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マリア・ズケッティ:キアリ奇形I型、脊髄空洞症、脊柱側弯症

Published by at 2013年6月1日


手術日:20113

italia

私の名前はマリア・クリスティーナで、27歳です。イタリアに住んでいます。

9歳の時から偏頭痛があり、副鼻腔炎や偏頭痛の治療を受けましたが、効果はありませんでした。

1999年10月、突然頭が痛くなり、その状態は1ヶ月も続きました。薬は効かず、唯一寝ている時が安らぎの時間でした。

1999年11月、イタリアのベルガモ県の病院に検査入院して、MRIを受けました。その結果、奇病と言われるアーノルド・キアリ奇形Iと診断されました。その日は、自分の抱えている病気が何なのかわかった嬉しさよりも、その病気がどういう病気なのか知らなかったことによるショックの方が大きかったです。

退院後、その病院では病気を治してもらえないと思い、ミラノの総合病院の“専門家”に診てもらうことしました。短時間の診察(その割には診察料が高額)でしたが、私の病気について前の病院より詳しく説明してくれました。先生には、後頭蓋窩の奇形で容積が減り、小脳扁桃が下垂し脊柱管内に突出、それが私の頭痛の原因だと言われました。病院から提示された治療法は、変形した骨の一部を削る減圧術と言われる手術でした。

2000年1月、その“専門家”によって手術は行われました。ここで一つ言っておきたいのは、その専門家の患者さんのほとんどは、もっと年を取ってから病気を発症していた人が多く、私のような若い患者(16歳)を手術したのは初めてだったことです。

手術の翌日、すべてはうまくいっているように見えました。しかし手術から2 日後、頭部の激しい痛みと熱、嘔吐などの症状が現れ、それはすべてドレナージを行わなかったからで、血腫もできてしまいました。手術から3日後、血腫洗浄のために再手術が行われました。3週間の入院が終わり退院する時に、もうこれ以上問題は起きないだろうと言われました。

それから数ヶ月間、平和に過ごすことができました。今後も順調にいくかと思っていましたが、手術から1年後、左上肢の温覚障害が現れました。再度MRIを撮った結果、脊髄空洞症(第1胸髄-第3胸髄)を患っていることがわかり、脳神経外科の先生には前回受けた手術が原因だと言われました。減圧術によって髄液が通常より速く流れ、脊髄が十分に排水できなかったために脊柱管の中に流れ嚢胞ができ、空洞が形成されたと言われました。先生には2つの選択肢を提示されました。一つは小脳扁桃を切除するために後頭部の再手術および硬膜補填術で、もう一つは空洞内にたまった水をドレナージするシャント術です。私は最終的に、体に負担の少ない方の後頭部を切開する手術を選択しました(死亡する危険性がある手術であるにもかかわらず、一切そのことについて説明は受けませんでした)。

2001年10月、再手術のため病院に行きました。

人生最悪の経験になりました…目を覚ますと手足がまともに動かせなくなり、痛覚、温覚を完全に失い、車いす生活を余儀なくされると思いました。

入院中、コーチゾンを大量投与され、水頭症が起こったために2度穿刺が行われました。ただ、一度も理学療法を受けるようには言われませんでした。入院してから3週間後、リハビリセンターに転院が決まり、幸運にも1ヶ月の理学療法で、ほとんどの協調運動(手の細かい動き以外)は回復しました。また歩けるようになって、左腕と左胸部以外は温覚も戻ってきましたが、上肢と胸部上部の痛覚は消失したままでした。それから新しい生活が始まりました…1年後に空洞は小さくなったものの、前より困難な生活になりました。

2009年まで、胸郭にまで広がる背中の痛みと首の痛み、眠気、疲労感、軽度の鬱にもなりましたが、走らず力を入れない生活をしてなんとか生きていきました。

2009年3月、頻繁に背中が痛くなり、右腕の痛みとしびれ、くしゃみをする度に起こる首と頭と肩の激しい痛み、下肢の麻痺、過度の眠気、慢性的な疲労感、気分の浮き沈みなどがあったので、検査のためMRI検査を受けました。その検査結果から、空洞が第1頸髄から第2胸髄まで広がっていたことがわかりました。2001年に手術をしてもらった先生(すでに定年退職されていました)にもう一度診てもらい意見を聞こうと、先生のご自宅を訪ねました。しかしそこで言われたのは、ドレナージ以外治療法はないということでした。

数ヶ月経って状況は悪化しました。そこで私は、ミラノにあるカルロ・ベスタ神経学研究所の、病気の知識と小児の手術実施回数の多さで名高い脳神経外科医の診察を受けました。その先生の診察で、私の受けた減圧術のやり方が間違ったものであったこと、そして私が2回目に受けた手術は、その最初の手術のミスをカバーするためのものだったことがわかりました。当時、脊髄の空洞は第6胸髄まで拡大していました。先生には、これ以上病気を悪化させないための唯一の手段として、再手術(3回目)を勧められました。手術は脊髄の髄液の流れをよくするための頸部のドレナージでした。ショックと恐怖で、パニック状態に陥りました。

もうこのままでは生きてはいけないと思い、手術のキャンセル待ち登録をしました。何度も問い合わせをしましたが、(幸運にも)1年経っても手術の連絡はありませんでした(当時2回ほど診察を受けましたが、医師からの診療報告書には、恐怖心から手術を見送りたいと私が言ったと書いてあり、それは全くの嘘です)。

家族の知り合い(私の病名を覚えていてくれた知り合いに感謝しています)を通じて、ある女性と知り合い、その女性の娘さんがアーノルド・キアリ奇形I型の治療で、バルセロナで行われている手術を受けて、術後の経過が良好だと聞きました。

その後インターネットで検索し、その女性のおかげもあって、2011年2月にバルセロナキアリ研究所にコンタクトを取ることにしました。私の持っているすべての検査結果を送り、数日で返事が返ってきました。そこには、ロヨ先生の診察を受けて手術の適用が確定されれば、次の日には手術が受けられると書いてありました。

終糸切断手術のおかげで、一生治らない部分はあるだろうけれど、これ以上病気が悪化するのではないかという不安を抱かなくていい普通の生活が送れる確信があり、私は世界で一番幸せな人間だと感じました。

2011年3月末にバルセロナへと出発、3日間で診察と手術、そして国へ帰ることができました。手術後ロヨ先生には、脊髄の引っ張りはMRI上で確認されたものよりも大きかったと言われました。そして手術を受けた日から、まるで生まれ変わったかのように新しい人生が始まりました。手術後すぐに、背中と胸部と左上肢の温覚と痛覚が部分的に回復し、足底皮膚反射と腹壁反射も正常に戻りました。

手術から1年後の2012年3月、検診のためバルセロナに戻りました。手術後すぐに回復した部分はさらに良くなっていて、口蓋垂は右寄りだったのが正常に戻り、以前よりも体のふらつきを感じなくなりました。くしゃみをする度に起こっていた激痛はほとんどなくなり、以前は一日中あった背中の痛みもそこまで頻繁に起こらなくなり、疲労感も減りました。

また、手術から2年経って回復した症状もあります。例えば、胸郭の温覚、両手の痛覚、背中の痛みの頻度の減少などです。ただ疲労感は増したように思います。でもそれはきっと、以前できなかったことをやっているからだと思います。とにかく、状況は明らかに改善しています。そして一番重要なのは、病気の進行が止まったということです。

ずっと私のそばで支え、手術を受けさせてくれた両親、そして家族のみんなに感謝しています(手術を受けた当時私はまだ未成年だったので、手術同意書には両親が署名しなければなりませんでした)。

また、ロヨ先生、ジョイアさん、そしてフィアヨス先生をはじめとする医療チームにも感謝しています。みなさんのおかげで人生を取り戻すことができました。


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