました。 以前とは異なり症状の現れる回数と度合いが増し、脚が動かせなくなって、朝も起きられなくなり、最終的に2011年11月にMRIを撮ることにしました。そこで3mmの小脳扁桃下垂が見つかりました (イタリアの法律では4mmからアーノルド・キアリ奇形と診断されます)。さらに、1年半前の脊椎損傷が病気を進行させていたということがわかりました。 2012年2月下旬、終糸切断手術を受け、術後4時間後には問題なく一人で歩けるようになり、術後6時間後には改善が見られました。6ヶ月経った現在、めまいはほぼなくなり、以前のような手足の疲労感もなくなりました。術後15日経って大好きなバイクにも乗れるようになり、やっと人生を取り戻しました。 ロヨ先生にこの場を借りて御礼申し上げます。先生は安心感を与えてくれる人で、手をにぎっただけでそれが伝わってきます。そして、研究所チームの方々にも心から感謝申し上げます。温かく迎え、常に答えを与えてくれました。奇病と呼ばれるこの病気に立ち向かう勇気をくれました。 また、イタリアアーノルド・キアリ奇形&脊髄空洞症&脊柱側弯症友の会(AI.SAC.SI.SCO)の方々にも感謝の気持ちでいっぱいです。受け入れるのが難しいこの病気を共有し、それに立ち向かうことができました。 バレンテ・ジュリオ 追記:ジュリオ・バレンテさんからの手紙 https://www.institutchiaribcn.com/index.php?arxiu=fitxa_document&idioma=14&id=19054
バルセロナキアリ研究所による掲載 2011年12月13日
患者さんの同意のもとに掲載
手術日:2000年10月 私の名前はソニア・アシンです。具体的に言うと、私はロヨ先生の終糸切断手術を受けた12番目の患者です。 9歳のときに脊柱側弯症と診断されてから、私の人生は常に病気に縛られた状態でした。脊柱側弯症だとわかったのは、いつも背中の痛みを訴えていて、ある時期は座ってさえいられなかったからです。小児科の先生には水泳をすれば治ると言われたので、長い間水泳をしていました。18歳のときの側弯の角度は、48度(胸椎)と50度(腰椎)でした。 私は当時、ロヨ先生にお会いできるという幸運に恵まれ、先生が話してくれたことすべては論理的で首尾一貫していたので、初めて会った時からロヨ先生を信じることができました。初めて診てもらった日のことを今でもよく覚えています。先生は私にある質問をし、それは私にとって大変意味のあるものでした。「あなたの抱えている痛みは何ですか?」そのとき初めて、私の前に側弯症を患うということがどういうことなのかきちんとわかっている先生に出会えたと実感しました。先生は、側弯症はただ単に脊柱が曲がっているというだけではなく、頸椎や腰椎部分の永続的な痛み、背中全体の筋肉拘縮、さらには両手のしびれや足の裏のけいれんといった痛みにも耐えなければならないとわかっていました。 1999年に手術を受けようと決めた時、終糸切断手術を受けた患者は私の前には11人しかいませんでした。手術後約10日間はベッドに横になっている必要があるだろうと聞きましたが、素晴らしい技術をもった医師のもとにいるから、少しも怖くはありませんでした。術後目を覚ました後、ロヨ先生には、終糸切断手術という新しい手術手技で手術できたおかげで手術の次の日にはベッドから起き上がれるだろうと説明されました。そしてロヨ先生に言われた通り、次の日にはベッドから一人で起き上がって歩くことができ、さらに3日後には自宅に帰ることができました。 手術後、長年患っていたほとんどの痛みは消え、毎日の生活は痛みと無縁のものになっていきました。さらに驚くことに、2年後には胸椎と腰椎部分の両方の側弯が10度も改善されていました。ロヨ先生にはどんなに感謝してもしきれません。その後、13年経った2011年10月、6歳の私の娘の手術もロヨ先生にお願いしました。私や娘のような患者を助けるために、何年にも及ぶ研究や闘争には本当に感謝しています。 愛を込めて
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