Published by ICSEB at 1994年6月6日
手術日:1994年6月
すべては13歳の時に受けた小児科の検診から始まりました(現在私は32歳です)。最後に受けた検診の時に、脊柱にわずかな弯曲が見られることがわかりました。
その時に受けたX線検査の結果から、はっきりとした脊柱側弯症が確認できました。私は他の脊柱側弯症患者さん同様、リハビリから始め、ほぼ毎日側弯を改善するために運動を行っていました。さらに、鉄でできた特殊な檻のような所に入れられ、側弯部分に圧力をかけられたりもしました。よかったことは、リハビリ開始から6ヶ月後、その効果が出てきたことです。ただ理解できなかったのは、水泳などのリハビリを続けていたにもかかわらず、成長とともにコブ角が増えていったことです。このように少なくとも3年間は、良くなったり悪くなったりの繰り返しで、一向に安定した状態にはなりませんでした。
そしてそんな時にロヨ先生の存在を知り、私の健康問題、脊髄空洞症の解決策を提示してくれました。成長とともに緊張を増していった脊髄の緊張状態が原因で、リハビリ運動を行っても側弯が改善されるどころか、逆に悪化していったのだとわかりました。
1992年、私が18歳の時、脊髄を解放するために手術を受けることにしました。ロヨ先生にとって私は3人目の終糸切断手術を受ける患者だったこともあり、実験台のモルモットのような気持ちがあり、手術の決断をするのはそう容易ではありませんでした。しかし、サードオピニオンで他の病院を回った後、改めて手術を受けようと決心しました。終糸切断手術は終糸を切る手術で、脊髄に触らなければほとんどリスクのない、脊椎に鉄の棒を入れる治療法以外の選択肢になる手術だと説明を受けました。
実際、手術は何事もなく無事終了しました。現在背中の痛みはなく、以前よりも緊張がほぐれ、解放されたような気持ちです。
バルバラ・マルティネス
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