エルビナ・エブセエバ(Elvina Evseeva): 脊髄空洞症、脊髄牽引症候群

手術日:2010年1月 ロシア人 私の健康問題は今から7年前の2003年11月に始まりました。帝王切開で息子を出産したあと、1日で17キロも痩せました。体重が減ったことを喜んでいましたが、歩こうとすると右によろめくようになり、麻酔の一時的な副作用だから、少しずつ改善されるだろうと思ってあまり気にしていませんでした。それに出産後、私にはそんな“些細なこと”を気にかけている時間はありませんでした。以前より疲れやすくなりましたが、小さい子どもを持つママなら普通のことだろうと思っていました(今思うと、あの時の疲労感は異常でした)。横になってもベッドの上にいるというよりは、ベッドが体の上にあるようで、押しつぶされている感覚がありました。時間が経つにつれ、目には色のついた振動が見え始めて、それは絶えず動いていました。これはほぼ毎日、日によっては1日に何回も起こるようになりました。だいたい15分から17分ほど続きました(実際に計ったので確かです)。それが起こっている時は何も見えなくなるので、いすに座ってじっと終わるのを待っていました。しかし眼科医には、目には特に異常は見られないと言われました。 1年経って、足の薬指にしびれを感じました。こすったりマッサージをしたりしましたが、一向にその感覚はなくなりませんでした。時間とともに、足から膝、そして足全体へと感覚は広がっていきました。触覚はありましたが、それはまるで分厚い布地の上から触られているようでした。足の指の皮膚は乾燥しむけていき、クリームを塗っても良くなりませんでした。脚も徐々に痩せていき、常に冷たく、皮膚の色も灰色に変わっていきました。痙攣も起こり、耐え難いものでした。それから少しして、骨の中が焼け付くような感覚が加わりました。また、普通のめまいではなく奇妙な電気ショックを伴うめまいもありました。歩こうとしてもうまく右足を動かすことができず、もう普通には歩けませんでした。足はまるで支柱のように重たく、家の中では壁にしがみつきながら歩いていました。 神経内科の先生の診察を受けましたが、何も変わりませんでした。今でもあの時のことを思い出すと嫌な気持ちになります。先生は私の話を聞き、指で鼻を触ったりする検査や、細いもので体をひっかく検査も受けました。私と息子が今何歳か聞かれ、最後に「大したことではないからあまり心配しすぎないように」と大変“ためになるアドバイス”をくれました。廊下に出たとたん、ショックで涙があふれました。その後、他の神経内科の先生の診察を受けました。その先生は病気について前の先生よりも知っているような印象を受けました。先生は私の話に耳を傾けてくれましたが、診療録には「EM」の文字が書かれただけで、ミルガンマ(Milgamma)を処方されて終わりました。 時間が経つごとに無気力感が増し、ほぼ毎朝吐き気がしていました。日に日にひどくなっていき、自分の健康は自分でなんとかしなければと、地元のサマラの治療センターへと足を運びました。私の持っているすべての検査結果を持って診察を受けましたが、「検査結果はすべて正常」との回答でした。MRIを受けさせてもらえないかと頼んだところ、「あなたは私達医者より賢いと思っているんですか。言われなくてもあなたにどんな検査が必要かわかっています」と言われました。その時受けた検査は全額患者負担だったのでとても高かったです。 その後、右目の視力が徐々に落ちていきました。両目を使えばしっかり見えていたので、すぐには気づきませんでした。また、右わき腹を下にして横になった時の右耳の耳鳴りがひどく、耳にトランスボックスをつけられたようでした。耳鳴りが原因でよく眠れず、横になるのも苦痛でした。背中と首、腕と足にかけて痛みがあり、時々呼吸ができないことがありました。台所では食器を2、3個洗っただけで力尽きていました。腕と肩を持ち上げるのも難しくなり、足も思うように動かせなくて、よく転倒するようになりました。一番辛かったのは、まだ小さい息子の「どうしてママは転んだの?」という質問に答える時でした。息子は床に倒れている私のそばに座り、「ママは牛のようにまぬけだから転ぶんだね」と言って笑いました。息子には“まぬけ”や“牛”という言葉が面白かったようです。笑った後は、部屋に行っておもちゃで遊び始め、私はその後なんとか一人で立ち上がり、ソファーへと倒れ落ちて寝ました。少しずつ息子に私の健康問題を隠すのが難しくなりました。 時が経つとともに状況は悪化していき、体から奇妙な体臭がするようになって、そのにおいは腐った肉が放つにおいに似ていました。髪の毛が抜け、髪をとかすのが怖くなり、飲み込むのも、度々むせていたので家族とテーブルを囲んでの食事が難しくなりました。食べるという動作は私にとってまさに拷問でした。噛んだ後に飲み込んではみるものの、その後何が起こるのかわかりませんでした。食事が喉に近づくと一旦止まり、喉の筋肉が動いて、飲み込んでくれるまで待たなければなりませんでした。飲み込めない場合は食べ物が喉に詰まって、少しの間咳き込むことがありました。また、この時期右側の腎臓が8cm下がりました。 常に引っ張られている感覚があり、時折痙攣も起こりました。当時は常に腰や背中、肩が痛みました。体は常に硬直していました。右足に力を入れても3、4cmしか上げられず、その状態も数秒しか保つことはできませんでした。階段を上るときはズボンをつかんで足を持ち上げながら上っていました。ソファーに座っている時は、足の位置を見なければ、自分自身が足を伸ばしているのか曲げているのかわかりませんでした。6年半の間に診てもらった医師の中で私の健康問題を真剣に考えてくれた先生は、一人もいませんでした。 2009年の夏、クヴァトヴァ(Kuvatova)病院に行きました。個人的にお願いしたMRI検査を翌日には受けることができました。下半身の部分に異常があったので、腰部のMRIから撮り、その後腰より上の部分を撮影していきました。おそらく病院側の配慮で、MRI検査費用の一部を払うだけで済みました。そして、MRI検査を通して脊髄空洞症と診断されました。医者には、治療法はなく、今後生活がしにくくなるだろうけれど、「元気を出して頑張ってください」と言われました。 一方、主人は半年間インターネットで、とにかく様々な情報を探しました。バルセロナキアリ研究所の情報を見つけた時はその情報を見つけられたこと自体信じることができませんでした。すべての体験談に目を通し、終糸切断手術が唯一の病気の解決策だと私達夫婦は確信しました。 2010年1月26日、私は手術を受けました。麻酔から覚めた時幸福感を体中で感じ、手術が成功したと実感しました。完全に健康な体に生まれ変わったようでした。ほとんどの症状はすぐに消え、あの時感じた全身にみなぎる活力は言葉では言い表せないもので、嬉しさでいっぱいになりました。右目の視力は1週間かからずに回復しました。右耳の耳鳴りは手術後すぐになくなりました。手術以降、一切めまいもなく、色のついた振動もなくなりました。筋肉は衰えていましたが、足に力が入れられるようになって、健康な人と同じように足を上げることができました。肌の色もすぐに普通に戻って、髪の毛ももう抜けなくなりました(退院日に気づきました)。背中や腰などの痛みももうありません。これらの変化を自分自身の体で感じながらも、信じることができませんでした。手術前は3、4分ごとに休憩しないと歩けなかったのが、手術後主人とバルセロナを10時間半散歩したうち、2回ほど喫茶店で休憩しただけであとは歩いていました。私たち夫婦で、一回も嘔吐することなく立って食事していたのは誰だかわかりますか。 2003年から2009年までの出来事を思い出すのが辛くて、終糸切断手術から1年経ってやっとこの体験談を書くことができました。この体験談は、私と同じように恐ろしい病名を診断された人に宛てて書いています。取り返しのつかない結果を生む疑わしい治療法を絶対に受け入れてはいけません。ロヨ先生にぜひコンタクトを取ってみてください。 健康と人生を取り戻してくれた先生方に、私から感謝の気持ちと無限の愛を送ります。 電話番号: (+7846)334-58-26 メールアドレス: [email protected] スカイプ名: rusianen
アンナ・ベルナルディ(Anna Maria Bernardi): 脊髄空洞症、脊柱側弯症、脊髄牽引症候群

手術日:2010年11月 イタリア人 私の名前はアンナ-マリア・ベルナルディです。奇病と生きるつらさを理解してもらうため、また、イタリアでは知られていないキアリ奇形という病気に立ち向かう勇気を他の患者さんにも提供したいという気持ちから、ここに体験談を残したいと思います。 私は2010年10月、脊髄空洞症と診断されました。数年前から原因不明の症状(特発性症状)に悩まされていました。 意識や平衡感覚の喪失、突発的な頭痛、頻繁に起こる頸部の痛み、頭の圧迫感、手足がうまく動かせなくなり、集中力の欠如、うまく物事を表現できない時もありました。また、右手と右足の痺れもあり、大したことない傷でも治りが悪かったのを覚えています。ごくたまにですが、上記以外の症状もありました。 25歳の時に息子を出産してから、背中の激痛やめまい、失神など体の不調が始まりました。 様々な病院の専門家に私の腰仙部の検査画像を見てもらい、そこで椎間板ヘルニアを患っていることがわかり、医師からは抗炎症薬やコーチゾンの多量服用と理学療法を勧められました。 1989年、交通事故に遭い、第1頸椎の亜脱臼のほか、頸椎2か所の破砕、高熱、数日間のめまい、7ヶ月間の頸部固定具の装着を余儀なくされました。その後、約1年半、左半身の感覚障害と痺れが現れ、気絶する回数も増え、関節痛、不整脈や肺の痛みも加わりました。その結果、鎮痛薬と不整脈の治療でβ遮断薬を処方されました。 胃にも症状が現れ始めました。以前の治療を続けながら、プロトンポンプ阻害薬を服用することになり、心臓に痛みはありませんでしたが、頸動脈に異常が生じ、呼吸困難になることがありました。 時間とともに、上記の症状のほか、僧帽筋の痛みも加わりました。左半身の感覚がにぶくなり、痺れる回数も増え、左半身を温めるのにも時間がかかりました。医者には、なぜこのような症状が起こっているのかうまく説明してもらえず、抗炎症薬と鎮痛薬、そして睡眠薬をまた処方されることになりました。にもかかわらず、数年間のうちに長時間に渡って意識を失ったり、めまい、激しい関節痛が急激に増えました。理学療法や整骨療法を受けましたが、痛みは緩和するどころか余計にひどくなりました。 2009年11月に弟が交通事故に遭い、付き添いで病院に行ったところ、弟の担当医だったLiuzza先生に、私の歩き方がおかしいと言われ、全身のMRI検査を受けるように言われました。私は以前CTスキャンとX線を撮ったことがあったので、MRIを受けても何も変わらないのではないかと疑念を抱いていましたが、一応受けることにしました。 その後、ローマの Sant’Andrea病院の脳神経外科医にMRI検査を見てもらいましたが、何も新しいことは発見できませんでした。そして、「あなたは痛みに敏感なようだけれど、睡眠薬を飲んで、とにかく痛みに耐えなければならない」と言われ、MRI検査の結果から何もできないと思ったのか、鎮痛薬と抗炎症薬を今後も服用するように言われました。 ところが、同じMRI検査をLiuzza先生に見せたところ、私の病気、脊髄空洞症は重病だから、すぐにでもバルセロナキアリ研究所に連絡を取るように言われました。でも今までどの医者にもそんなことを言われたことがなかったので、最初は戸惑いました。どうして今まで誰も気づかなかったのでしょうか? また、ローマのサピエンツァ神経内科長のフェオ先生にもMRIを見せましたが、先生にもすぐバルセロナキアリ研究所に連絡を取るように言われました。 必要な検査をすべて受け、2010年9月にキアリ研究所に連絡を取りました。 ロヨ先生にMRI検査とX線検査、そして神経学的検査の結果を見てもらったところ、私の病気、脊髄空洞症はかなり深刻な状態だから、2010年10月に診察を受け、すぐにでも手術を受けるように言われました。現在、脊髄空洞症を治す方法はありませんが、少なくとも病気の進行を止めることはできるのです。 身体に負担の少ない手術であり、医療チームも信頼できる人達だとはわかっていましたが、手術の恐怖から、すぐに手術を受ける気持ちにはなりませんでした。ただ、それから1ヶ月後、痛みはひどくなり、めまいも日常的に起こり始めました。もう他に選択肢はないと思い、キアリ研究所で手術を受けることにしました。 2010年11月25日に手術を受け、私の人生は変わりました。 左半身の痛覚と温覚、両手の握力は戻ってきて、憎帽筋の痺れと関節の痛み、めまいの症状はなくなりました。手術後の検診で術後経過が良好だったので、2011年1月19日にリハビリを始めました。 去年は悲しくて何回も泣きました。医者にはだまされたという気持ちでいっぱいでした。知らない病気を前にしても、自分の正しさを押し通し、私が車いす生活を送ることになっても構わないと言わんばかりの態度でした。 現在、私がこうして新しい人生を得られたのは、助けてくれた人達、特にロヨ先生、ルエ先生、フィアヨス先生、シマ病院のスタッフの方々がいてくれたおかげです。心から感謝申し上げます。 公平な立場からみなさんにアドバイスをするなら、どうか最初の診察で終わらず、違う病院も試してみてください。そして、みなさん自身の健康にとって良いものが見つかったら、それを信じてください。
オマラ・ヒメネス(Omara Jiménez Moreno):キアリ奇形、脊柱側弯症

手術日:2010年7月 スペイン人 みなさん、こんにちは。私の名前はオマラです。14歳で、スペインのムルシア州のカルタヘナ出身です。 この体験談が、脊柱に痛みを抱えたすべての方にとって助けになれば幸いです。よく父は「ドアが閉まってしまうと、誰も開けることはできないけれど、ロヨ先生は常にマスターキーを持っていて、私達のために開けてくれるんだよ」と言っています。どうか希望を捨てないで、ロヨ先生の診察を一度受けてみてください。 さて、ここから私自身の話をしたいと思います。 9歳頃から背中の痛みが出ましたが、耐えられない痛さではなかったし、両親も私が無理な体勢をして体を痛めただけだと思っていたのであまり気にしていませんでした。しかし、時間が経つにつれて症状は悪化していき、普通の生活を送ることが難しくなっていきました。 父は、ロヨ先生に2回ほど脊椎の手術をしてもらっていて(父の名前はホセ-フアンで、体験談はウェブ上で紹介されています)、ロヨ先生にはとても感謝していたので、去年両親に連れられてロヨ先生の研究所に行き、診察を受けました。 私がこれからお話しすることはとても重要です。 特発性脊柱側弯症による痛み以外に私が心配していたことは、何よりも夜に失禁してしまうことでした。そのことで精神科に通ったこともあります。ロヨ先生には、もし私の病名が確定して終糸切断手術が受けられれば、術後の経過によっては改善する可能性があると言われ、私達家族はとても驚きました。最初の診察では、アーノルド・キアリI型症候群の疑いがあると言われ、病名を確定するためにMRI検査を受けるように指示を受けました。 びっくりしたことは、地元でMRIを撮った時にそのMRI結果から外傷専門の先生には、何も異常は見られないから心配しなくていいと言われたことです。 一方、ロヨ先生に同じ検査結果を見せたところ、アーノルド・キアリI型症候群を患っていることが確定され、手術の必要があるとして、体に負担の少ない終糸切断手術を勧められました。 手術を受けるのはとても怖かったですが、ロヨ先生と研究所チームのみなさん、そして父に説得されて、手術を受けることにしました。 2010年7月8日にロヨ先生に手術をしてもらい、手術はすぐに終わりました。術後の回復もとてもよかったです。一番感動したのは、手術した日の夜から失禁がなくなったことです。私にとってはとても大きなことでした。また、他の症状も術後なくなりました。 ロヨ先生と研究所チームのみなさんには本当にお世話になりました。 メールアドレス:[email protected]
リタ・カポビアンコ(Rita Capobianco):キアリ奇形、脊髄空洞症、脊柱側弯症

手術日:2008年5月 イタリア人 みなさん、こんにちは。私の名前はリタ・カポビアンコです。私の体験談をお話しする前に、まずこの場を借りてロヨ先生に心から感謝申し上げます。私の健康のためにしてくれたこと、私と同じアーノルド・キアリ奇形I型と脊髄空洞症で苦しんでいる方を助ける機会をこうして与えてくれたことに感謝しています。また、ジョイアさんやバルセロナキアリ研究所チームのみなさんにも、大変お世話になりました。 最初に僧帽筋に痛みが現れたのは20歳の頃で、その時は僧帽筋だけの痛みでした。色々なマッサージを試しましたが、時間は過ぎる一方で、痛みが改善されることはありませんでした。触診、牽引、理学療法、針治療なども試しましたが、どれも一時的な痛みの緩和に過ぎませんでした。当時はまだMRI検査がなかったのでX線検査を受けていて、その結果から軽度の脊柱側弯症と変形性頸椎症を患っていることがわかりました。ただ幸運にも、当時は女優とダンサーの仕事を続けられていました。 43歳ごろから僧帽筋の痛みのほかに、こめかみ付近に電気が走るような激しい痛みが加わり、特に症状が顕著に現れたのは、咳をした時や音楽が大音量でかかっている場所に入った時、夜遅く帰ってきた時で、無理をした時は常に痛みがありました。2004年に初めて頸部のMRIを撮りましたが、その時はアーノル ド・キアリI型とは診断されませんでした。何をしたらいいのかわからなくて、マッサージや理学療法などを続けていました(後に痛みの原因がわかってから、30年間の間違った治療がもたらす危険性に気づきました)。 ここ数年、特に右僧帽筋が痛むようになったので、運動をすればいいのではないかと思いスポーツクラブに入会しました。実際、最初のうちはよくなった気がしましたが、その3ヶ月後、痛みは治まるどころか常に痛むようになり、耐えられなくなりました。痛みが現れる日が増えたので、体が弱くなった気がして、精神的にも不安定になりました。無理をした時や人がたくさんいる場所、音楽のうるさい場所に行くと決まってこめかみ付近に電気が走るような激しい痛みがありまし た。また、顔を左右に動かすと頸部と頭部が痛み、体を左右に揺らすと心臓の鼓動が不規則になりました。うまく物を飲み込めない日もありました。 当時もX線や触診を続けていて、抗炎症薬も服用していましたが、効果はありませんでした。私の不調を知った友人にMRI検査を勧められたので受けてみると、 その結果から私が脊髄空洞症とアーノルド・キアリI型症候群を患っていることがわかりました。早速、整形外科や生理学、神経内科など様々な分野の専門家に診てもらいました(今思うと、当時は間違った治療や薬を服用していたので、あのまま続けていたらもっと身体的損傷が大きかったのではないかと思います)。 整形外科の先生には義歯の装着や1ヶ月の抗炎症薬と筋弛緩薬の服用を指示されましたが、その結果得られたものといったら、中毒症とひどい皮膚炎でした。理学療法士には姿勢矯正体操の実施や、動脈硬化症の薬やサプリメントの服用を指示され、神経内科の先生には6ヶ月後にMRIの再検査を受けるように言われま した。その後、脳神経外科の先生にも診てもらい、最初の先生は頭部の手術をしなければならないと口元に笑みを浮かべながら言うので精神的におかしいのではと思い、ほかの先生に診てもらうことにしました。2番目に診てもらった先生には、6ヶ月後に再度MRIを撮ってから手術を検討しようと言われ、3 人目の先生は手術が必要かどうか誘発電位検査の実施を指示、4人目の先生には今すぐ手術をしなければならないと言われました。 新しい検査を受けて、3人目の先生にその検査結果を持っていったところ、大後頭孔減圧術をすぐにでも受けないといけないと言われ、受けなければやがて車いす生活になるだろうと言われました。過度に心配して泣いている私を見て先生は、「手術は頭髪を少しだけ剃って、頭に小さな切り口を入れて、そこに小さなケージを挿入するだけだから怖がらなくてもいい」と言い、痛みも術後すぐに消えると明言していました。これ以上待ったら何が起きるかわからないと不安になり、私は大後頭減圧術を受けることにしました。 手術前日、看護師さんが病室に来て、術後は回復室に移動すると言われました。しかし、同じ病室の患者さんは手術後また同じ病室に戻ってきているのを見ていたので、何かおかしいと感じました。その夜にもう一度、今度は違う看護師さんが来て、電気かみそり3台を手に持っていました。先生には髪を“少し”剃るだけだと聞いていたのに、頭の半分の頭髪を剃ら、抵抗しようとした私を見て「今後数ヶ月は頭に接着剤と血がつくというのに、あなたは髪の毛のことを心配しているのですか?」と言われました。その夜は悪夢そのものでした。一晩中パニックに陥り、左腕の激しい痙攣、帯状疱疹もありました。翌朝手術室に入った後、私は手術を受けないことにしました。病院を出ると、ほっとするというより前より混乱している自分がいました。 ほかの専門家の先生にも診てもらいましたが、やはり手術を受けなければならないと言われました。しかし、私の兄弟がインターネットで調べてくれたおかげで、 低侵襲治療の終糸切断手術という体に負担の少ない手術があることがわかりました。終糸切断手術を受けた患者さんにコンタクトを取って、その人達に明らかな症状の改善があったと聞いたので、これが私の選択する道だと確信しました。バルセロナキアリ研究所に着いて、丁寧に診てもらった後、ロヨ先生の手術を受け、手術の翌日ローマに帰りました。 術後2年以上が経ちましたが、痛みは徐々に緩和していっています。現在、痛みを感じたり体が揺らいだりすることもなく、音楽が大音量でかかっている場所や人がたくさんいる場所でも、長時間いることができます。上半身の筋肉、体の感覚も戻ってきました。時々過度にストレスや疲れが溜まった時は僧帽筋が凝ったり、頭を後ろに倒した時に頭痛やめまいがしたりすることがありますが、それでも普通の生活ができています。数ヶ月前まで踊ることさえできなかったので、嬉しさで涙が溢れました。MRI検査の結果から、ロヨ先生に言われたとおり病気の進行が止まったことがわかりました。これは私にとって一番重要なことです。 数年前、私は人生で一番辛い境地に立たされていました。イタリアの素晴らしい脳神経外科の先生が、「人生は一度きりだから、何をしたいかは私達が決めなければならない。あなたには腫瘍があるわけでも、車いすが必要なわけでもない。頭を開かせる前に、できる限りのことをすべて行い、よく考え、もうこれ以上何もできないとわかったら、大後頭減圧術を受けなさい」と言ってくれたおかげで、ただ生きるだけの人生ではなく、“幸せに”生きる人生を選択しようと決めることができました。 メールアドレス: [email protected]
ロザンナ・ビアジョッティ(Rosanna Biagiotti): 脊髄空洞症、脊柱側弯症

手術日:2010年5月 イタリア人 みなさん、こんにちは。 私の名前はロザンナ・ビアジョッティで、35歳です。イタリアのウンブリア州、ペルージャに住んでいます。 私と同じように、運悪く奇病にかかり、母国で答えを見つけられなかったすべての方の力になれればと思い、簡単にお話ししたいと思います。 すべては2009年8月に始まりました。異常な疲労感と首の筋肉の脱力感、頭が無意識に左側に傾くようになり、それ以降、その原因が何なのか探し始めることになりました。まず、かかりつけの先生に頭頸部のX線を受けるように言われ行いましたが、特に異常は見つかりませんでした。こんなことをしながら時間はどんどん過ぎていき、神経内科医の診察を受けてみたものの、先生にはストレスが原因だろうから、もっと力を抜いて過ごすように言われ、もしかしたら安定剤を服用するといいのではないかとも言われました。私はその言葉にがっかりし、他の神経内科の先生を受診することにしました。その先生は何か察したのか、MRI検査の手続きをしました。 それから3ヶ月が経過した11月初旬、手足がうまく動かせなくなって、体調もかなり悪化し、日常生活の簡単なこともできなくなりました。2009年11月10日に行われる予定のMRI検査を、今か今かと待っていました。検査から数日後、検査結果が出たので取りに行きました。そこには、第5頸椎-第6頸椎の脊椎症を伴う退行性椎間板症、頸胸関節と胸椎付近の数ミリの脊髄中心管の拡張が見られると書いてあり、MRIの再検査を勧められました。その後2009年12月9日に同じ検査を受け、前回告げられた病名が確定しました。数週間後、知り合いの私立の脳神経外科医の診察を受け、そこで、第7頸髄-第1胸髄の脊髄空洞症の空洞が、最初のMRI検査よりも大きくなっているようだと言われました。痙性斜頸/頸部ジストニアだろうから、神経血管性疾患の可能性を排除するため、もう一度MRI検査を受けるように言われました。日が経つにつれて、両手の指の感覚異常と体温異常、嚥下困難も見られ、症状が悪化していくのがわかりました。それを見かねた神経内科の先生は、ペルージャの病院の神経内科医に連絡を取り、私のためにジストニアの痙攣を和らげるボツリヌス療法を受けられるよう頼んでくれました。 ペルージャの病院の先生の診察を受け、検査入院するように言われた時、すでに1月も終わりを迎えていました。入院中、多くの検査や診察を受けましたが、どれもうわべだけで思いやりのない対応でした。同じMRI検査をもう一度受け、退院日に以下の診断名を告げられました。 頸胸髄の脊髄空洞症 頸部ジストニア 貧血 頻繁な偏頭痛 退院日に頸部ジストニアの治療でボツリヌス療法が行われ、その効果は数日後に現れるだろうとのことでした。しかし、脊髄空洞症に関しては、心配することはないと言われただけでした。 数週間が経ちましたが、効果が現れるどころか体調は悪化する一方で、3ヶ月が経ったある日、ペルージャのXXX先生に電話し、早めにボツリヌス療法が受けられないかどうか聞いてみました(公立病院では通常4ヶ月ごと)。しかし先生は失礼な態度で、私の健康状態を気にかけることもなく、早めるのは無理だから2010年6月16日まで待つようにとだけ言いました。その頃私は脊髄空洞症の治療を受けていないことを不安に思い、シエーナの有名な先生のもとを訪ねていました。MRI検査にさっと目を通した後、脊髄空洞症の空洞の大きさはおそらく変わっていないから、心配することはないと言いました。診察は10分足らずで終わり、報告書すらもらえませんでした。もらえたものといったら、診察室を出た時に感じた悲しみでしょうか。ペルージャの病院の時と同じように、また思いやりのない対応をされてしまったと悲しくなりました。 もうすべてに失望しました。脊髄空洞症は破壊的な変性疾患だから、専門家に診てもらうことが必要ですが、当時私はまだ信頼できる先生に出会えていませんでした。落ち着いていられず、心配するばかりでしたが、誰も私を気にかけてくれませんでした。こんな形で突然不便な生活を強いられたことに納得いかず、不確かな現実の中で私は何か確かなものを追い求めていました。小さな動き一つひとつが、まるで巨大な山を登るくらい困難な動きに思え、娘と遊ぶのにも誰かの助けなしにはできませんでした。役立たずな人間に思え、とてもみじめでした。失望感とこの状況から抜け出したいという気持ちから、私の人生はこんなみじめな状態で終わるのか、それとも解決策があるのか、なんとしても真実が知りたいと思うようになりました。暗闇の中を、出口を見つけられずにさまよっていたある日、何気なく見ていたインターネットで、私の病気を専門とするロヨ先生の診療所、バルセロナキアリ奇形&脊髄空洞症&脊柱側弯症研究所の存在を見つけました。まさかとは思いましたが…治療法は存在していたのです!!!!信じられませんでした。診察予約を取って、2010年5月19日にバルセロナへと向かいました。非常に不安ではありましたが、嬉しさもありました。やっと私の質問に答えてくれる専門家の先生を見つけられた嬉しさです。ロヨ先生に丹念に診てもらった後、大変複雑な診断名を告げられました。 頸部ジストニア 特発性脊髄空洞症 脊髄牽引症候群 しかし、複雑な私の病状を先生は大変わかりやすく説明してくれました。そして、いつ病気が悪化して病状が悪くなるかわからないから、すぐにでも終糸切断手術を受けた方がよいと言われました。私は2010年6月10日に手術の予約を入れ、シマ病院でロヨ先生に手術をしてもらいました。 私はあの時大変落ち着いていました。手術は1時間弱、全身麻酔で行われました。目を覚ますと、何年も抱えていた重圧から解放され、生まれ変わったような気分になりました。手術から8時間後、すでにいくつか回復した部分がありました。例えば、両手の感覚と体温は正常に戻り、口蓋垂も中心に位置し、バビンスキー反射も見られなくなりました。 頸部ジストニアに関しては、術後、時間とともに少しずつ改善していくのがわかり、手術から約1ヶ月後、頭の位置が正常に戻りました。痙攣もなくなり、以前の自分に戻りました。 ロヨ先生の手術のおかげで私は人生を取り戻すことができました。ロヨ先生は私にとって特別な存在で、感謝してもしきれません。また、ロヨ先生の医療チーム、特にジョイアさんの心からの優しさとプロ精神に感謝申し上げます。また、私や私の家族にもう一度笑顔を取り戻してくれたみなさん、娘と遊んだり走ったりできる可能性を与えてくれたみなさん、本当にありがとうございました。すべてが真っ暗に見えた時でもあきらめない強さを教えてくれたおかげで、キアリ研究所で治療を受けることができました。 私と同じ病気を患っている方へ、病気が再生不可能な状態になる前にロヨ先生のもとを訪ねてください。何か質問があれば、いつでもご連絡ください。 長文、失礼いたしました。 メールアドレス: [email protected] 電話番号: (+39) 3534043904
スヴェトラーナ・フミナ(Svetlana Fumina):キアリ奇形、脊柱側弯症

手術日:2010年3月 ロシア人 現在46歳で、2005年に頭痛やめまいなどの症状が現れました。後頭部付近が痛み、こめかみ辺りが圧迫され目にまで痛みは広がりました。体調が悪くなるので地下鉄に乗ることができず、神経内科に行くと、先生にMRI検査を受けるように言われました。その後の検査結果には「アーノルドキアリ奇形I型、5mmの小脳扁桃下垂、頸部の退行性変化」と書かれていました。その後、点滴と薬を処方されました。不幸にも痛みは増していき、耳鳴りもし始め、夏なのにいつも寒気がしていました。また、左腕と左脚もしびれるようになりました。 2008年のMRI検査で、病気が進行していることがわかりました。小脳扁桃は9mmも下がり、仙骨部のヘルニアも現れました。2009年、ロシアのサンクトペテルブルクにある脳研究所の教授に大後頭減圧術を受けるように言われましたが、断りました。その時に私は残りの人生を病気と共に生きていく決心をしました。 ある日偶然インターネットでバルセロナキアリ研究所に関する記事を見つけ、私と主人はこれは病気を治すチャンスなのではないかと思いバルセロナに行くことにしました。 2010年3月2日に手術をしてもらい、3月5日にはもうバルセロナを散歩することができました。不安から解放されてほっとした気持ちになりました。頭も首ももう痛くありません。背中も以前よりまっすぐになりました。握力も前より上がって、さらに手術前に比べて肌の色も明るくなり、声も以前より張りがあるように感じます。 ロヨ先生やフィアヨス先生をはじめ、研究所チームの皆さんに深く感謝申し上げます。 スヴェトラーナ・フミナ 電話番号: +7 921 743 53 43 メールアドレス: [email protected]
ルチア・チチリエリョ(Lucia Ciciriello):キアリ奇形、脊髄空洞症、脊柱側弯症

手術日:2010年1月 イタリア人 バルセロナで受けたロヨ先生の手術から3ヶ月が経ち、病気で苦しんでいる人たちが正しい方法で病気の進行を止められるように、ここで私の体験談を共有したいと思います。 ロヨ先生と素晴らしい医療チームのおかげで病気の進行が止まりました。本当に感謝しています。 10年間、絶えず激しい頭痛に悩まされ、脚の痛みに関しては、あまりにもひどかったので毎回休息を余儀なくされました。夜に起こる腕のしびれなど、これらの痛みが交互に起こっていました。 イタリアの数々の専門家に相談し、その中のバーリの病院のミネルビニ先生とオクタビアノ先生にアーノルド・キアリ奇形I型と脊髄空洞症と診断された後、バルセロナのロヨ先生の存在を教えてくれました。この二人の先生には感謝してもしきれません。 病気に関する必要な書類を集め、終糸切断手術に関して調べた後、もうこれ以上時間は失えないと思いました。 2010年1月19日に手術が行われ、その後間もなく温覚などに改善が見られました。 今後更に回復するのを期待していますが、たとえこれ以上回復しないとしても、病気が悪化することはないので手術の結果に満足しています。 ルチア・チチリエリョ メールアドレス: [email protected] 22/10/2009 1/10/2013
アーノルド・キアリ奇形I型、脊髄空洞症、脊柱側弯症患者さん宛に書かれたイタリアの Crocè医師のお手紙
(We are here reproducing an open letter from Dr. Francesco Crocè, a patient and physician who underwent the Sectioning of the Filum Terminale procedure. You can also see his testimony on this website – section “Testimonials”) Three years after the surgery of the Sectioning of the Filum Terminale carried out by the Institut Neurologic […]
ジュアナ(Joanna):キアリ奇形、脊柱側弯症
手術日:2009年12月 フランス人・ポーランド人 2009年10月にアーノルド・キアリ奇形I型と診断されました。 私はフランスのリヨンで弁護士として、また法律を教える教師として働いています。アーノルド・キアリ奇形の治療で行われるバルセロナキアリ研究所の終糸切断手術の体験をここでみなさんに共有したいと思います。 フランスでは、キアリ奇形を治す決定的な治療法は提示してくれませんでした(唯一疼痛に対する治療は受けましたが、効果はほとんどありませんでした)。そこで、バルセロナキアリ研究所に、私が低侵襲治療の終糸切断手術を受けられるかどうか問い合わせました。そして2009年12月、バルセロナのシマ病院で終糸切断手術を受けました。私は新技術の恩恵を受けた300人目の患者です。手術の効果については私が保証します。手術から2ヶ月経って、抱えていた症状すべてが消えたのです。 私の患っていた症状で、術後完全になくなったものをここにリストアップします。 – 鎮痛剤を飲んでも治まらなかった激しい慢性頭痛 – 一日のうちに何度も休息しないといけないほどの慢性疲労 – 絶え間ない後頭部の痛み – 恒常的な後頭部の硬直感(首を上下左右に動かすことができませんでした) – 肩と背中の疼痛 – 呼吸困難(2008年6月から6ヶ月間咳が止まらず、頻度も増えていきました) – 胸の痛み – 右脚の痛み(右脚で体を支えられなかったため普通に歩けませんでした) – その他の症状: 目を開けていられない、顔や手足の張り、睡眠中の歯ぎしり バルセロナキアリ研究所とシマ病院では温かく迎えられ、診断の正確さやプロ意識の高さを感じました。バルセロナキアリ研究所や入院した病室は大変きれいで、居心地がよかったです。スタッフも常に私を気にかけてくれました。 手術当日1泊入院して、その後何事もなく飛行機でフランスへ帰ることができました。退院後は、約二年前に終糸切断手術を受けて今回私に付き添ってくれた友人と、バルセロナを散歩したり食事をしたりしました。術後の10日間はいすに座ると仙骨部が軽く痛みましたが、それだけでした。私の場合、傷口は3cm程度で、手術から2ヶ月経ってほとんど見えなくなりました(数ヶ月前にそばかす治療を受けましたが、その痕は今でもしっかり残っています。それに比べ、終糸切断手術の傷跡はわずかなものです)。 現在、ロヨ先生の終糸切断手術のおかげで、病気の症状全てが消えたと証言できます。終糸切断手術は、アーノルド・キアリ奇形I型の治療として著しい成果を出していますが、フランスでは医師から終糸切断手術を勧められることもありませんし、受けることもできません。 最後になりましたが、早期に治療が行われば行われるほど術後の経過は良くなり、普通の生活を送りやすくなることを私自身の目で確認しました。従って、キアリ奇形と診断された患者さんには、なるべく早い段階でこの終糸切断手術を受けてほしいと思っています。 ロヨ先生をはじめキアリ研究所チームのみなさんには厚く御礼申し上げます。みなさんのご長寿と輝かしい未来をお祈りしております。 連絡先: [email protected]
ナタリー・デュフール(Nathalie Dufour):キアリ奇形、脊柱側弯症
手術日:2009年9月 スイス人 約7年前から窒息してしまうのではないかと思うくらい、喉がぎゅっと締め付けられるような感覚がありました。また、唾液が気管に入ってしまって咳き込むこともありました。3年ぐらい前から、一時的なものでしたが、咳のし過ぎで頭が爆発しそうなほど激しい痛みがありました。 2005年以降頭がくらくらし始めて、じっとしていられず、常に酔っぱらっているようでした。ストレスや疲労が原因だからそのうち消えるだろうと思い、病院には行きませんでした。 2007年以降、突然目に異変を感じたので複数の眼科医に診てもらいましたが、眼振であるとわかったのは2009年4月になってからです。その後、MRI検査を受けて神経眼科の先生に診てもらったところ、アーノルド・キアリ症候群の疑いがあると言われました。 症状:吃逆、咳、慢性伏鼻腔炎、両手の感覚障害としびれ、髪が抜ける、筋肉の減少、体重増加、ため息、少し動くだけで息苦しくなる、 排便障害、失声症、胸の痛み、集中力の欠如、ゆっくりと脚や手の感覚がなくなっていきました。 2009年9月1日、スイスのヴォー州にある大学病院(CHUV)でアーノルド・キアリI型症候群と脊髄空洞症の診断名が確定された後、すぐに手術をしなければならないと言われ、それは大後頭孔減圧術という体に大変負担のかかる危険な手術でした。 幸運にも私の友人が病気についてインターネットで調べてくれたおかげで、ロヨ先生のバルセロナキアリ研究所を見つけることができました。ロヨ先生は、世界中に治療を提供するため、アーノルド・キアリI型症候群と脊髄空洞症という病気の研究に生涯を捧げ、論文も発表しています。先生は、治療の第一選択として大後頭孔減圧術が行われることに反対しています。ロヨ先生の行う終糸切断手術は、87%という成功率をあげ、術後は大後頭孔減圧術よりも症状の回復が見込まれ、生活の質の向上にもつながっています。 先生の技術は終糸を切る外科治療です。終糸は脊髄と仙骨をつないでいる靭帯で、脊髄に緊張をもたらします。その緊張が度を超えると、脊髄と脳が牽引され、脊髄内の血行不良が起こります。神経組織および細胞の死につながり、嚢胞を形成、髄液の循環も乱れるようになります。終糸を切断することで、脊髄内の血行がよくなり、小脳の緊張状態も取り除くことができます。この手術で、病気の進行を100%止めることができ、突然死も防ぐことができるのです。 2009年9月1日、バルセロナキアリ研究所に問い合わせの電話をしました。2009年9月21日、研究所でロヨ先生と医療チーム、そして通訳のメリアムさんに迎えられ、丹念に診てもらった後診断名が確定し、次の日の22日に手術は行われました。 2009年9月22日、バルセロナのシマ病院に入院(個室でした)、手術は成功し、目を覚ましたのは昼頃でした。手術当日、ロヨ先生は病気の進行を100%止めることができたと言っていました。手術から24時間後、手全体に血が通い始め、以前のようにまた動かせるようになり、生まれ変わったような不思議な感覚を覚えました。23日、スイスのローザンヌまで車で帰ることができました。 手術から1週間後、咳、吃逆、嚥下障害の症状は和らぎました。すべての症状が消えたわけではありませんが、80%以上回復したと思います。手術から6ヶ月後、まだ眼振、ふらつき、平衡感覚の乱れ、疲労感、集中力の欠如などの症状は残っていました。ロヨ先生には、ある程度病状が良くなるのに数年はかかるから、根気よく待つように言われました。 終糸切断手術から6ヶ月後、(終糸切断手術の存在を知らない)CHUVで健康診断を受けましたが、そこで再度医師から大後頭孔減圧術を勧められました。 おかしかったのは、2009年8月の診察で「もし今大後頭孔減圧術を受けなければ、年末には車いす生活になるだろう」とCHUVの先生に言われたことです。それから8ヶ月以上経った今も、私は一人で歩けています。ですからアーノルド・キアリI型症候群や脊髄空洞症で苦しんでいるみなさん、ぜひロヨ先生や研究所チームにコンタクトを取ってみてください。手術までの流れをすべて教えてくれるはずです。 ロヨ先生には本当に色々とお世話になりました。いつの日か世界中の医師に先生の技術が認知されることを願っています。 また、バルセロナキアリ研究所チームのみなさんにも大変お世話になりました。みなさんの温かいサポートやアドバイスに心から感謝しています。 メールアドレス: [email protected]