モニア・マルティン(Monia Martín):キアリ奇形、脊髄空洞症

手術日:2012年1月 イタリア人 私の名前はモニアです。38歳で、イタリアに住んでいます。 病気が判明したのは、背中の痛みが気になり全脊柱のMRI検査を行ったときでした。背中の痛みは奇妙で、背中だけにとどまらず、胸部までその痛みは広がり、呼吸をするのが苦しくなることがありました。2007年頃から喉のしこり、呼吸困難、肺に空気が送れなくなるような感覚があり、これを「パニック障害」と定義するようです。MRIの報告書には「胸髄の脊髄空洞症の疑い」と書かれていました。 神経放射線科医の先生には、病気への理解を示してくれたこと、そして解像度の高いMRI検査を再度受けるように言ってくれたことにとても感謝しています。 MRI検査(造影剤あり)後にもらった報告書にはこう書いてありました。 “第4-9胸髄にかけて上衣管の拡張、小脳扁桃は異常なし” 痛みは治まることなく、時々右膝に力が入らず、右脚は左脚よりこわばった感じがありました。また、しゃがむとめまいがしたり、起きると両手が硬くなったりもしていました。 検査結果を持って、初めて脳神経外科医のもとを訪ねました。抱えている症状を先生に伝えましたが、私の病気は先天的なものだからと言われ、気にも留めてくれませんでした。もっとスポーツをし、あまり深く考えずリラックするように言われました(これらはすべて口頭で言われたのみで、文書では何もくれませんでした)。 それから数ヶ月が経ち、症状は一向に良くならなかったので、他の脳神経外科医に見てもらうことにしました。言われたことはほとんど同じでしたが、今回は健康診断書を発行してくれました。また、神経内科医にも診てもらいました。そこでは脊髄損傷の度合いを見るために誘発電位検査をしました。その時期と同じくらいに、バルセロナキアリ研究所に検査画像を送りオンライン相談を受けることに決めました。 ロヨ先生がキアリ奇形や脊髄空洞症について長年研究されていることや、たくさんの人が手術を受けていい結果を得られているという情報をインターネットで見つけました。終糸切断手術を受けた感想や他の人にも情報を提供したいという患者さんの気持ちに、心から感謝しています。リタさん、ロサナさん、ピエトロさんを含め、たくさんの方にお世話になりました。 健康問題は徐々に悪化し、頭痛の激しさも増し、以前よりもめまいを起こす頻度が増え、つばを飲み込むのも困難になりました。喉のしこりや、吐き気も頻繁に起こるようになりました。まだ眠気はあるのに背中と胸部の激しい痛みで目が覚め、その度に症状は(悪い方向に)変化していると気づかされました。 2011年のクリスマス前、バルセロナキアリ研究所から返事が来ました。胸髄の脊髄空洞症に加え、小脳扁桃下垂(アーノルド・キアリ奇形I型)も見つかりました。ロヨ先生の診察を1月に予約し、2012年1月31日に終糸切断手術を受けました。手術からたった8時間で、明らかな回復が見られました。右半胸郭の温覚が戻り、足を上げた状態も保てるようにもなりました(手術の前はそれができませんでした)。以前は左側に曲がっていた口蓋垂や舌も中央に戻りました。 患者のみなさん、少なくとも一度はバルセロナキアリ研究所へ行ってロヨ先生や医療チーム(ジョイアさん、フィアヨス先生ほか)の意見を聞いてみてください。そこでは本当に徹底した神経学的検査が受けられると個人的には思っています。私はその神経学的検査で、足を持ち上げられないことに気づきました(ミンガッツィーニ試験:両下肢を屈曲させる検査)。また、腹部の反射が完全に出なかったこと、右半胸郭の温覚異常とバビンスキー反射が現れ、腕と手に力が入らないことなどもわかりました。 ロヨ先生の行う手術は病気の進行を止め、手術後の数時間後にはもう一人で歩くことができます。これはリスクのない低侵襲治療だからできることです。 患者さんそれぞれ状況は違うけれど、身体的な痛みに加え精神的な痛みも抱えて生きていかなければなりません。そしてその中でいつも、医者以外で患者の苦しみを軽視したり過小評価したりしない人道的な人の存在を探しているものです。 奇病を患っている患者さんすべてが、解決へと導いてくれる人の存在を見つけられることを願っています。私にとってロヨ先生はそのような存在の一人で、とても感謝しています。日々の診察だけをこなしている医師が減り、もっと研究に従事する医師が増えることを祈っています。原因不明の病気で苦しんでいる人の苦しみは、広く知られている病気を患っている人の苦しみと同様、耐え難いものです。 何かあればいつでもご連絡ください。 [email protected]
マリアルイーザ・トリポディ(Marialuisa Tripodi):キアリ奇形、脊髄空洞症、脊柱側弯症

手術日 :2011年11月 イタリア人 私の名前はマリアルイーザ・トリポディで、47歳です。アーノルド・キアリ奇形I型と脊髄空洞症と診断されたのは2005年ですが、体の異変は以前からありました。 1993年に第二児を出産して以降、頻繁にアフタ性口内炎が出たり、疲労感が激しく何もする気にならない時期が続いたり、尾てい骨付近が腫れたりと、奇妙な症状が現れました。数年が経過し、慢性的な疲労感からソファーで横になる時間も増えていき、友人には慢性的な怠け者とからかわれたりしました。思春期から度々あった頭痛は、頸部の鋭い痛みを伴って激しい痛みに変わりました。理学療法を受けたものの、良くなるどころかなぜか悪化していきました。私のリハビリの先生は大変親切な方で、リハビリが合っていないのではないかと治療を中止し、MRI検査を受けるように提案してくれました。そのMRI検査の結果から、体の異変がどこから来ているのかわかりました。 それ以降、何人かの脳神経外科医の診察を受けましたが、どの先生にも、症状がないから手術は必要ないと言われました。しかしその後も体調は悪化していき、私はもともと活発な人間で明るい性格でしたが、何をするのも煩わしくなり、自分とは正反対の人間になりました。両手と両足、特に左側に感覚異常が現れ、よく転ぶようになり、頻繁に食べ物ももどすようになりました。 2008年、かかりつけの先生から連絡があり、先生の同僚で私と同じ病気を抱えているクロチェ先生と話してみないかと言われました。私がクロチェ先生と似たような症状があると気づいたのはその時でした。クロチェ先生はその後、ロヨ先生の行っている終糸切断手術を受けました。手術の成果についてはクロチェ先生の体験談を読むとわかると思います。私はというと、体調が悪くなっているのに、まだ手術を受けるかどうか迷っていました。 原因不明の腸疝痛が続き、眼科の診察では視界が狭くなっていると言われました。他にも異常がないか調べるため、多くの検査を受けることになりましたが、検査結果はすべて異常なしでした。それにもかかわらず、視力は一向に良くなりませんでした。クロチェ先生の術後の経過が良好なのを知ってか、主治医の先生にはスペインで手術を受けたらどうかと勧められましたが、どうも受ける気にはなりませんでした。 昨年の初夏は、なんとか“這いつくばる”ようにして生き延びました。背中と腰の慢性的なこわばり感に悩まされ、痛み緩和のための“拷問”も、数日しか効果はありませんでした。海外に行って手術をすることに抵抗があったので、私はその後、脳神経外科の先生2人に診てもらうことにしました。当時、病状が悪化していたので、すぐにでも大後頭孔減圧術を受けなければならない状態でした。先生2人に言われたのは、終糸切断手術は私の場合適用外だから、受けても意味がないということでした。 私は2回気を失い、それがきっかけでバルセロナキアリ研究所に連絡を取ることにしました。そして2011年11月14日、バルセロナに向かいました。 海外で手術を受けることに対してとても不安でしたが、ロヨ先生をはじめとする医療チームのみなさんのおかげでそんな怖さもなくなり、翌日には落ち着いて手術を受けることができました。手術後、私の人生は変わりました。手術からすぐに背中と頸部の痛みがなくなり、その後疲労感も消えました。 手術から5ヶ月経った現在、人生は大きく変わりました。トンネルの暗闇から抜け出し、以前の私に戻ったようです。今までの8年間の苦痛がまるで嘘のように感じます。どうしてもっと早く手術を受けていなかったと今では後悔しています。 この場を借りてロヨ先生に深く御礼申し上げます。ロヨ先生の人間性、まだ知られてない病気の研究への従事に、感謝の気持ちでいっぱいです。 2012年4月10日 イタリア レッジョ・カラブリア県
アシン(Asín)さん家族
手術日:2000年10月 スペイン人・カタルーニャ人 私の名前はソニア・アシンです。具体的に言うと、私はロヨ先生の終糸切断手術を受けた12番目の患者です。 9歳のときに脊柱側弯症と診断されてから、私の人生は常に病気に縛られた状態でした。脊柱側弯症だとわかったのは、いつも背中の痛みを訴えていて、ある時期は座ってさえいられなかったからです。小児科の先生には水泳をすれば治ると言われたので、長い間水泳をしていました。18歳のときの側弯の角度は、48度(胸椎)と50度(腰椎)でした。 私は当時、ロヨ先生にお会いできるという幸運に恵まれ、先生が話してくれたことすべては論理的で首尾一貫していたので、初めて会った時からロヨ先生を信じることができました。初めて診てもらった日のことを今でもよく覚えています。先生は私にある質問をし、それは私にとって大変意味のあるものでした。「あなたの抱えている痛みは何ですか?」そのとき初めて、私の前に側弯症を患うということがどういうことなのかきちんとわかっている先生に出会えたと実感しました。先生は、側弯症はただ単に脊柱が曲がっているというだけではなく、頸椎や腰椎部分の永続的な痛み、背中全体の筋肉拘縮、さらには両手のしびれや足の裏のけいれんといった痛みにも耐えなければならないとわかっていました。 1999年に手術を受けようと決めた時、終糸切断手術を受けた患者は私の前には11人しかいませんでした。手術後約10日間はベッドに横になっている必要があるだろうと聞きましたが、素晴らしい技術をもった医師のもとにいるから、少しも怖くはありませんでした。術後目を覚ました後、ロヨ先生には、終糸切断手術という新しい手術手技で手術できたおかげで手術の次の日にはベッドから起き上がれるだろうと説明されました。そしてロヨ先生に言われた通り、次の日にはベッドから一人で起き上がって歩くことができ、さらに3日後には自宅に帰ることができました。 手術後、長年患っていたほとんどの痛みは消え、毎日の生活は痛みと無縁のものになっていきました。さらに驚くことに、2年後には胸椎と腰椎部分の両方の側弯が10度も改善されていました。ロヨ先生にはどんなに感謝してもしきれません。その後、13年経った2011年10月、6歳の私の娘の手術もロヨ先生にお願いしました。私や娘のような患者を助けるために、何年にも及ぶ研究や闘争には本当に感謝しています。 愛を込めて
ディエゴ・タスカ(Diego Tasca):キアリ奇形、脊柱側弯症、脊髄牽引症候群

手術日:2009年5月 イタリア人 私の名前はディエゴ・タスカで、イタリア人です。2003年に心肺停止で病院に運ばれたときに、アーノルド・キアリ奇形だとわかりました。ピオベ・ディ・サッコ(Piove Di Sacco)という病院に運ばれ人工呼吸と心臓マッサージをされた後、すべての検査結果をもとにアーノルド・キアリ奇形という希少な病気にかかっていると診断されました。聞き慣れない病名、特に“希少”という形容詞に恐怖を覚えました。 退院した後、すべての検査結果を持ってパドバ(Padova)にある脳神経外科に行き、 どうすればこの病気を治せるか、何か解決策はないか聞きに行きました(希少な病気とはいえ、完全に未知の病気というわけではなかったようです)。 かかりつけの先生に言われた通り、脳神経外科長のS先生に予約を取って診てもらうことにしました。予約が取れ、すべてをS先生にゆだねました。私と共に苦しんできた母(心配しているにもかかわらず、私の前では強く振る舞っていました)も一緒に来てくれました。先生はMRI画像とピオベ・ディ・サッコ病院の診断書を診て、何か深刻なものではないかとびくびくしていた私の気持ちが少し和らぐまで、ゆっくり穏やかに話してくれました。先生は、この病気は全くの重病ではないといい、虫垂炎と同じようなものだから頸部の部分切開と1日の入院で済む簡単な手術でいいと言いました(本当に先生はこのように私に言ったのです。今でも深く心の中に刻んであるのでよく覚えています)。先生は病気や手術について説明するために、紙に小さな絵を描いて「髪の毛すら切らなくてもできる手術だから大丈夫」と言いました(もちろん一番の心配はそんなことではなかったので、その言葉に腹が立ちました)。先生は、手術の空きが出ればすぐに電話するからと言い、私はその時受診料190ユーロ(私立の病院でしかもパドバで最も権威のある脳神経外科医のS先生の診察だったため、保険適用外)を払って帰りました。 以前の生活に戻ってから1ヶ月半後、母から電話があって、病院から手術の空きができたと連絡があったからすぐにうちに帰ってくるように言われました。 短期入院との説明があったので、うちに着いて必要な荷物だけかばんに入れ、脳神経外科のバドバの病院に行きました。 2003年の7月16日に入院手続きをして、手術を待つ間のベッドを割り当てられました。翌日すべての検査をして手術同意書にサインしました。手術を受けるまでに8日待ち、2003年7月24日に大後頭孔減圧術、第1頸椎の椎弓切除術、硬膜形成術を受けました。手術名を書くのも言うのも簡単ですが、それに耐えて立ち向かっていくのはそんなに簡単ではありません。 術後、S先生が言ったように、ICUで目を覚ました後はどんな動きに対しても感覚がなく、全身に管が通された状態で目だけ動かすことができました(“簡単な手術になるはずだったのでは…?”と疑問に思いました)。 どんな手術だったのか、手術時間がどれくらいだったのか具体的なことはわかりませんが、術後目を覚ますと目に映るものすべてがぼんやりとしか見えませんでした。ICUに何日いたのかわかりませんが、S先生の言った言葉を信じられないほどかなりの時間いたのは確かです。 おびえた目で病室の天井を見上げ、今日はいったい何日なのか、いつから自分はここにいるのか、今私に何が起こっているのか、本当にこの病気を乗り越えることができるのか、そんなことをずっと繰り返し自問自答していたのは本当に辛いものでした。 ICUから一般病棟へ移った後、少しずつ事実を理解していきました(入院生活は本当に過酷で苦しいものでした)。 高熱と激しい痛みが続き、傷口は私が思っていたよりも大きく、今でも頭の後ろにくっきりと見えています。バイタルサインを測定するための針と装置が全身につなげられ、健康状態を管理する変な光る機械もありました。おそらくその手術がどういうものだったのか今後も決して知ることはないでしょうが、頭蓋骨におそらくプラスティック素材の硬膜があるのは確かです。その他のことはよくわかりません。ただ、術後の痛みと手術前の診察で言われたうそを信じてしまった後悔の気持ちを今でも忘れていません(私は周りにがんや血管腫で私より苦しんでいる人を見てきたので、勇敢だっただけです)。 でも、私は間違っていました。その時はまだ病気の深刻さをわかっていなかったのです。13日間入院し、2003年7月29日に退院許可が出てうちに帰り、もう今までの自分ではないことに気づきました。 自宅療法はかなりの時間続きました。具体的に何日か示すことはできませんが、でも痛みは本当にひどいものでした。 あのような手術の後だからこれは普通なのだと、 必死に毎日自分自身を励ましていました。 熱は下がらず一向に熱いままで、くしゃみをするたびに脳に走る激痛で頭が爆発するかのようでした。だから嘔吐やくしゃみをしないようにと必死に祈っていました。 そして、すぐに救急車で運ばれまた病院に戻ってきました。どうして熱が下がらないのかわかりませんでしたが、もしかしたら手術のリスクと禁忌症(硬膜の素材への拒絶反応かアレルギー)だと考えられていましたが、よくわかりませんでした。でも、何があったか問題を解決するために、もう一度頭部を切開するという先生の意図はわかりました。 私はもう精神的にも肉体的にもぼろぼろでした。どんな拷問や治療もあきらめ、ただもう痛みを感じたくないと思いました。 その後、もう一人の先生が薬物療法で治療することを決め、それは確かに効きました。首に差し込まれた装置から薬を注射されたとき、確かに痛みは和らぎました。少しずつ良くなっていき、その時最悪の事態は終わり痛みはあるものの普通の生活に戻ったかのように見えました。 数ヶ月後、CTや脳のMRI検査などをして、すべてうまくいっているように見えましたし、本当にそうでした。何が起こったのかを忘れ一から始めるのはとても大変でしたが、それでも3年間で肉体的にも精神的にも回復しました。 しかしその後、また新たに健康上の問題が出てきました。かかりつけの先生から言われたようにたくさんの検査をし、その検査結果について先生はすべて正常だと言い、手術結果もよかったと言いました。次から次に検査を受けさせられ、最終的には私の精神的な問題だと言われ、何回もそう言われるうちに私もそう思うようになりました。 私は頭がおかしくなりました。でも、頭がおかしかったのは私ではなく、病気のことや病気の悪化に気づかない医師たちでした。 友達に心療内科に行ってみたらどうかと言われ、そのアドバイスを受け入れました(自分が役立たずな人間で、家族に負担をかけてしまっている気がしてどうしたらいいのかわからず、自らの命を2回絶とうとしました)。 M先生の検査を受け、先生に私の事情を話して、入院することになりました。入院日がいつだったか覚えていませんが、でも、とにかく友達の助言通りにしました。 1日目から、病気も気分も悪化しているのに全く効果のない薬をたくさん飲まされ、私にとってはまるで刑務所にいるような感じでした。それでも私は一生懸命に頑張り、そこでいい人たちに出会い、たくさんの人と友達になりました(彼らは痛みを分かち合う必要のある人たちでした)。そんな中、私の症状は悪化していきました。以前はたばこを吸っていませんでしたが、そこに入院してからというもの1日に3箱も吸うほどになりました。私は自由を奪われ檻の中にいるようでした(今でもそこで知り合った人とは連絡を取っていて、あのときそばにいてくれてありがとうと感謝されたりしてします)。 先生には家でも治療を続けるように言われ、精神検査の回数も多くなりました。家に帰りましたが、私の人生はひどくかき乱され、痛みは日ごとに増していきました。それにもかかわらず、私は別人のように仕事復帰し、処方された薬は私の性格を変え、もう前の自分ではありませんでした。それでも自信と気力、そして意志で生きていきました。 2008年まで診察や検査を続けましたが、病気は私の体をだめにしていきました。以前、体重は85キロでしたが20キロ減り65キロになりました。うつは私の一部となって、すべてをさけるようになりました。感覚がなくなり、左半身はほぼ麻痺状態になり、熱さや冷たさが感じられなくなり、血が出ているのを見て初めて自分がけがをしているのに気づきました。 心配になってきたので先生に相談しましたが、先生は、それは精神的な問題だからと繰り返していました。医者でもない、病気について何も知らない先生にもう我慢できなくなって、パソコンで情報を探し始めました。 インターネットを通して、やっと本当のことがわかりました。私の病気は希少な病気だから、医者はどのように治療していいのかわからなかったのだと、そしてついにスペインのバルセロナにある研究所が、バルセロナキアリ奇形&脊髄空洞症&脊柱側弯症研究所というところで治療できる病気だとの説明が書いてありました。メールで連絡を取ることを決め、そこから生きるための病気との闘いが始まりました。 研究所からは、終糸切断手術を行えるかどうか、ロヨ先生が判断するために、私の持っているすべての情報を送るようにとの返事が返ってきました。それと同時に、パドバの脳神経外科の外来に行き、今抱えている問題やスペインで外科的治療を受けるかもしれないと説明したところ、先生の意見は否定的なもので、病気のことをよく知らないのに、先生はイタリアのどの医者もそんな危険なしかも無駄な手術はしたことがないと言いました。先生の話に耳を傾けましたが、私の唯一の関心は、どんな手段でもいいから痛みを取り除くことでした。だから、試してみなくてはいけなかったのです。 スペインに着き研究所を訪ねました 。そこで先生に会い、先生には、この病気は精神的な問題からくるものでは全くないこと、病気がかなり進行していることなどを言われました。先生にはシマ・クリニックで検査をするように言われ、その結果、アーノルド・キアリ奇I型のほか、脊髄空洞症、牽引脊髄症、頸椎前弯症、胸椎側弯症を患っていることがわかり、それによって左半身の麻痺状態という大きな問題を引き起こしていたことがわかりました。さらに、終糸の牽引によって、極めて問題のある6つの椎間板ヘルニア(頸椎2箇所、胸椎2箇所、腰椎2箇所)を発症していたとも言われました。先生には、終糸切断手術ですべての痛みを取り除くことはできないけれど、痛みを和らげることはできるだろうからと、手術を受けるように勧められました。イタリアでは同じ画像を見せても何も問題はないと言われたのに、実際病気はすでにかなり進行していて、多くの部分が損傷を受けていました。もう何も失うものはないと、先生に手術をお願いしました。 手術は、3時間ではなく、30分だけかかりました。目が覚めると、晴れ晴れとした気持ちでベッドから起き上がりました。 術後の検査の日を決め、イタリアに帰りました。別の痛み、けれど、生きる活力を与えてくれました。本当のことを言ってくれる誠実で優しい先生に出会うことができました。1ヶ月が経ち、検査のためにスペインに戻りました。痛い出費ではありましたが、ロヨ先生のおかげでまた生きているのだと感じることができました。スペインに着き、診察を受け、先生は術後のいい結果に驚いていました。私もとても嬉しかったですし、先生も一緒に喜んでくれました。 先生に足の運動系の痛みを説明すると、それは病気とは関係なく、終糸の牽引の結果によって腰部の神経が傷つけられ、痛みを引き起こす腰椎ヘルニアを引き起こしていたと説明されました。先生は、高周波神経切断術をするかどうか確認するために針とX線装置を使って、特殊な検査をする必要があると言いました。 ロヨ先生と医療チームの皆さんには、また一から始める活力と希望を取り戻していただきました。本当にありがとうございました。 ディエゴ・タスカ メールアドレス:[email protected]
ビクトリア・エストラダ(Victoria Elena Estrada):アーノルド・キアリ奇形I型、脊柱側弯症

コロンビア人 手術日:2011年2月 私の名前はビクトリア・エレナ・エストラダです。コロンビアのメデジンの出身で、51歳です。4年前にアーノルド・キアリ奇形と診断されて、大後頭孔減圧術を受けましたが全く意味がありませんでした。最初の6ヶ月はよかったのですが、それからまた症状が戻り、激しい頭痛で、笑うことや咳をすること、くしゃみをすることやかがむこと、運動などの普通のことができなくなり、自分が病気であると忘れられる瞬間は一度もありませんでした。また、夜は両手がしびれ激しい不快感と共に何時であろうと起きてその痛みを取るために手を振ったりしていました。さらに、8年以上前から尾骨付近に激しい痛みがあり、特別なクッションを敷いていすに座らないと痛くてたまりませんでした。全身麻酔で仙骨ブロック注射を受けましたが、効果はありませんでした。 とにかく色々なことが起こり、その度に自分自身の力で何か解決策を探さなければと思うようになり、それがきっかけでバルセロナキアリ研究所のホームページを見つけました。そこには私の病気の解決策が載っていたのです。すぐに連絡を取り、検査画像を送りました。病気の完治は難しいけれど、終糸切断手術で病気の進行を止めることはできると返事が返ってきたので、私はバルセロナに渡り手術を受けることに決めました。 手術を受けてから8ヶ月経った現在、私は病気を発症する前の幸せな自分に戻っています。歌ったり踊ったり、笑ったり運動したり、もう何も体のことで心配することはありません。主人や子供たちも私の元気な様子を喜んでくれています。 信じられないかもしれませんが、手術は痛くありません。唯一不快なことを挙げるとすれば尾骨部の小さな傷口でしょうが、それも術後8日経つと手術をしたことすら忘れてしまうくらい気にならなくなります。コロンビアまでは11時間の長旅でしたが、何も問題なくコロンビアに帰れました。手術から2ヶ月後、少しずつ運動も始めました。 この体験談を読んでいる方に伝えたいことは、もしみなさんの中で終糸切断手術が適用されると連絡がきたら、ぜひ病気を治す選択肢として手術を考えてほしいのです。ロヨ先生は私たちを苦しめている病気の研究に人生を捧げている方です。その先生指導下の研究所の医療チームは全員プロの方です。ロヨ先生、先生の存在に感謝しています! 電話番号:(011574) 3165295566 メールアドレス:[email protected]
グレタ・デ・ルチア(Greta De Lucia):キアリ奇形、脊柱側弯症
手術日:2011年4月 イタリア人 みなさん、こんにちは。私の名前はグレタ・デ・ルチアです。今年の1月で12歳になります。手術を受ける前は一日中めまいがして、ほかにも症状があって普通に生活できませんでした。入院したのがきっかけで、アーノルド・キアリI型症候群(キアリ奇形I型)を患っていることがわかりました。 ここイタリアでは、私の病気の唯一の治療法は大後頭孔減圧術です。でも、両親はその手術がとても危険な手術だということを知っていて、色々調べてくれたおかげで、私は4月28日にロヨ先生の終糸切断手術を受けることができました。手術を受けてからめまいがなくなって、ほかにあった症状も軽くなりました。 嘘みたいですが、ロヨ先生の手術のおかげで今こうして周りの女の子と同じように普通の生活ができています。手術を受けてよかったです。ありがとうございました! 両親の電話番号を載せておくので、何かあれば連絡してください。 電話番号:(+39) 3496923245
マリーア・ジンバート(Maria Concetta Zimbato):キアリ奇形、脊髄空洞症、脊柱側弯症

手術日:2010年6月 イタリア人 私の名前はマリーア-コンチェッタ・ジンバートです。52歳で、イタリアのレッジョ・ディ・カラブリアに住んでいます。多くの専門家に診断してもらった結果、アーノルド・キアリ奇形I型、脊髄空洞症を患っていることがわかりました。 バルセロナのシマ病院でロヨ先生の手術を受けるまでの経緯を、ここで簡単にお話しようと思います。 最初に症状が現れたのは1997年で、背骨の痛みと脚の痛みでした。それ以降、地元の病院や隣町の医療機関への“巡礼”が始まりました。鎮痛薬や抗炎症薬を服用したものの、効果はほとんど見られませんでした。やがて、夜寝る時や朝起きた時のめまいや激しい頭痛が、単なる耳の中の炎症(内耳炎)から来るものではないということが、X線やMRI検査でわかってきました。 時は経ち、それでもなおX線やMRI検査を受ける日々が続きました。それにもかかわらず、ヴェローナ付近の病院で働くレッジョの耳鼻科の先生に診てもらうまで、誰にも脳部のMRIを撮るようには言われませんでした。その脳部MRIの結果から、アーノルド・キアリ奇形I型と脊髄空洞症を患っていることがわかりました。新しい検査結果を持って、レッジョ・ディ・カラブリアにある病院の脳神経外科に行き、先生に診てもらったところ、イタリアでは奇病の治療法は限られていると言われました。それでも私はミラノやロヴィーゴ、ボローニャなどの病院を回って治療法を探しました。 様々な治療法を提示されてやってみましたが、どれも効果はありませんでした。時間が経つにつれて病気も悪化していき、両手と両脚に感覚障害が現れました。両手の痛みを感じなかったので、気づかないうちに指をやけどしたこともあります。また、視覚と聴覚の異常に加え、食欲がなくなって体重もみるみるうちに減っていきました。 徐々に激しくなる痛みを緩和するために、ペルージャの医療センターで炎症を抑えるために両手と頸部に注射治療を受けましたが、効果は徐々に薄れていき、結局はお金の無駄でした。また、イタリアの北部にある病院にも行きましたが、期待はずれの結果となりました。時は経ち、症状が悪化していく中で、もう誰に助けを求めたらいいのかわからなくなりました。 ある日、友人と話していた時です。友人の親戚で私と同じ病気を患っている人がいるというのです(フランチェスコ・クローチェ先生です!)。早速先生に連絡を取ったところ、丁寧に終糸切断手術について説明してくれて、リタ・プレスブルゴさんの連絡先を教えてくれました(尊敬できる素晴らしい方です)。リタさんのおかげで、バルセロナキアリ研究所の心理学者のジョイアさんにコンタクトを取ることができました。 私にとって重要な日が近づいてきました。2010年6月29日に手術を控えていたので、その数日前に私はバルセロナでロヨ先生の診察を受けました(事前にメールで検査画像は送っていました)。丁寧に私の病状を診てもらった結果、終糸切断手術が適用されることが確定しました。 手術時間は、手術室に入ってから出るまでおよそ1時間ほどでした。術後、すぐに症状が改善された感覚を覚えました。体が少し軽くなったような、首を下から引っ張っていたひもがなくなったような感覚です(おそらく私と同じ病気を患っている人ならわかると思います)。 現在手術から1年が経ち、以前抱えていた症状はほぼなくなり、とても元気に過ごしています(病気の完治はありません)。とは言え、私は3か所に頸椎椎間板ヘルニアを抱えているので時々痛みますが、それでも両手の感覚は回復しました。目や耳の痛みもなくなり、病気を患う前の生活に戻りつつあります。今は病気に左右されず、孫と思いっきり遊ぶことができます。ロヨ先生の手術を受けて本当によかったです。 ロヨ先生と研究所チームのみなさんには、本当にお世話になりました。 マリーア-コンチェッタ・ジンバート
マヌエル・ディアス(Manuel Diaz Lopez):アーノルド・キアリ奇形I型、脊髄空洞症、脊髄牽引症候群

手術日:2010年10月 スペイン人 みなさん、こんにちは。私の名前はマヌエルで、スペインのマドリッドに住んでいます。まずここで話を始める前に、ロヨ・サルバドール先生と医療チームの方々に感謝の気持ちを伝えたいと思います。先生は唯一私の病気の研究に力を注ぎ、終糸切断手術を行っている方です。終糸切断手術について他の医師はよく知らず、私が終糸切断手術のことを話すと、決まって意味のない手術だと否定します。私は今、終糸切断手術のおかげでこうして体験談を書くことができています。 だらだらと退屈な話を書くつもりはありません。ただ少しでもこの体験談がみなさんの役に立てれば幸いです。患者さん一人ひとりの症状は違いますが、かなり似ているところはあると思います。 私の場合(おそらくみなさんもそうだと思いますが)、周りの人と比べて私の患っている症状は大変奇妙なものでした。時々感じる原因不明の疲労感、無意識に起こる気分の変動、短期記憶障害、発汗、集中力の欠如や、長時間同じ姿勢でいられないこと、左肩を上げる度に起こる左半身の痛み、失禁、手足のしびれ、目のかすみ、浮いているような感覚などがありました。 時間が経つにつれて症状は悪化し、1999年に専門家の診察を受けなければならなくなりました。レントゲンやリハビリなど色々な治療を受けましたが役に立たず、医者には心理的なものか、仕事(公共輸送機間の運転手)が原因ではないかと言われ、休職するように勧められました。病気の原因は心理的なものではないし、私にとって仕事は前に進む希望だったので、休職することは意味がないと分かっていました。しかしそれから少しして体調が悪化し、休職を余儀なくされました。それから初めてMRI検査を受けて脊髄空洞症(第7頸髄)が見つかり、2003年7月に空洞症の治療で行われる従来の手術(脊髄切開術による空洞の開口)を受けました。回復にとても長い時間がかかるわりに効果はなく、健康状態に変化はありませんでした。また、当時の主治医は手術ではもちろん私のMRI画像を見ても、脊髄萎縮やアーノルド・キアリ奇形I型の存在を見つけることはありませんでした(おそらく彼らは更に10年勉強する必要があるのでしょう)。 その後ペインクリニックに回され、そこで5年間モルヒネも含め様々な鎮痛剤を処方されました。また、筋電図検査、誘発電位検査、無数のMRIなどの検査も受け、ここマドリッドでは私立の病院で理学療法なども行いましたが、健康状態は変わらず、医師には「不治の病だから、これから病気と共に生きることに慣れていくしかない」と言われました。他にも神経内科や脳神経外科の診察も受け、その中の一つはマドリッド神経科学研究所でした(大変不快な思いをしたので、何と言われたかはここでは述べません)。 私は色々なところから情報を探し続け、その結果、ロヨ・サルバドール先生(名字のごとく私にとって先生は「サルバドール(救世主)」でした)のウェブページとそこに掲載されている体験談を読み、最初は手術を受けた人たちの言葉を信じることができませんでした。その後実際に手術を受けた人に連絡を取り、その人たちから素晴らしい手術結果を聞きました。少ししてそのうちの一人と直接会い、「一度死んだ細胞は再生することがないから、なるべく早く手術を受けた方がいい」と言われました。 バルセロナで手術を受ける前に、終糸切断手術に関して専門家の意見を聞くことにしましたが、その専門家二人に、この病気を持っている私にはその手術は受けられない、との回答が返ってきました。もう何がなんだかわからなくなりました。2010年10月14日、ロヨ先生とフィアヨス先生ならびに医療チームにシマ病院で手術をしてもらいました。結果は素晴らしいものでした。以前の症状は、飲み込むのが困難で食事もままならず、あごの痛み、目のかすみや激しい痛み、頭痛、左半身の感覚障害、呼吸困難、重圧、めまい、失禁、手と足のしびれ、記憶障害、閉所恐怖症などがあり、これらの症状が原因でバルセロナに行く前には何度も救急で診てもらうことがありました。しかし、誰も原因がわからずに結局は家に帰るように言われるだけでした。これらすべてはマドリッドの有名な病院で起こったことです。 ロヨ先生の手術を受けてから8時間後、失っていた感覚がすでに回復していました。もう以前ほどの目の痛みはなく、ほとんどの痛みが軽減されていました。次の日には退院許可が下り、バルセロナからマドリッドまで妻と一緒に新幹線(AVE)で家に向かっている間、視力がかなりのスピードで回復していくので、新幹線のスピードと視力の回復スピードのどちらが速いのかわからなくなるほどでした。忘れがたい不思議な体験です。 最終的に、最近出ていた症状のほとんどは消え、以前からある症状に関しては、時間の経過が原因でいくつかの後遺症が残ってしまいましたが、それでも私は術後の経過にとても満足しています。 私から医者全般に伝えたいことは、脊髄空洞症やキアリ奇形について研究をしていない医者だとしても、少なくとも私達患者が伝える症状くらいはメモを取ってもいいのではないでしょうか。ほとんどの医師は、患者が勝手にでっちあげたものだと思っているような気がします。少なくとも私達患者の話に耳を傾け、情報を集めるくらいはしたらどうでしょうか。これまでに私が診察を受けた医師全員に0点をつけ、罰を与えたい気持ちでいっぱいです。終糸切断手術を支持しない反対姿勢の医師は、私達患者の痛みや苦しみに貢献しているのも同然です。 患者さんすべてに、そして患者さんと共に苦しんでいる家族や友人のみなさんに私からエールを送ります。できるならロヨ・サルバドール先生にコンタクトを取ってみてください。先生がどうしたらいいか教えてくれるはずです。病気は時間と共に進行していきますので、あまり時間を無駄にしないでください。 それから、医療関係者に質問したいことがあります。どうしてこんなにも裏で操られた協会が存在し、終糸切断手術に反対するのですか。私達が病気でいる方が都合がいいのでしょうか。また、どうしてここでは手術を行っていないからという理由だけで費用の払い戻しを行ってはくれないのでしょうか…これはあくまでも個人の意見です。 私達患者同士で連絡を取り合うことは大変有効なので、質問があったらいつでも連絡してください。ロヨ先生、フィアヨス先生、そして研究所チームのみなさん、本当にありがとうございました。患者のみなさん、幸運をお祈りしています。 メールアドレス: [email protected] 電話番号: 649750454
パウラ・ゴンサウヴェス(Paula Gonçalves Fernández):キアリ奇形、扁平頭蓋底、頭蓋底陥入症、歯突起後屈

手術日:2010年5月 ポルトガル人 みなさん、こんにちは。パウラ・ゴンサウヴェス—フェルナンデスと言います。36歳です。 無数の検査と診察を受けましたが、何の解決策も得られないまま何年もの月日が経ちました。アンドラのMiralles先生を訪ねた2009年7月、今まで撮ったすべての検査画像を提出したところ、まだ私が頭部と脊柱のMRI検査を受けていないことに先生が気づき、MRIを撮るように手続きをしてくれました。そして検査結果を通して、アーノルド・キアリ奇形と診断されたのです。 その後すぐにバルセロナの病院(親切な応対でした)を紹介され、そこで大後頭減圧術を受けるように言われました。2009年8月に手術が行われ、手術は無事に成功しました。 しかし、術後も頭の痛みは残っていて、どうやってもその痛みを取り除くことはできませんでした。脳神経外科医には、背泳ぎをすれば首と背中の筋肉をほぐせるからと言われ水泳を習いましたが、結局改善は見られませんでした。 2010年1月、脳神経外科の先生に、チタン製の板で頭を固定しなければならないだろうと告げらました。手術によって残りの人生は頭を前後左右に動かせなくなる障害を持ったまま過ごしていかなければならないと言われ、私も家族もひどく困惑しました。 その時でした。神様は私に前に進む力を与えてくださり、インターネット上でバルセロナキアリ研究所のウェブサイトを見つけることができたのです。すぐにキアリ研究所に電話し、丁寧な対応のもと診察日の予約をしました。 最初にロヨ先生を見た瞬間から、この先生なら私を助けてくれると感じていました。30代の時からですから約6年間ずっと痛みに耐え、体重も42キロまで落ちました。初診後先生には、今よりももっと充実した人生を送れるだろうと言ってもらい、私は晴れた気持ちで手術を受け入れました。2010年5月5日(今からおよそ1年前)、シマ病院でロヨ先生に終糸切断手術をしてもらいました。 私自身も自分の症状に困惑していたので、うまく言葉で表現できるか自信はありませんが、手術前の病状はというと、当時はあまりにも体調が悪かったので、一体私の体に何が起こっているのかわかりませんでしたし、誰も私を助けてくれる人はいませんでした。一人で歩くことができないうえ、めまいもあったので、主人か子供たち(13歳の娘と8歳の息子)につかまって歩いていました。いつも寒く、足や手のしびれ、蝶のように目が絶えず動いたりすることもあって、14年前から運転免許を所持していましたが、車を運転することはできませんでした。 神様とロヨ先生、そして研究所チームのおかげで今は一人で歩けるのはもちろん、道を渡ることもできるようになりました(手術を受ける前は、車が来ないか左右確認をするのが難しかったです)。仕事場へも車で行け、まるで生まれ変わったようです。以前はできなかった、ソファーやベッドに横になってテレビを見ることも今ではできます。現在の体重は55キロと普通に戻り、以前よりもきれいに、生きる力にあふれた自分がいて、本当に幸せです。以前は息子をお風呂に入れる力さえなかった悲しくて意気消沈していた自分とは大違いです。 ロヨ先生の診察と手術を決心して本当によかったです。私は月曜日にシマ病院に入院し(こちらも素晴らしい対応でした)、水曜日の午後には自宅のあるアンドラに帰っていました。術後4ヶ月経ってすでに変化を感じ始め、人生がいい方向に向いているような気がしました。最初の変化は、一人で道を歩けるようになったことです。日に日にめまいの頻度も減り、眼振も緩和していったおかげで、テレビも見やすくなりました。ロヨ先生や研究所チームの方々は、医者であるとともに、苦しんでいる人に耳を傾け、プロとして、また人間として一番いい方法で最善を尽くそうとしてくれる方々です。心から感謝申し上げます。 私と同じ病気を持っているみなさんに、一度ロヨ先生のもとを訪ねてほしいと思っています。ロヨ先生が助けてくれるので、どうかみなさん先生を信じて絶対に希望を捨てないでください。いつかきっと今の状況を変えることができます。前に進む力を持って頑張ってください。 2011年4月10日 アンドラより パウラ・ゴンサウヴェス・フェルナンデス メールアドレス: [email protected]
エルビナ・エブセエバ(Elvina Evseeva): 脊髄空洞症、脊髄牽引症候群

手術日:2010年1月 ロシア人 私の健康問題は今から7年前の2003年11月に始まりました。帝王切開で息子を出産したあと、1日で17キロも痩せました。体重が減ったことを喜んでいましたが、歩こうとすると右によろめくようになり、麻酔の一時的な副作用だから、少しずつ改善されるだろうと思ってあまり気にしていませんでした。それに出産後、私にはそんな“些細なこと”を気にかけている時間はありませんでした。以前より疲れやすくなりましたが、小さい子どもを持つママなら普通のことだろうと思っていました(今思うと、あの時の疲労感は異常でした)。横になってもベッドの上にいるというよりは、ベッドが体の上にあるようで、押しつぶされている感覚がありました。時間が経つにつれ、目には色のついた振動が見え始めて、それは絶えず動いていました。これはほぼ毎日、日によっては1日に何回も起こるようになりました。だいたい15分から17分ほど続きました(実際に計ったので確かです)。それが起こっている時は何も見えなくなるので、いすに座ってじっと終わるのを待っていました。しかし眼科医には、目には特に異常は見られないと言われました。 1年経って、足の薬指にしびれを感じました。こすったりマッサージをしたりしましたが、一向にその感覚はなくなりませんでした。時間とともに、足から膝、そして足全体へと感覚は広がっていきました。触覚はありましたが、それはまるで分厚い布地の上から触られているようでした。足の指の皮膚は乾燥しむけていき、クリームを塗っても良くなりませんでした。脚も徐々に痩せていき、常に冷たく、皮膚の色も灰色に変わっていきました。痙攣も起こり、耐え難いものでした。それから少しして、骨の中が焼け付くような感覚が加わりました。また、普通のめまいではなく奇妙な電気ショックを伴うめまいもありました。歩こうとしてもうまく右足を動かすことができず、もう普通には歩けませんでした。足はまるで支柱のように重たく、家の中では壁にしがみつきながら歩いていました。 神経内科の先生の診察を受けましたが、何も変わりませんでした。今でもあの時のことを思い出すと嫌な気持ちになります。先生は私の話を聞き、指で鼻を触ったりする検査や、細いもので体をひっかく検査も受けました。私と息子が今何歳か聞かれ、最後に「大したことではないからあまり心配しすぎないように」と大変“ためになるアドバイス”をくれました。廊下に出たとたん、ショックで涙があふれました。その後、他の神経内科の先生の診察を受けました。その先生は病気について前の先生よりも知っているような印象を受けました。先生は私の話に耳を傾けてくれましたが、診療録には「EM」の文字が書かれただけで、ミルガンマ(Milgamma)を処方されて終わりました。 時間が経つごとに無気力感が増し、ほぼ毎朝吐き気がしていました。日に日にひどくなっていき、自分の健康は自分でなんとかしなければと、地元のサマラの治療センターへと足を運びました。私の持っているすべての検査結果を持って診察を受けましたが、「検査結果はすべて正常」との回答でした。MRIを受けさせてもらえないかと頼んだところ、「あなたは私達医者より賢いと思っているんですか。言われなくてもあなたにどんな検査が必要かわかっています」と言われました。その時受けた検査は全額患者負担だったのでとても高かったです。 その後、右目の視力が徐々に落ちていきました。両目を使えばしっかり見えていたので、すぐには気づきませんでした。また、右わき腹を下にして横になった時の右耳の耳鳴りがひどく、耳にトランスボックスをつけられたようでした。耳鳴りが原因でよく眠れず、横になるのも苦痛でした。背中と首、腕と足にかけて痛みがあり、時々呼吸ができないことがありました。台所では食器を2、3個洗っただけで力尽きていました。腕と肩を持ち上げるのも難しくなり、足も思うように動かせなくて、よく転倒するようになりました。一番辛かったのは、まだ小さい息子の「どうしてママは転んだの?」という質問に答える時でした。息子は床に倒れている私のそばに座り、「ママは牛のようにまぬけだから転ぶんだね」と言って笑いました。息子には“まぬけ”や“牛”という言葉が面白かったようです。笑った後は、部屋に行っておもちゃで遊び始め、私はその後なんとか一人で立ち上がり、ソファーへと倒れ落ちて寝ました。少しずつ息子に私の健康問題を隠すのが難しくなりました。 時が経つとともに状況は悪化していき、体から奇妙な体臭がするようになって、そのにおいは腐った肉が放つにおいに似ていました。髪の毛が抜け、髪をとかすのが怖くなり、飲み込むのも、度々むせていたので家族とテーブルを囲んでの食事が難しくなりました。食べるという動作は私にとってまさに拷問でした。噛んだ後に飲み込んではみるものの、その後何が起こるのかわかりませんでした。食事が喉に近づくと一旦止まり、喉の筋肉が動いて、飲み込んでくれるまで待たなければなりませんでした。飲み込めない場合は食べ物が喉に詰まって、少しの間咳き込むことがありました。また、この時期右側の腎臓が8cm下がりました。 常に引っ張られている感覚があり、時折痙攣も起こりました。当時は常に腰や背中、肩が痛みました。体は常に硬直していました。右足に力を入れても3、4cmしか上げられず、その状態も数秒しか保つことはできませんでした。階段を上るときはズボンをつかんで足を持ち上げながら上っていました。ソファーに座っている時は、足の位置を見なければ、自分自身が足を伸ばしているのか曲げているのかわかりませんでした。6年半の間に診てもらった医師の中で私の健康問題を真剣に考えてくれた先生は、一人もいませんでした。 2009年の夏、クヴァトヴァ(Kuvatova)病院に行きました。個人的にお願いしたMRI検査を翌日には受けることができました。下半身の部分に異常があったので、腰部のMRIから撮り、その後腰より上の部分を撮影していきました。おそらく病院側の配慮で、MRI検査費用の一部を払うだけで済みました。そして、MRI検査を通して脊髄空洞症と診断されました。医者には、治療法はなく、今後生活がしにくくなるだろうけれど、「元気を出して頑張ってください」と言われました。 一方、主人は半年間インターネットで、とにかく様々な情報を探しました。バルセロナキアリ研究所の情報を見つけた時はその情報を見つけられたこと自体信じることができませんでした。すべての体験談に目を通し、終糸切断手術が唯一の病気の解決策だと私達夫婦は確信しました。 2010年1月26日、私は手術を受けました。麻酔から覚めた時幸福感を体中で感じ、手術が成功したと実感しました。完全に健康な体に生まれ変わったようでした。ほとんどの症状はすぐに消え、あの時感じた全身にみなぎる活力は言葉では言い表せないもので、嬉しさでいっぱいになりました。右目の視力は1週間かからずに回復しました。右耳の耳鳴りは手術後すぐになくなりました。手術以降、一切めまいもなく、色のついた振動もなくなりました。筋肉は衰えていましたが、足に力が入れられるようになって、健康な人と同じように足を上げることができました。肌の色もすぐに普通に戻って、髪の毛ももう抜けなくなりました(退院日に気づきました)。背中や腰などの痛みももうありません。これらの変化を自分自身の体で感じながらも、信じることができませんでした。手術前は3、4分ごとに休憩しないと歩けなかったのが、手術後主人とバルセロナを10時間半散歩したうち、2回ほど喫茶店で休憩しただけであとは歩いていました。私たち夫婦で、一回も嘔吐することなく立って食事していたのは誰だかわかりますか。 2003年から2009年までの出来事を思い出すのが辛くて、終糸切断手術から1年経ってやっとこの体験談を書くことができました。この体験談は、私と同じように恐ろしい病名を診断された人に宛てて書いています。取り返しのつかない結果を生む疑わしい治療法を絶対に受け入れてはいけません。ロヨ先生にぜひコンタクトを取ってみてください。 健康と人生を取り戻してくれた先生方に、私から感謝の気持ちと無限の愛を送ります。 電話番号: (+7846)334-58-26 メールアドレス: [email protected] スカイプ名: rusianen